別巻2冊目。

こちらもあっという間に読んでしまいました。『ドロテ』より分量が少なかったし。

なんというか、不思議なおかしみのあるお話でしたね。ルブランさんらしいジェットコースター展開なんだけど、主人公がルパンやドロテとはまったく違う、冴えない&頼りない男で、終始受け身。

なんせ最初の章題が「小説の主人公(ヒーロー)が、かならずしもいつも英雄(ヒーロー)的ではないことについて」ですから。

他の章題もなかなかにふるっていて、「われわれにとっては、拷問の動機より幸福の動機を知ることのほうがむずかしい」とか、思わずニヤリとさせられちゃうんだけど、ルブランさんの原著にも同じ章題がついているのか、それとも訳者さんがこの翻訳にあたってオリジナルでつけたのか……。

『バルタザール』の翻訳紹介はこの偕成社版が初めてらしく、今のところ最後でもあるようなので、他の翻訳と比べることはできないんですよね。なので同じ章題が原著にもあるのかどうか、ちょっとわかりません。

で。

物語の主人公はさっきも言ったとおり、30手前くらいの冴えない男バルタザール。貧民街の、大樽を住居にした「ダナイデス荘」というところに住み、「日常哲学」といったいっぷう変わった信条を女子学院で講義したりしています。

なので自称は「教師」。

幸福は過度のよろこびや過度の激情のなかにあるのではなく、些細なものごとや平凡なものへの愛着のなかにあります。 (P34)

という、バルタザールの「日常哲学」は芥川龍之介の「人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなければならぬ」(『侏儒の言葉』より)という言葉を彷彿とさせます。

なかなか深いなー、と思うのですが、「過度の激情」を否定して「アバンチュール(恋愛だけでなく、おそらく“冒険”全般を指している)なんてないんだよ」と言うバルタザールが、否応なく「非日常の冒険」に巻き込まれていくのが皮肉。

バルタザールはお金持ちの商人ロンド氏の娘ヨランド嬢のところに「日常哲学」の個人教授に招かれ、なぜかそのヨランド嬢に惚れられ、「結婚しましょう!」と言われてしまうのですね。

(ちなみにこのヨランドって名前、ドロテといっしょだったりします。ドロテの本名はヨランド=イザベル=ドロテです)

で、別にバルタザールの方はヨランド嬢が大好きってわけでもなかったんだけど、まぁ良家の子女に惚れられて悪い気はしないというか、「じゃあ結婚しましょうか」って感じで父親に挨拶に行って、「おまえみたいなどこの馬の骨ともわからん奴に大事な娘をやれるか!」と怒鳴られるわけです。

「どこの馬の骨」とは失礼な、というわけでバルタザールはロンド氏に反論するため自分の父親について調べ始めます。

……というのは正確ではなく、「調べよっかな」と思った矢先、父親の方から手紙が来るのですね。

バルタザールはものごころついた時にはみなしごで、父のことも母のことも何も覚えていません。そこへ、ロンド氏の話とタイミングを合わせたように、「おまえの父より」と書かれた手紙が来る。

しかもその手紙には、「とある森の柏の老木のうろのなかにおまえへの遺産がある」と書いてあるのです。

柏の木の中に財宝って、イン・ロボール・フォルチュナじゃん!(『ドロテ』を読んでいるとここは反応せずにはいられない)

しかしまだこれで驚いてはいけない。

その手紙から始まって、バルタザールの前には「父」と名乗る人物が次から次へと現れてくるんです。しかもみんながみんな、バルタザールの胸元の刺青と指紋を照合して、「間違いない!おまえこそわが息子!!」って言う。

一体誰が本当の父親なのか?

しかもその「父親」が大泥棒の殺人者だったり、戦争中のどこやらのパシャだったり。

最初は父や母がわかって感激していたバルタザールも、だんだんわけがわからなくなり、あげくには「自分の母」に殺されかかって

コロカントや、わたしはもう、わたしの幸福が父や母を見つけだすことにかかっているとは思わなくなったのだよ。 (P172)

という心境になります。

コロカントというのは、バルタザールの面倒を見てくれている女の子の名前なのですが。

この子が実に、可愛い。

健気。

バルタザールはコロカントなしでは、やっていけなかっただろう。彼はいまでも彼女のことを、はじめのころと同じように、女の子として見ている。しかし、いまやその女の子は、彼にとって欠くべからざる存在になっている。しかもそれは、家政婦兼秘書・兼衣裳方・兼召使い・兼忠犬といった人間によってはじめてできるというような、欠くべからざる存在。それでいて、彼女はそれ以上のことをしたい、なぞとはいわないのだった。 (P32)

二人は6年前に出会ったそうで、今でも「女の子」と表現されているところを見ると、やっと16歳とかそんなぐらいなのでしょう。

この、「家政婦兼秘書」のコロカントは、バルタザールのことを「先生」と呼んで尊敬し、愛していて、彼の「日常哲学」の講義にもただ一人うっとり耳を傾けていたりします。

彼女はバルタザールの「父親探し」の冒険にも同行し、頼りない先生に代わって危険を察知したり、「必ず先生を見つけますから!どんなことをしても必ず!」と言ってその通り絶体絶命のピンチからバルタザールを救い出したりするのです。

なんか、読んでる時に「三代目明智小五郎」を思い出しました。頼りない先生としっかり者の助手の女の子。

コロカントは本当にバルタザールのことが大好きなんですよね。

そしてバルタザールも、コロカントと離ればなれになって敵に捕まっている時に、心の中でコロカントに話しかけたり、「ここにコロカントがいれば」と思ったりしているのです。

最初から彼にとっても「欠くべからざる存在」なんだけども、「はじめの頃と同じように女の子として見ていた」なので、恋愛対象とは全然思っていない。だから彼女の気持ちにもまったく気づかず、「これでヨランド嬢と結婚できる」とかのほほんと口にしてしまう。

そんなバルタザールに直接「結婚しないでください!」とは言えず、

あのかた(ヨランドのこと)は先生の身のまわりの品をかたづけたり、先生のコーヒーをよういしたり、先生をいらいらさせ困惑させる、たくさんの些細でわずらわしいことから、先生を守ることができるでしょうか? (P59)

と、ただ「あなたのことが心配です」とだけ言うコロカント。

健気や(涙)。

まぁ、最終的には数々の「受け身の冒険」を経たバルタザールも自分の気持ちに気づくわけで……。っていうか、バルタザール、自分がヨランドと結婚してもコロカントは当然自分と一緒にいる、と思ってたんだよね。「え?離ればなれって何言ってんの?おまえとヨランド嬢はうまくやっていけると思うよ」とかって。

アホか(爆)。

自分の気持ちに気づくずっと前に、「ふたりだけの孤独といううれしさ」まで感じてしまっているというのに。(この、193ページに出て来る「ふたりだけの孤独といううれしさ」っていう言葉、すごく好きだなぁ)

父親探しの冒険の果てに見つけたものは、本当の父が誰か、というような話ではなく、また、その父から受け取る財産でもなく、ただ、身近でいつも自分を見守っていてくれた大切な人の存在でした、という、言ってみれば「青い鳥」のような結末。

ふふっ。

でもヨランド嬢にはどうやって断ったんだろう。自分が貧乏なみなしごの女の子に負けたと知ったら彼女は……!? そもそもヨランド嬢はバルタザールのどこに惚れたのか、なんでバルタザールを選んだのか、さっぱりわからない(描写がない)んだけどね。

なぜバルタザールにはそんなに大勢の「父と名乗る存在」がいたのか、という謎については、最後にきちんと解明されます。「これ、どうやってオチがつくんだろう」と思ったんだけど、さすがルブランさん、「なるほどそーゆーことか」と納得。

自分のルーツがわからない、っていうのはもちろん苦痛だろうけど、でも本当に大切なのは過去じゃなく今、そして未来だろ、っていうルブランさんのメッセージのようにも感じます。

ちなみにこの作品は1926年の刊行。23年の『カリオストロ伯爵夫人』と27年の『緑の目の令嬢』の間に位置する作品です。

あと。

バルタザールの身辺調査をする探偵社の名前が〈XYZ探偵社〉なのが、ちょっとツボでした。まさかシティハンター!?