以前ご紹介した『パイは小さな秘密を運ぶ』の続編、11歳の科学少女探偵フレーヴィアシリーズ待望の2作目です!

面白かった!!!

読み始めると止まらなくて、実質2日ぐらいでがーっと読んでしまいました。

1作目以上に引き込まれましたねぇ。

主人公フレーヴィアとその家族等、背景をすでに呑み込んでいるせいもあるだろうし、事件を解いていく過程も1作目以上にスムーズというか、いい仕上がりになっている感じがします。

今、自分で『パイは…』の記事を読み返してみたんですけど、前の感想とは違って「母親がいない」「お姉ちゃんが意地悪」というのも、やっぱり必要なキーだな、と思います。

意地悪なお姉ちゃん達に仕返しをしようとしたり、素っ気ないお父さんがごくたまに愛情や理解を垣間見せてくれたり、おばさんが「あんたの苦労はわかってるよ」と言ってくれたり。

今回初登場したおばさんも、決して全面的に「いい人」「付き合いやすい人」ではないんですよね。でもフレーヴィアに「おばさんのこと抱きしめたい!」と思わせてくれる時がある。

で、その後やっぱり「もう、うるさいおばさん!」っていうシーンが来る。

それってすごく「人間的」で、ごく当たり前な、リアルなことなんだ、と思う。

人には色々な一面があって、優しく見える時も冷たく見える時もある。それは受け手の受け止め方にもよるし、関係性にもよるし、「子どものこと愛してないわけじゃないけどどう接したらいいかわからない」フレーヴィアのお父さんのように、不器用なだけかもしれない。

意地悪なお姉ちゃん達だって、1作目でフレーヴィアが大ピンチに陥った時には本当に心配して懸命になってくれたもの。

いつもにこにこ、常にべったり、が「いい関係」というのでもない。

母親の顔を覚えていないフレーヴィアがお姉ちゃん達に「あんたを生んだせいでお母さんは死んじゃったんだ」って言われて、「私じゃなくお母さんが生きていた方がみんなにとってずっと良かっただろうに」って考えるとこなんか、ホント可哀想なんだけどね。

10代の前半って、それでなくても「自分の存在」について考えると思う。

「いらない子」とか、昔はよく親が「あんたは橋の下で拾ってきたんだよ」とか言ったよね(え?言われたことない!?)。今じゃうっかりそんなこと言うと虐待になるのかもしれないけど。

お母さんが生きていたとしても、お姉ちゃん達があんなに意地悪でなかったとしても、「私、ここにいていいのかな」ってことはきっと誰でも考える。

生意気で頭が良くて大人顔負けのフレーヴィアの、そういう「11歳の少女らしさ」がきちんと描かれているのが、「謎解き」だけでないこの作品の魅力。

1950年という、終戦後まだ5年、という時代背景もね。

戦争時に心に傷を負い、時々「発作」を起こす庭師のドガー。その際のドガーに対するフレーヴィアの対応の仕方も素敵。

「古き良き時代」と言うには窮屈なことも哀しいこともたくさんあって、殺人事件が起きる以上そうそう「牧歌的」でものんびりでもないんだけど、でもなんかこう、「あたたかい」作品なんですよね。

残虐だったり、「これでもか!」っていう刺激的な事件・場面を繰り返さなくても、面白いミステリーはちゃんと書けるんだよ、っていう。

化学の知識と機転・行動力で警察より早く真相にたどりつくフレーヴィア。

「なぜわれわれはそういうことを聞きつけなかったんだろう」と言う警部補に、部下の刑事が答える。「それは、われわれがド・ルース嬢(フレーヴィアのこと)ではないからでしょう」。

うぷぷ。

最後に、この巻で私が一番気に入ったくだり。草むらの露がきらめいているのを見て、「でも太陽のせいで蒸発する」と考えた後のフレーヴィアの思考。

「太陽のせいで蒸発!それって、宇宙があたしたちみんなのために用意していることじゃない?いつか、太陽が赤い風船のように爆発し、カメラのフラッシュをたくより短時間のうちに、地球上の誰もが炭素になる日が来る」

「それを思うと、わくわくする。世界が終わったあとずっとたってから、人体のわずかな残りがまばゆいダイヤモンド・ダストのブリザードになり、死にかけた太陽の赤い輝きのなかで、永遠に向かって吹き荒れるんだ」 (P206)

どんなに素敵な女の子か、わかっていただけるでしょ?

3作目が楽しみです♪