昨日から、『ゲゲゲの女房』が放送されてない。
毎朝7時45分にはテレビの前に座ってBSで『ゲゲゲの女房』を見る。うっかりすると引き続き8時からNHK総合でもう一回見る、というのが習慣になっていたのに。
テレビつけても、もう『ゲゲゲ』はやってない。
クリープを入れないコーヒーのように物足りない朝。
新しい連続テレビ小説なんか始めなくていいから、また第1話から放送してくれたらいいのに、とマジで思うくらい。
久しぶりに朝ドラにはまりました。
この前「ちゃんと見た朝ドラ」は「まんてん」まで遡るので、ホントに何年ぶり、何作ぶりかな?
世の中的にもずいぶん評判が良くて、きっと色んな人が色んな視点で褒めてらっしゃるのだろうと思いますが、本当に半年間面白くて、毎朝のように泣かせてもらって、「朝ドラ」に限らず、久々に良いテレビドラマを見せてもらったなぁ、と思いました。
前半の貧乏な頃はもちろん、後半もずっと面白かった。
布美枝さんって素晴らしい女性だけど、ずっと専業主婦でしょ。途中、実の妹やらバリバリキャリアウーマンな郁子さんやら、果ては娘にまで「私はお母ちゃん(のような夫に従っているだけの女性)とは違うんだから!」と言われつつ、最後には茂さんに「ここまで来れたのはお母ちゃんのおかげ」って花束渡してもらう。
同じ専業主婦として、泣けました。
いや、もちろん「同じ専業主婦」などと言うのがおこがましいことはわかっているんですけどね。
布美枝さんはあの極貧時代にもめげることなく夫を温かく支え続け、時にはマンガの手伝いもし、茂さんが人気漫画家になってからは出入りする編集者さんやアシスタントさんにも気遣いを怠らず、「いかる」「いとつ」という強烈なお姑さん・お舅さんとも仲良く暮らし。
あの「いかる」とうまくやっていけるだけでもホント、並みの専業主婦ではないわけですが(笑)。
でも「朝ドラ」のいつものヒロインとは違って、「自分の道を切り開こう!」とか、「バリバリ外で頑張って夢を叶えるんだ!」という女性ではない。
25週目だったか、兄嫁のタモちゃん(愛華みれ)から「布美枝さん、よくやってるわよ」と言われて、確か布美枝さん、「主婦って褒められることないから」ってふうに答えたと思うんだけど。
こういう生き方、こういう在り方を「ヒロイン」として描く。
これも素敵な生き方でしょう、って言ってくれる。
……いや、だから、その、私が布美枝さんのようだなんてことは口が裂けても言いませんよ。布美枝さんを見習えるとも思えません。ええ。わかってます。
でも、勇気というか、自信というか、「ちょっとは見習おう(笑)」とあったかい気持ちにさせてくれる。
源兵衛さんとミヤコの夫婦、「いかる」と「いとつ」の夫婦もそれぞれにすごく良かったしね。
源兵衛さん、好きだったなぁ。ああいうお父さん、昭和の時代には当たり前にいたと思うけど、今や絶滅危惧種? 昔ながらの「家長」、家族は振り回されて大変だけど、でもその底には「家族を背負う自負」があり、「責任感」があり、「愛情」がある。
最後、脳梗塞で片麻痺っていうのが、春に亡くなった父と重なって、ホントにね……。源兵衛さんは倒れてすぐに家へ帰ってこれたし、1年間家族と過ごした末に旅立てたから、それは良かったな、ってホントに実の知り合いのようにしみじみと泣いてしまった。
「いとつ」さんは「いとつ」さんで、「結局傑作を完成させられずに終わる」というのがなんとも身につまされて泣けたし。
シナリオは完成させられなかったけど、でも「いとつ」さんは「もう終わりか。面白かったな」と言って旅立っていく。
これがまたね。
映画やお芝居が大好きで、センスはあるのに商売は下手くそ。「いかる」の尻に敷かれていながら、子ども達にとってはけっこういい父親。「いかる」さんも「いとつ」さんに先立たれてすごーくがっくり来ていたし。
ミヤコさんが「いいご夫婦でしたね」って「いかる」を慰めるシーン。
うちの両親も表面的には「すごく仲が良い」わけではなかったけど、でもやっぱりお互いにお互いを必要としていたし、「惚れた腫れた」というのじゃない、長年連れ添った「夫婦の情」っていうのを、今年父が入院してからはホントに強く感じていたので……ううっ、泣けるわ。
源兵衛さんに振り回され、忍従しているだけのように見えるミヤコさんも決してそんなことはなくて、「いい夫婦」だった。
布美枝さんと茂さんももちろん。
「愛してる」なんてセリフがなくても、キスシーンなんかなくても、「愛情」っていうのは描けるものなんだよね。
むしろ、ない方がどきどきする。
茂さんが時に布美枝さんの肩に手を置き、励ましや感謝の念を表すシーン。最終回の、「おまえでよかったんじゃないか」って言うシーン。後ろからベトベトさんが来て、「振り向いたらいけんぞ」ってぎゅっと手を握るシーン。
もう、どきどきするったら(笑)。
「大人のドラマ」だったなぁ、って思うの。
布美枝さんと茂さんは見合いからたったの5日で結婚して、しかも布美枝さんは右も左もわからない東京にいきなり来て、貧乏暮らしに耐えなきゃならない。
今読んでる内田センセの『街場のメディア論』の中に、「結婚は入れ歯と同じである」って話が出てきて、「結婚した後幸福になるか不幸になるかは、結婚する前にはわからない。それは結婚生活の幸福は自然過程じゃなくて、自力で構築するものだからです。」ってあるんだけど、もうまさに布美枝さんだよね。
「与えられた条件のもとで、最高のパフォーマンスを発揮するように自分自身の潜在能力を選択的に開花させること」 (『街場のメディア論』p21)
こんな条件はイヤだ!こんな貧乏聞いてない!と逃げ出すことなしに、布美枝さんは茂さんとの結婚生活を始める。「ここでこの人と生きていくんだ」と覚悟を決めて、日々の生活を営んでいく。
茂さんは茂さんで、ぶっきらぼうながらも布美枝さんのことを思いやっているし、戦争で片腕を失っても、貧乏でも、「自分をかわいそがるのはつまらんことですよ」とさらりと言ってのける。
二人とも強いし、「大人」なんだよねぇ。
「いい夫婦」って言えば、私、戌井さんの奥さんも大好きでさ。
「日本一小さい出版社が出す赤字なんて、たかが知れてるでしょ」って言って、夫のやりたいことを後押しする。かっこいいよね。
同じ「マンガバカ」を夫に持ったとはいえ、布美枝さんとこは夫が最終的に「売れっ子作家」になるじゃない。戌井さんの方は、最終的なところはちょっとわかんないけど、描かれてるのは「まぁなんとか生活はできるくらい」の、あんまりパッとしないレベルでしょう。
村井家と同じくかなり苦しい時期もあって。
それでも奥さんは戌井さんの「マンガバカ」な生き方を受け容れて、支えてるんだよね。
『悪魔くん』がテレビ化された時に、茂さんが戌井さんに電話して「あんたの編集者としての目は確かだった」って言うシーン、泣けたなぁ。
源兵衛さんのような古い「家長」にはもちろん「困った」面もあって、今更あのままの「お父さん」とか「親の決めた見合い相手と5日後には結婚」とか、そんなことできないしする必要もないと思うけど。
でもこのドラマに出てきた人達の「生きる心構え」っていうのは、普遍的なものじゃないかなぁ。
ただ「昭和が懐かしい」とか、「専業主婦でもいいじゃない」とかっていうことじゃなくて、その「あったかさ」が私をして毎朝テレビの前に座らせたのだろうと。
もちろん「時代背景」は大きな要因で、現代を舞台にこういうあったかいドラマを描こうとしたらどうしたらいいんだろう、もう「今」という時代背景ではそういうドラマは成り立たないのかもしれない、って思っちゃうほどだけど。
ちなみに。
『ゲゲゲ』の主題歌は「ありがとう」で、最終週のタイトルも「ありがとう」だったんだけど、内田センセの『街場のメディア論』の最後の方に
人間たちの世界を成立させているのは、「ありがとう」という言葉を発する人間が存在するという原事実です。 (p183)
って書かれてあるの。
読んでると「人間っていいな」と思えてうるうるしてくるんだけどね。
「結婚は入れ歯とおんなじ」で始まり、「ありがとう」で終わる。まるで『街場のゲゲゲ論』みたい(笑)。
それだけ『ゲゲゲ』には人間世界の根本が描かれていたってことでしょう(←強引)。
『ゲゲゲの女房』のスタッフ、キャストの皆さん、半年間楽しい朝の時間をありがとうございました。
日記・その他
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