3月27日11時公演を観てまいりました。

『バラの国の王子~「美女と野獣」より~』ということで、お話の展開としてはもうわかっちゃっている作品。と言ってもディズニーアニメの『美女と野獣』ではなくボーモン夫人の原作を下敷きにしてますし、王子がなぜ「野獣」に変えられたのかの前段がしっかりと描かれています。

清き仙女の息子である王子は、悪い仙女の企みによって「野獣」に姿を変えられる。

アニメでは傲慢だったために「野獣」に変えられた王子がベルと出逢い心を入れ替えて…というふうになってますが、「バラの国の王子」はもともとバラを愛し穏やかな生活を愛する「いい人」です。

「人間なら欲を持って当たり前。欲を満たそうとして当たり前」という悪い仙女側と、欲望に振り回されず、「バラを育てることは命を育てること」といった、地味だけど穏やかで自然に感謝するような清き仙女側との相克。

「いやぁ、そんな単純な二元論じゃないんだけどさー」という気もちょっとしたし、途中テンポがのろいと思ったところもあるのですが。

楽しめました。

動物に変えられた「野獣」の家臣達が持って踊るお面がよくできてて。あれロビーで売ったら売れるんじゃないかな(笑)。

宝塚だから「着ぐるみ」を着るとか、顔がほとんどわからないようなかぶり物をかぶる、ってわけにはいかないところを、手に持ったお面でうまく表現してました。

って、肝心のトップスターは「野獣」のかぶり物(笑)。

もちろん顔は見えてるんだけど、でもかなりごつい代物。幻騎士(『家庭教師ヒットマンREBORN!』の登場人物)の鎧姿バージョンを彷彿とさせる。

「オペラ座の怪人」の時もトップさんに顔を隠させるのか?と思ったけど、今回も「トップさんにこんな格好を」。

しかも出番が少ない。

最初に野獣に変えられちゃった後、なかなか出てこない。

全体的に、「野獣」よりも「美女=ベル」の方が主人公っぽいんだよね。「野獣」はベルに愛してもらわないことには呪いがとけない、受け身の立場。王子だった過去を語ることもできないし、ただ「中身はいい人なんだから」をやるしかない。

にもかかわらず。

声だけのシーンでも圧巻なのが素晴らしいキリヤン(霧矢大夢)。

歌も台詞回しも他の生徒とはレベルが違って、むしろ逆に「他の子下手すぎだろ」って思っちゃうくらい。

トウコちゃんもそうだったけど、声がもう違うんだよね。持って生まれた声質というのはあるけど、やっぱり発声が違うんだろうな。響きが違うし滑舌もいいし、ちょっと台詞回しには癖があるけど、それがまた「きらめく個性」にもなっていて。

家臣団の中に一人混じっててもキリヤンだってわかるよなー、って。

ベルを父親の看病のために家に帰した後、「彼女が帰ってこなくても迎えに行くな!私の部屋の扉を開けるな!!」って言うところはぐっと来た。“愛”という以上の“覚悟”が声に籠もっていて。

別にかぶりもので隠れてなくても、大きな劇場で細かい表情まで見分けられる席は限られている。(だから宝塚のメイクはあんなに濃い。あれは本当はハイビジョンで大写しするもんじゃないのだ) 2階の一番後ろの席の客にまで感動を届けるには、やっぱり「声」による演技の力が大きい。(昔は3階まであったんだから)

……それにしても。

「野獣」って何の動物なんだろうか(笑)。家臣は普通に猿とか虎とかなのに、「野獣」ってなんやねんな。

しかもベルが家臣団のジャガーとチーターを見分けるんだよ。すごくない?(笑) どっちがどっちだっけって思うよね? しかも時代背景的にそんな動物園とか動物図鑑とか……ああ、そうか。ベルは読書家だから珍しい動物図鑑なんかも愛読していたのか!

ベルは3姉妹の末娘。血が繋がっているのに上の2人はまるで「シンデレラのお姉さん」で、ベルは姉ちゃん達にいびられる「シンデレラ」。自己中で派手好きで家事なんてお嬢様のすることじゃないわ~という姉ちゃん達と違い、なぜかベルだけは「本を読むのが大好き」な、控えめで父親思いの、優しい娘に育っている。

兄弟姉妹だからって性格は同じじゃないが、いくらなんでも違いすぎやないかーい(笑)。

大体なんで「妹がいい子」なの。一番上の子が一番いい子って話があってもいいじゃないか(←上の子の僻み)。

あ、でもそうか、「清き仙女」はお姉さんなのよね。妹が「悪い仙女」。これもどーして姉妹でそんな真逆なんだという。

あと読書好きなベルを讃えて近所の男の子達が「本の好きな女の子ってどきどきするよね」みたいな歌を歌うんだけど、本好きだからってモテたことないですから!(キリッ

ベルは普通に美人だから(そしてそれを鼻にかけず、男の子に媚びたりもしなかったから)モテてただけだと思います。実のところ野獣だってベルがぶさいくだったらどんなに中身がいい子でも愛さなかったんじゃないのぉ(こらこら)。

ベル役の蒼乃さんは良かったと思います。物語の上では彼女の方が主役で出番も多いし、「野獣」のところへ自ら赴くという葛藤、野獣だろうとなんだろうと私は彼が好きだ、と気づくまでの心の揺れ――彼女が下手くそだったらお話が成り立ちません。

蒼乃さんとキリヤン以外の人は……あまり目立たないので気の毒でした。最近の月組の序列に詳しくないのでアレですが、2番手と思しき方が「悪い仙女の息子」にして現在の王。3番手と思しき方が家臣団のリーダー(虎さん)。

虎さんの方が好みでした。

王の方は……全体的にあまり上手に見えなかったんだけど……「悪い王」と言っても後ろにいる「母ちゃん=悪い仙女」に操られているようなものではあり、「敵役」と言うほど派手な役ではないんだよね。

これといった役が少ないせいか、有望らしき若手男役さんがベルの姉ちゃんやってたりしました。姉妹なのに性格はもちろん見た目も似てなくて、ベルは美人さんなのに姉ちゃん達はそれほどでもないという設定で……ああ、どうして妹ばかり(笑)。

最後、野獣はめでたく人間の姿に戻り王位を奪還するわけですが、早速「王だぞ」という奢りが出てしまったよ、ごめんね。というところがなんともいい感じでした。

野獣という「うわべ」により苦しめられた当の本人でさえ、人の姿に戻ったとたん無意識に「自分は王だ」という「うわべ」に重きを置いてしまう(もちろん「王だ」という責任感は必要だけど)。「王」としてベルに求婚してしまう。

見た目や環境に惑わされず「確固とした心」を持つというのは難しいというか、「そのように揺れ動くのが心」というものなんでしょう。


で、ショー『ONE~私が愛したものは~』

可もなく不可もなく、といった感じでした。チャイコフスキーのピアノコンチェルトを使った場面とか、「愛の夢」のアレンジとか、曲はいいな、と思ったところもあったけど。

昔に比べればずいぶん編成が貧弱になったとはいえ、やはり音楽が生オケなのはいいですよね。

大階段に燕尾服の男役ずらり、というのは何度見てもわくわくしますし。

そこは「宝塚フォーエバー」のアレンジでしたが、まさに「憧れの宝塚」♪

最後、幕が閉まりかけて止まって。

挨拶がありました。

通常は初日と千秋楽、そしてVISA等の貸し切り公演でしか挨拶はありません(と私は認識している。間違っていたらごめんなさい)。

「本日はようこそおいでくださいました」という組長さんの挨拶に続き、トップスターキリヤン。

「こんな大変な状況の中足を運んでいただきありがとうございます」(←おおよその内容です。この通りキリヤンがしゃべったわけではありません。以下同じ)

そう、このたびの大震災に関する挨拶です。

被災された方々へのお見舞いはもちろん、「こんな状況の中でも舞台を務めさせていただける幸せ」「宝塚の生徒としてできることを――愛と夢と希望を届けていきたい」というようなこと。

義援金のこと。

開演前に、ロビーでタカラジェンヌ3人が募金箱を持って義援金を募っていたのですよね。東京の雪組公演は「チャリティー公演」としていたようですし、宝塚も被災支援にがんばっています。



東北出身の生徒もたくさんいるでしょうし、家族や親戚が被災して心配な中、舞台を務めている子もいるでしょう。

キリヤンの心のこもった挨拶にうるうるしてしまいました。

たった数分の挨拶ですけど、毎日毎公演これをやっているんだと思うと、ホントにすごいと思うんですよ。宝塚ってハードですからね。1組の公演は1か月に短縮されたとはいえ(以前は1か月半ほどだった)2回公演も多いし、2回の時は1回目と2回目の間が50分くらいしかないんですよ。

お芝居とショー併せて2時間半歌い踊り、わずか50分でまたお芝居の化粧や衣装にして幕を開けなきゃいけない。たった数分の挨拶でも、もともと予定にないものを入れるって大変だと思います。

思えばこの『バラの国の王子』、3月11日が初日だったんですよね。それも15時公演。地震の発生は14時46分……。

もちろんキリヤン達出演者は初日の舞台が終わった後で震災を知ったのでしょうけれど。

自粛ムード高まる中、特に東京で電飾きらきらな舞台(つまりたくさん電気を食う)を開けることに色々意見はあるでしょう。でもこんな時だからこそ本当に、宝塚が描くような、時に他愛ないとさえ言える「愛と夢と希望」、ファンタジーって必要だと思う。

阪神大震災の時はヤンさん(安寿ミラ)のサヨナラ公演が17日以降中止になってしまって……。本拠地宝塚でのサヨナラショーもできないままヤンさんは卒業してしまった。

こうして宝塚を見に来られるって、楽しめるって、本当にありがたいことだと改めて。