昨日、4月26日、大阪市立市美術館へ「没後150年歌川国芳展」を見に行ってきました。

滋賀の我が家から美術館のある天王寺まではスムーズに行っても2時間ちょいかかるので、正直もうやめようかな、と弱気になっていたのですが(前売り券も買い損ねたし)、しかし家に引きこもってPCばかりいじっててもあかんよな、と思い切って行ってきました。

途中「線路に人が立ち入りました」で電車が止まって、環状線もダイヤが乱れていて、2時間どころか3時間近くかかっちゃったんですけどね…。往復するだけで5時間くらいかかったんですけどね……ああ、哀しい滋賀県民。

しかぁし!

そうまでして行った甲斐がありました。

美術館着いたのがもう12時だったんで、あまりのんびりと鑑賞してもいられず、特に途中からはペースアップして回っていたのですが、それでも全部見終わるのにたっぷり2時間! 220点もの作品!! 充実しすぎです!!!!! 疲れました!(笑)。

橋本治さんの『ひらがな日本美術史第6巻』で取り上げられていた国芳。本で見た「相馬の古内裏」や「宮本武蔵の鯨退治」の実物が目の前に!

武者絵、役者絵、美人画から戯画、肉筆画に版木まで、国芳の画業のすべてをたっぷり堪能することができます。

しかも前期と後期で作品入れ替え、通期展示はたったの19点のみというすごさ。

両期とも見に行くと400点あまりの作品を見ることができるという……いやはやすごい。

役者絵や美人画も良かったですが、やはり武者絵。

あのダイナミックな構図、色遣い。

カクカクと画面を走る稲光のような(稲光そのものの時もあるし、何かの“表現”としての光みたいな時もある)線は、まんま今のマンガの効果線のよう。

「本朝水滸伝豪傑百八人」なんてシリーズを見ていると、「北斗之拳豪傑四十七士」とか描いてほしくなってくる(笑)。

絶対ハマると思うんだよ。「さて南斗の将・レイ、南斗水鳥拳の使い手にして云々」と講談調の説明書き入れてさ、すごいカッコいいのができると思う。

表紙と挿絵を国芳が担当してる版本「稗史(えほん)水滸伝」なんて普通に今コミックス売り場に並んでてもおかしくないような気がするもん。あれ1冊欲しかった。江戸の庶民超羨ましい!

表紙なんてオールカラーなんだよ。あんなものが普通に庶民の間を流通してるって、ホント江戸時代後期の文化レベルの高さすごすぎだよね。特権階級が楽しんでるんじゃないんだもの。サブカルチャーがあの時代にここまでしっかり成立してるんだもの。

こういうものを受け容れ、育むだけの「民度」があって、なんで江戸には市民革命が起きなかったかな、って思うけど、ここまでのものを享受できてしまうからこそ反体制になる必要がないのかなぁ。

「役者絵等禁止令」ってのが出たり、世相を風刺したらしき妖怪絵がお上から問題視されたり、「弾圧」「抑圧」というものもあったのだけど。

役者絵描いちゃいけなくなっても子どもの絵や動物の絵、動物を擬人化しての風刺など、国芳さんは(たぶん他の絵師たちも)全然へこたれない。

いろんな鳥が商売してる絵(ホトトギスが初鰹売ってたり、鶏が玉子せんべい売ってたり)とかすごく面白いし、団扇の表と裏で影絵になるとか、「猫の当て字」とか。

必ずしも国芳さんが初めて描いたアイディアでもないのかもしれないけど、センスいいんだよなー。

『ひらがな日本美術史』にも出てきた「荷宝蔵壁のむだ書」。

実物を拝めるなんて眼福。

「壁に役者の似顔絵を落書きした」というモチーフで、版元やら自分(国芳)の名前も金釘流の「落書き」で書かれてるの。なんというユーモア。

「馬鹿手本剽軽蔵(ばかでほんひょうきんぐら)」とか「みかけは怖いがとんだいい人だ」(←人が寄り集まって顔になってる絵。美術の教科書なんかにも載ってる有名な代物)とか、この人の頭の中どーなってたんだろー。

ものすごくカッコいい武者絵や鍾馗さん、一方で愛らしい子どもや猫、風刺画、妖怪。西洋風のアングルを取り入れた作品。

まさに八面六臂の大活躍。

「背景が広重で手前の3人の武者は国芳」という夢のコラボ作品も展示されていた。

なんか、すごく幸せな時代に「絵師」だったんだなぁ、とも思った。

いくら本人に才能があっても、それを見抜く目というか、それを楽しむ人々がいなければ活躍のしようもないわけでしょう。サブカルチャー、「庶民の娯楽」であるだけに一層。

国芳が亡くなったのは1861年、広重は1858年。ペリー来航は1846年で、大政奉還が1867年。

江戸後期というか幕末にあれだけ流行し傑作の数々を生んだ浮世絵は、明治維新後ふっつりとその命を絶たれる。

国芳の弟子だった芳年は明治まで生きて発狂してしまうわけだけど、「時代」と才能が合致するっていうのはホント幸せなことで、文字通り「有り難い」ことなんだよねぇ。

あと浮世絵見るといつも思うけど、彫り師と摺り師のとんでもない技術!

よくもあんな細い線を彫れるよね。「障子の向こうの影」とか、彫りと摺りで「透け感」まで表現するんだよ。「空彫り(エンボス技巧)」まであるんだよ。

絵師は別に国芳だけじゃないし、「版本」となれば何頁も摺るわけだし、そんな悠長に彫ったり摺ったりできないはずで、かなりのスピードで作業してたはずなのにあの見事な出来栄え。

で、その見事な版木が全然関係ない用途に再利用されてたりするんだもんなー。

「絵師」ほどには名前が残らないけど「彫り師」「摺り師」あっての「浮世絵」なのに…。

まぁ「浮世絵」自体が当時は大量生産の「消耗品」のような位置付けだっただろうし、摺られた作品でさえ散逸してしまう中、「板」として利用価値のある版木が転用されるのも無理からぬことではあるけれど。


5月10日からは後期展示。さて、往復5時間かけてもう一回行きますか!?(…ちょっと自信ない、さすがに…)