本
『死ぬときはひとりぼっち』/レイ・ブラッドベリ
ちょうど亡くなられる時にこんなタイトルの著作を読んでいるというのも何やら因縁めいた気がしますが、しかし『ウは宇宙船のウ』の感想に書いたとおり、実は全然読んだことがなかった作家さんなので因縁を感じるなんておこがましい。
『死ぬときはひとりぼっち』。
まずこのタイトルがとても素敵です。惹かれる。
英語の原題は『Death Is A Lonely Business』。こーゆーところに「Business」という言葉が出てくるところがなんか、日本語とは発想が違うなぁ、と思ってしまいます。
「死」も「ビジネス」なのかと。
まぁ「Business」という単語には「仕事」だけでなく「事件」「ことがら」といった使い方もあり、口語では「やっかいなこと」という意味もあるらしいので、「死ぬってのは孤独(でやっかい)な作業さ」というような感じなのでしょうか。
チャンドラーやハメットに献辞が捧げられており、解説にも「ハードボイルド三部作」と紹介されていますが、あまり「ハードボイルド」な作品ではありませんでした。
ちょっと変わった叙情ミステリーというか。
主人公の「私」が全然ハードボイルドじゃないんだもん。27歳のかけだしの作家で、どっちかというと「ヘタレ」な男の子。
うん、なんか、27歳という設定よりずっと幼いような、まだまだ思春期の感じやすい坊や、っていう雰囲気。
まぁ「年齢」だけで人が測れるわけもなし、40過ぎてもアニメ・マンガ大好き、ちっとも“大人”になってないおばさんもいるわけで、「27歳だからこう」ということもない。
むしろティーンエージャーよりも「このまま小説書いてて大丈夫なのか、俺」という不安定さは強くなる年齢かもしれない。「いい加減大人にならなくちゃ」「食ってけるようにならなくちゃ」というプレッシャーは、10代より20代後半の方がずっと強いものね。
で、その27歳のヘタレ感漂う男の子がある夜、電車の中で奇妙な「死神」に出逢う。夜中の1時という設定らしくて、アメリカ(舞台はロサンゼルスの海辺の街ヴェニス、1949年)ではそんなに遅くまで電車が走っているのか、と。
そんな時間だから乗客は少なくて、その車両には私ともう一人、酔っ払いしか乗っていない。酔っ払いは「私」の後ろの席に近づいてきて、でも「私」は関わり合いになりたくないから決して振り向かず、無視を決め込んでいる。酔っ払いは「私」にちょっかいをかけたくて仕方がないのか、前の席の「私」の首に息がかかるほど身を乗り出してくる。
そして。
「死ぬときはひとりぼっちだ」と言って去っていく。
実に魅力的な導入部です。
そんな薄気味の悪い目に遭った「私」は気を静めるためにふだんは呑まないお酒を呑み、家まで帰る道すがら、運河に捨てられたサーカスのライオンの檻に死体が閉じ込められているのを発見する。
それから彼の周りでは失踪する者、死んでしまう者、当局に引っ張られていってしまう者……と不可解な不幸の連続。
感じやすい作家の心で「犯人はあの夜更けの電車の男だ!」と「私」は思うのだけど、しかしそんな話が警察に通じるわけもなく。
そもそもそれが「犯罪」なのかどうかも判然としない。ただの「事故」なのでは?
それでも「私」の話を聞いてくれる刑事のエルモ・クラムリー。このおじさんがなんかとてもいい感じ。困った甥っ子を温かく見守る叔父さん、みたいな。
「ぼくは作家だから、人間の内面についてはあなたより詳しいです」
「下らん。おれは刑事だから、事実についてはきみより詳しいよ。きみは事実がこわいんじゃないのか。事実にぶつかると混乱するだけじゃないのかい」 p46
「私」とクラムリーのこんな会話、いいです。
途中でクラムリーも実は小説を書いているということがわかって、ちょっと苦笑。
「私」はブラッドベリ氏自身の投影だと思われるんだけど、クラムリーももしかしてそうだったりするのかしら。最後に「私」が過去の(12歳や19歳の)自分の幻を見て、「未来のことはわからない」と言うのだけど。
この作品、1985年に刊行されていて、その時ブラッドベリ氏は65歳。この人ホントにずっと「少年」だったんだなぁ、と読み終わって思いました。『ウは宇宙船のウ』と同じ、「少年」の香りがする。
「私」の周りの、ちょっとエキセントリックな人達。その人達を襲う事故だか事件だかわからない不幸。ミステリーや謎解きというよりも、そういう一風変わった大人達と若者との交流を描くのが主眼のような。
読んでいると、「“犯人”なんているんだろうか?あの冒頭の酔っ払いは本当に“死神”だったんじゃないのか」という気がしてくる。あるいは、「私」自身が無意識に“犯行”を行ってしまっているのじゃないか。
美しい声と素晴らしすぎる肉体(体重150㎏だか170㎏だか)を持つ元オペラ歌手は「私」に向かって「災厄を持ち込まないでね」と言う。「人の死は持ち込んだり持ち出したりできるものじゃないだろう」と答える「私」。
「いいえ、できますとも。(中略)目は人を殺せるのよ。目と目が合って、ああこいつは殺されたがってるなと分ると、悪党はあとをつけて来ますからね」 p58
うん、なんか、わかる気がする。
結局最後に明かされる事件の真相も、それに近いことだし。
ハッピーな気分でいれば、生きていることを楽しんでいれば、死神は遠ざかっていく。そして逆に、孤独や悔恨や不安は死神をおびきよせる……。
もっと思いきりハードボイルドでありえないくらいピカピカの気障の方が好きだけど、でもなかなか楽しめました。
続きの『黄泉からの旅人』、『さよなら、コンスタンス』も読まなければ。
往年の名女優コンスタンス・ラティガン。変わり者だけど魅力的な彼女に最後は「さよなら」しちゃうのか……。
「結婚して」とコンスタンスが言った。
「今度生れ変わったらね」と私は言った。
「そう。それも悪くないわね」 p260
あ、そうだ。最後369ページに「全くの混乱の熊で喋り出した」って箇所があるんだけど、これって「混乱の態で」の間違いだよね?
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