2012年1月20日金曜日

『平清盛』を機に『双調平家物語』を読み返そう



大河ドラマ『平清盛』が始まりましたね。

ほんと言うと始まる前に読み返そうと思ってたんですが、ルパン全集にかまけていて全然読めてません。

2007年10月に最終刊が出て、2008年2月に読み終わったあと、「もう一度最初から読みたい」と思って読み始めたものの、3巻ぐらいまで行ったところで他の本に浮気してそのまま中断。

今度こそ最後まで読み通すぞ!!!

大河見てあの時代に興味を持った方にもぜひ読んでいただきたいなー、と思うのですが、中央公論新社は便乗フェアとかやらないのかしら。全15巻、しかも1巻が中国の話ということでまぁなかなか推しづらいのかもしれない(^^;)

そう、『平家物語』なんだけど、中国の話から始まっちゃうし、やっと日本の話だと思ったら大化の改新で、清盛はなかなか出て来ない。

「諸行無常の鐘の声」の普通の『平家物語』で、清盛は中国の逆賊・佞臣と並べられている。「でも清盛ってホントにそんなに悪い奴だったの?そもそも日本の“体制側”、清盛が逆らったとされる“国家側”ってどんなものだったの?」というわけで、まず「中国の悪い奴はこんな感じ」という話が来て、「日本の国家はこんな感じ」で大化の改新から延々説き起こされるのです。

その辺のことは別blogの方で記事にしています。

『双調平家物語』/橋本治

最終15巻まで読み終わった時の記事↓

『双調平家物語』完結!

『双調平家物語』最終巻/橋本治

そしてもう一つ関連記事として

『双調平家物語』が毎日出版文化賞を受賞!

こんだけ書いてまだ足りないのか、って感じですが(^^;)

こんだけ書いてるのに何巻から清盛が出てくるのかもわからないし(笑)。

というわけでちゃんと読み返す前に各巻の内容をざっとおさらいしてみようかと。

【1巻・序の巻、栄華の巻Ⅰ】

序の巻:中国の話です。玄宗皇帝、楊貴妃、安禄山。「は?平家物語でしょ?」と意表をつかれるけどこれがまた大変面白い。

栄花の巻:藤原氏の祖は鎌足公、鎌足公と言えば大化の改新、大化の改新といえば蘇我入鹿が討たれる、というわけでその父の蘇我蝦夷の話から。

【2巻・栄花の巻Ⅰ】

蝦夷の父の馬子まで遡り、蘇我氏が物部氏に勝って権勢を握る話が語られ、舒明天皇亡き後なぜ蝦夷はその后・皇極天皇を立てたのか、そして蝦夷の息子入鹿が父に反発、勝手な行動をして墓穴を掘る。
あげく中大兄皇子と鎌足に討たれ、大化の改新
しかし中大兄皇子はすぐには即位しない。
蘇我入鹿誅戮から二十数年、やっと中大兄皇子は天智天皇になるのだった。

【3巻・栄花の巻Ⅱ】

天智天皇の弟である大海人皇子と天智天皇の子ども大友皇子が争って世に言う壬申の乱
勝ったのは大海人皇子、即位して天武天皇となる。
そして天武天皇崩御の折り、まだ世継ぎである草壁皇子が幼かったので天武天皇の后で天智天皇の皇女である持統天皇が即位。
天武天皇の「皇子」は大津皇子とか高市皇子とか他にもいっぱいいたのでわざわざ女帝が立つ必要はなかったのだけど、自分の息子が可愛い持統天皇は「草壁が位を継ぐのよ!決まってるじゃない!!!」と他を蹴落としてしまうのだな。
そして愛する息子のために「律令国家」を整えるのだ。
持統天皇は大変「できる」人ではあったのだけど、子どもかわいさのあまり「国の形」を歪めてしまう。
草壁皇子は早世し、その皇子である文武を位に就けて、持統天皇は「上皇」として国を治める。
「実権を持たぬ年若い天皇」を外祖父藤原氏が補佐するという後の「摂関政治」、そして「上皇」が朝廷とは別に力を持ってしまう「院政」の芽は、早や持統天皇の御代に生まれていたのだ。

【4巻・栄花の巻Ⅲ】

持統天皇が苦労して即位させた孫、文武天皇も早世。文武天皇の皇子(後の聖武天皇)までの「つなぎ」として文武天皇の母(天智天皇の皇女であり持統天皇の異腹の妹)が元明天皇として即位。その後、文武天皇の姉の元正天皇を経て、やっと聖武天皇が御位に就く。
女帝を認めるか云々で平成の世は悩んでいるわけですが、平安の世には皇位を継げる男皇子は他にいっぱいいた。いっぱいいたけど、持統天皇が「私の子どもでなくっちゃ!私の孫でなくっちゃ!」と自分の血にこだわって、ややこしいことにしてしまった。
ただ持統天皇自身もそうだけど、この時代の「天皇の后」というのは一般人じゃなくて彼女自身も「皇女」で「天皇の血筋」だからまぁ、「万世一系的な「正統性」はあるわけです。
持統天皇は大化の改新を成し遂げた天智天皇の娘ではあるし、その弟だった天武の血筋よりも「私を通じたお父様の血筋の方が上!」と持統天皇が思ったのも仕方ないかもしれない(思ったかどうか知らんが)。

で。
聖武天皇の后は藤原の娘である。
皇女じゃない臣下の娘が初めて「后」になって、「天皇の外祖父藤原氏が摂政として実権を握る」の前提ができる。まだ前提だけで、聖武天皇の御代に藤原の力はそこまで大きくはならない。
藤原の娘である光明皇后が生んだ内親王が「皇太子」になったのは、藤原の専横というよりも、光明皇后の心細さに依ったらしい。「皇太子の母」であるゆえに臣下の娘でも「皇后」になれた。だがその皇太子が早世し、後ろ盾となる藤原の兄たちも亡くなり、安心して「皇后」という地位にあるためには再び「皇太子の母」にならねばと。
その時は光明皇后の腹ではない親王もいた。しかし他の候補は一人また一人と消えていき、結局そのまま内親王が御位に就くことになる。孝謙天皇である。

【5巻・父子の巻、保元の巻】

父子の巻:
孝謙天皇がいったん譲位して大炊王が即位。藤原仲麻呂が孝謙帝の寵臣として権力を握り、ちょうどその頃中国では安禄山の乱が。1巻で述べられた「中国での逆賊」、それに刺激を受けたのかどうか、仲麻呂は背いた。御代の帝ではなく、すでに上皇となっていた孝謙帝に。
仲麻呂は敗れ、帝は廃され、孝謙天皇が重祚。
道鏡との醜聞を経て、史上唯一女の身で「皇太子」となった帝は51歳で世を去る。
皇太子が定められていなかったため、貴族達の会議によって選ばれたのは天智天皇の皇子芝基親王の血筋の白壁王(光仁天皇)。
白壁王の后は孝謙帝とは異腹の姉妹(つまり聖武天皇の皇女)。この井上皇后が謀反の罪で逐われ、その後都には次々と「祟り」が起こる。
井上皇后腹ではない光仁天皇の皇子山部親王が桓武天皇となって、祟りの続出する奈良の都は廃され、長岡京へと遷都。しかしそこでもまた「祟り」は続き、山城の平安京へと再度都が遷された。
平安の都で藤原北家は隆盛する。桓武天皇の孫にあたる仁明天皇の后順子が国母となって後、15代もの天皇が藤原北家の娘の腹から生まれる。
桓武帝は第50代の天皇。我が世の春を謳歌した藤原道長が長女を贈った一条天皇は第66代。四女が嫁いだのが69代の後朱雀天皇で、そこから生まれたのが70代の後冷泉帝。

保元の巻:
71代後三条天皇は、後朱雀天皇の皇子。しかしその母は藤原氏の女ではなく、三条天皇の皇女。この皇女の母親は道長の次女だから後三条天皇の祖母は藤原の娘なんだけれども、母は内親王。
それゆえ摂関家の専横を彼は肌で感じていた。内親王腹の東宮であった彼は不遇だったのだから。
そしてその後三条天皇の皇子貞仁親王こそ後の白河院(大河では伊東四朗さん♪)である。

【6巻・保元の巻】

白河帝に譲位した後三条帝は、白河帝にとっては異腹の弟である親王を東宮に、そしてその次にはまたその弟宮を、と言い残して亡くなる。
しかし白河帝は自分の愛する女から生まれた皇子を帝位につける。わずか8歳の幼帝堀河帝。それ以前なら外祖父たる藤原家の男が摂政関白として補佐、実権を握るところ、関白藤原師長は何の力も持てない。権力は天皇の父であり上皇となった白河のもとに。
摂関家藤原氏は没落への一歩を踏み出し、白河院の御所に武者たる源惟清が昇殿を許される。大河では松田聖子さんが演じている祇園女御はもともとこの惟清の妻だった。『双調平家物語』ではこの祇園女御の妹が清盛の生母とされている。
そして語られる清和源氏の嫡流、源頼朝の祖源義家の不運。
白河院の登場によって権力を殺がれた藤原氏、道長の孫である師実、さらにその孫である忠実(大河では國村隼さん)が登場する。


……はぁぁぁ。内容が濃すぎて「ぱらぱら」っとめくっただけなのに疲れた……。

確か孝謙帝のところまで読み返したし、ちょうど白河院出てくるから5巻の「保元の巻」から続きを読み返すことにいたします。

またそのうちしつこく感想書くかも(^^;)

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