2013年4月28日日曜日

『狂言サイボーグ』/野村萬斎



ずっと気になっていた萬斎さまのご本が文庫化されたので、1も2もなく買いました♪

の割には読むの後回しになってたけど(苦笑)。

単行本は2001年に出ているので、内容も、萬斎様がかなり若い時に書かれたもの。

特に、「クロニクル」としてはさまれている、「ござる乃座」パンフレットの文章は、まだ萬斎襲名前の「武司」名義のものから収録されていて、うわぁ、と思います。

……野村武司さん時代のことって、ほとんど知らないのですよね……。

1987年から1994年までのパンフ文章が「武司」名義。1987年っていうと、まだ昭和で、私もぎりぎり10代で、萬斎様もやっと21歳。

ああそれなのにそれなのに。

文章が、すごくしっかりしてる。

日本語も、それが語る内容も、とても二十歳そこそこの若者のものとは思えないのですよねぇ。自分が二十歳ぐらいの時のことを考えると信じられないどころか、40過ぎた今でも全然太刀打ちできない「質」。

クロニクル以外の部分は日経に連載されたらしいエッセイなのだけど、これがまた本当に素晴らしくて。2000年ぐらいに書かれたとしても、萬斎様まだ34歳ぐらいですよねぇ。いやはや。

「狂言と「腰」」とか「狂言と「狂」」「狂言と「声」」とか。

観察眼や分析能力が素晴らしいし、それをたいして長くもない分量にきちっとうまくまとめる文筆の才。

天は二物も三物も与えるのかぁぁぁ。

狂言の家の子に生まれて、否応なく3歳から狂言をやらされて、「伝統芸能」と「現代」のはざま、「狂言師」と「普通の子ども・若者」とのはざまで葛藤したからこその、この「観察」「分析」なのでしょうけれども。

今の時代に「伝統芸能」の家の子に生まれるっていうのは、ホントに嫌でも色々考えざるを得ないでしょうからねぇ。「家業」や「受け継いでいくべき伝統」などというものとは無縁にのほほんと育ってきた私ごときとはそりゃ違いますよね。

で、萬斎様は自身が幼少の頃から受けた「狂言」教育を、「父によってプログラミングされた」という言い方で表現されるのです。

狂言の「型」をプログラミングされたサイボーグ。この発想って面白いし、言い得て妙という気がします。

解説で斎藤孝さんがおっしゃっているように、この本は「狂言」を語ると同時に「身体論」、それも日本古来の「身体論」になっていて、ともすれば「頭でっかち」になりがちな現代人にはとても刺激的です。

「笑い」の型によって「笑って」いれば、別に何も面白いことがなくてもスイッチが入ったように「楽しい気分」になってくるとか、西洋の舞踊は腰(骨盤)を上に向けて立つが、日本人は下に向けて立つとか。

前者の「身体の型」が「感情」をコントロールするというの、すごく面白いですよね。私たちは往々にして「悲しいから涙が出る」とか「楽しいから笑い声が出る」というふうに考えているけど、本当に「感情が先」なのかという。

「心」が「身体」をコントロールしているという単純なものではなくて、「心」と「身体」というのはもっと不可分なものではないか。

私はもう10年ほど整体ヨガ教室に通っているのですが、その整体ヨガの先生がよくおっしゃるんですよ。「胸を開けば自然と前向きになる」。うつうつとした暗い気分の時には自然と猫背っぽく、胸が閉じている。そして、胸を開いて颯爽とした姿勢ではなろうと思ってもあまり暗い気持ちになれないと。

「臍下丹田に力を入れる」とか「天から吊り上げられてるつもりで立つ」とか、萬斎様が語られる狂言の身体技法と通じることが色々あって、「一緒なんだなぁ」と感心します。

バラエティ番組等でときおり披露されていますが、萬斎様の足腰の強さにはびっくりします。狂言師の身体能力すげぇー!と。

本書には萬斎様の足の写真が収録されていますが、三点倒立のように三箇所に「座りダコ」ができていて、うわぁと思います。狂言師の身体能力すなわち日本古来の「身体の使い方」の技法はなかなかにとんでもない。

武道必修よりも狂言ワークショップを取り入れた方がいいような気がしますね、義務教育。危険も少ないし。身体技法だけでなく、狂言の発声法、「日本語」の修練としてもすごくいいと思うのですが。

「型にはまる」とか、「形から入る」みたいなことはあまりいいように言われない昨今ですが、「型破り」というのは「型」を知っていればこそできることでもあり。

ドレスコードみたいのも、たとえば振り袖やタキシードで行儀悪く立ち振る舞いできるか、っていう、「型」「外側」が「内面」をコントロールする側面がある。「内面」さえしっかりしていれば「外側」はどうでもいい、というほど、人間は「内」と「外」、「心」と「身体」が分離していないのだろうと思います。

「この身体」込みの「私」であるわけですから。

人体は一種のハードウェアのようなものだ。知識ではなく身体で「型」や「カマエ」といったソフトウェアを体得させた精巧なコンピュータを持っていれば、実はそれだけ個性を発揮する力にもなる。 (P11)

自由を求める自我と伝統という強大な枠組みの葛藤。しかし囲いがあるからこそそこに遊戯の精神が生まれ、逆に自由に表現できることを修行が終わる頃になってやっと知る。 (P172)

若い(おそらく単行本出版時2000年頃の)萬斎様の写真も楽しい、素敵な1冊です。

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