前作『純愛迷走』が出てから早や5年! 本編の最終19巻が出てから6年。

もうそんなに経っていたのか……。

高校生で『やじきた学園道中記』にはまり、市東亮子さんの作品はけっこうよく読んでいるんですが、この『BUD BOY』シリーズも好きなんですよね~。

本編については以前感想を書いたことがあるので、そちらを読んでいただけると説明が早くて助かるのですが。

本編7巻目が出た頃のこの感想、なんと書いたのは1998年。

息子が生まれた年じゃん……。

主人公の蕾(表紙の少年)は天界の花仙様。花仙の女王ともいえる錦花仙帝と、風仙の王たる玉風大帝との間に生まれ、御大花将として花仙達を守る戦士です。

「花の体」に「風の力」を宿すのは危険(力が強すぎて体がもたない)だということで、年齢を封印され、少年のなりをしているけれど、実は青年。まぁ、人間じゃなくて「仙人」なので、人間とは年の取り方が違い、「青年」たって何歳なのかよくわかりませんが。

地上に出没する怪魔たちを退治し、「つつがなく花を咲かせる」蕾の活躍を描く『BUD BOY』。今回の番外編は、本編ではあまり語られなかった蕾の父、玉風大帝の真実(!?)に迫っています。

封印を解かれて年相応の青年になった時の蕾ちゃんそっくりな、「仙人だからって若すぎないか!?」という見た目をした美青年の玉風大帝。かなり困った人物です。

花仙と風仙ではその司るところが違うこともあり、「風の吹くまま気の向くまま」というのが風仙の性格でもあり、蕾は父のことをほとんど知らずに(ろくに会ったこともなく)育っていたのですね。

それが今回関わることになり、その「困った」性格を目の当たりにし、「これが父か!?」と大ショック。

「風」の戦闘力を持ってはいても、「花の皇子」である蕾は、性格的にはやっぱり「花仙」なんだね。過去に父がそうとは意識せず犯した罪を知って葛藤する蕾。やんちゃではあるけど、蕾ちゃんはきまじめだ。

本編でも、怪魔たちを引き寄せてしまう人間の哀しい愚かさが印象的で、よくうるうるさせられたんだけど、今回もね~。

電車の中で読んでたのに、涙うるうる、鼻水ずるずるになっちゃって、困りました。

タイトルの「空心鳥」とはその名の通り「心=自我を持たない鳥」で、その美しい歌声で王者を慰める神鳥なのだけど、その中でも特別に、「讃辞のみを歌うように」改良された鳥が、怪魔界の王たる太玄大皇から花仙界へと献上される。

そのあまりの讃辞に辟易して、花仙達は次第にその鳥を敬遠するようになる。「心のない鳥」に褒められてもな、と。

ところがどっこい、いやがらせ好きの太玄大皇はこっそり鳥に「自我の芽」を植えつけていた。なので鳥は葛藤し始める。「どうして一生懸命務めを果たしているのに敬遠されるのか。もしも“褒める”ことが無意味なら、なぜ自分は存在するのか」

「褒められたい」人間がたくさんいるはずの地上に降り立ち、人々の心を操っておべんちゃらを言わせる鳥。人間界でもまた、度を超した褒め言葉は素直に受け入れられず、かえって人間関係にひびを入れていく。

「地上にはあれほど多くの 讃美を欲する者がうごめいているのに 誰もが皆讃美されようとされまいと 充たされぬ想いを抱えて やりきれない」

100点取ってもママに褒めてもらえない男の子が出てきて、その「ママ」に鳥が取り憑いて無理矢理子どもを褒めるんだけど、褒めながら苦しむんだよね、ママ。思ってもいないことを口にするのが苦しい、みたいに。

で、男の子が「無理して褒めなくてもいいよ」って。

この男の子と鳥の交流がまた、泣けるんだよな。ほんとに亮子さんってば、こーゆー「人間の業」みたいなものを描くのがうまくって。

褒められたいけど、「口先だけの褒め言葉」じゃイヤ、とか。

一生懸命やっているのに報われない、とか。

心あるがゆえに、人は悩み苦しみ、時に過ちを犯す。

欲とか、妬みとか、競争心とか、そーゆーのって、「持つな」と言われても無理な話で、ある意味「それあればこそ」の「人間」なんだろうと思う。

そればかりに引きずられてはいけないけれど、正負両方の感情の間を揺れ動き、もがいて、全体としてみれば「ちょっとだけプラス」になる――それが人間というものじゃないかと。


久々の『BUD BOY』、やっぱり面白かったんで、もっと読みたいな~と思ったら。

『エロイカ』も載ってる『プリンセスGOLD』に番外編が連載されているみたい。「番外編の連載」というのもなんか妙だけど、今月号にも前月号にも載っている。

早く単行本出ないかな♪