2013年1月13日日曜日

『失われた時を求めて』第2巻/プルースト(古典新訳文庫版)



(1巻目の感想はこちら

1巻目がそんなに面白いわけではなかったので、2巻目を買ったものの1年間ずっとほったらかしてました。(2巻目の刊行は2011年の12月)。

正直もう読まないでタンスの肥やしならぬ本棚の肥やしにしようかなぁと思ってたぐらいなんですが、美容院の待ち時間に読むための文庫本を切らしていて、「しょうがないな」という感じで手に取ったのです。

そうしたら。

あれ?面白い(笑)。

2巻目の大半(本編579ページ中475ページまで)が「スワンの恋」という部分で、ここが予想外に面白いんですよ!

1巻目は語り手である「私」の少年時代の回想で、基本的にこの「失われた時を求めて」は「私」の一人称で書かれた作品なんだけど、この「スワンの恋」のところだけ三人称。

特に事件が起こるでもない少年の日の日常の回想に比べ、大人の男女の恋愛話なんだから、まぁそれだけでもだいぶ印象が違います。

相変わらず文章は激しくだらだらだけど。

でもこのだらだら感、過剰な比喩や言い訳やあっちこっち飛ぶ関係あるんだかないんだかわからない芸術の話、いちいちのくどくどしさが、「恋愛」の「堂々めぐり感」を驚くほど如実に表現して、「これこそ恋の本質」という気にさせる。

「恋」、それも「片思い」って、同じところをぐるぐるぐるぐる回るでしょう。あの人のあの言葉はこういう意味かしら。でもやっぱりこうかしら。ううん、あの人だって私のこと全然嫌いというわけでもないはずだからきっとあの言葉は、でも……と。

周りの人間からしたらバカバカしいぐらいぐだぐだぐだぐだ一つの言葉、一つの表情で思い悩めるのが「恋」という病。

スワンというのは1巻目でも出て来た、「私」の祖父の知り合いで、この「スワンの恋」の部分は「私」が生まれる以前のお話。だから「私」の一人称では書けるはずもなくて、三人称なんだけど

1巻目を読んだのが2年も前で、正直スワンさんがどーゆーキャラクターなのか、なぜいきなりスワンさんのコイバナになるのか、全然わからないんだけど、そもそも1巻目を「わかった」わけでもなかったので、読み始めると読み進められてしまう。

古典怖い(笑)。

スワンさんはプリンス・オブ・ウェールズ(イギリス皇太子)ともお知り合いの上流階級のぼんぼん。付属の栞では「ユダヤ系公認仲買人の息子でパリ上流社交界の寵児」と説明されています。

本人は特に職にはついていないようで、優雅にフェルメールの研究などしている。

なのに女に月5千フランとか余裕で渡せるんですよ。世の中どうなってるんでしょうか。

そんな「金持ちのぼんぼん」スワンが熱を上げるのが高級娼婦のオデット。

最初スワンはオデットのことをそれほどどうとも思っていないのだけど、ふとしたきっかけから彼女を「いいな」と思うようになり、そして「いつでも会える」と思っていたのが入れ違いで会えない夜が来て、「なんとしても彼女に会わなくちゃ!」と街を奔走し、決定的に恋に落ちてしまう。

この、「会えない夜」に一気に恋情が進むっていうのが、実になんともありそう。

「不在」が、よりその「存在」を強く印象づける。

いなくなって初めてわかる、というか。

特にうまいのが、「入れ違いになったけどここへ寄れば会えるかもよ」ということになっていて、で、そこに行くのにやっぱり会えないところ。

意地になっちゃうんだよね。

こうなったら会えるまで探すぞ!って。

そうやって探し歩いてるうちに、自分で自分に「今夜彼女に会えなければ僕はもう終わりだ!」という暗示をかけてしまう。必要以上にオデットが――オデットに会うことが重要になってしまう。

結局スワンはめでたくオデットに会うことができて、その夜初めて二人は「カトレア」をする。

これ、要するに「ベッドをともにする」ってことなんだけど、その夜オデットが胸元に挿していたカトレアの花を直すところからいい感じになったので、その後二人の間で「カトレアする」が「ベッドをともにする」の隠語になったという。

これを読んだ当時のフランス人の間でも「カトレアする」って流行ったのかしらね。

その夜まではどちらかというとオデットの方がスワンに好意を持っていて、むしろスワンはオデットと少し距離を置いている感じだったのが、ここから「君なしでは僕はもうにっちもさっちも行かない!」というふうになって、二人の立場が逆転する。

あとは300ページ以上、オデットと自分の恋心に振り回されるスワンの描写。

オデットは「高級娼婦」なので、スワンと出会う前も今も、複数の男達と関わりがあるわけです。必ずしもスワンだけが「いい人」じゃない。でもスワンはもちろん自分を「オデットにとっての特別の相手」と思いたいので、「そうではない」という傍証が現れてきてもなるべく見て見ぬふりをして、オデットの気を惹くため&オデットの機嫌を損ねないため涙ぐましい努力を続ける。

さすがに後半は「もういい加減気づけよー。ってかもうさっさと諦めろ」と思って、だらだらどうどう巡りにうんざりしてきました。

でもスワンがようやく冷めてしまう過程、「恋が冷めることを怖れる」気持ちの描写は「わかるなー」という感じで。

プルーストさんはどんだけ恋愛経験が豊富だったんでしょうか、ホントに。

で、オデットへのスワンの恋は終わったかと思いきや。

再び語り手が「私」になり、その少年時代の回想となる「土地の名・名」の箇所。

「私」はスワンの娘のジルベルトに恋をして、そしてそのジルベルトの母親はオデットなのです。つまり、オデットはスワン夫人に収まっている。

あれ!?

恋が終わった後、どのようにして二人が正式に夫婦となったのか、それはこの先きっと語られるのでしょうが、とりあえず「土地の名・名」は「私のコイバナ」です。

一恋去ってまた一恋。

100ページくらいの分量なので、うんざりはしませんが、「まぁた女に熱を上げる話か」という。

読書ガイドによるとこの「土地の名・名」での「私」は15歳くらいだそうで。1巻では8歳~10歳くらいだったらしい。おませなガキだったわりに、15歳で女の子達とシャンゼリゼで「人取りゲーム」(花いちもんめみたいなものかな?)に興じてるって。

よくわからない子です。



1年ほったらかしていたのでもうとっくに3巻目が出ていると思ったらまだでした。岩波版はもう4巻目まで出てるのに…。3巻目、この春ぐらいに出るというふうに古典新訳文庫のTwitter垢さんがおっしゃっています。




1年に1冊ペースより遅いって、全14巻が完結するのはいつになるのでしょうか。まぁ、他にも読みたい本いっぱいあるし、忘れた頃に出てくれる方がいいのかもしれませんが。

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