ルブランさんの『女探偵ドロテ』が大変面白く、ルパンとドロテが絡む架空の物語を日本人作家が書いていると知り、借りてきました。

瀬名秀明さんの『大空のドロテ』。全3巻。

お名前は存じ上げていますが、瀬名さんの著作を読むのはこれが初めてです。

「日本SF作家クラブ50周年記念作品」だそうで、「え?ルパン物が“SFクラブ”の記念作?」と思ってしまいました。ルパン物って、SFではなくミステリーじゃないの、と。

ルパンシリーズを題材に、架空のファンタジーを紡ぐという意味では、「SF」でいいのかな。「その時代の科学でそんな物が!?」というものが出てくるとはいえ、あまり「サイエンスフィクション」というお話ではなく、冒険ファンタジーという趣き。

第一次世界大戦後の世界情勢がけっこう絡んでくるという意味では、「歴史ファンタジー」とも言える。

うーん、まぁ、面白くないことはないんですけど。

「好きか」と言われれば別に、というか。

やっぱりルブランさんの書いたものの方がいいや、っていう。

『女探偵ドロテ』では21歳だったドロテがたったの12歳になっていて。

ただの「綱渡り芸人」ではなく飛行機を使った「翼渡り芸人」になっていて。

瀬名さんは実際にパイロットの免許を取ったらしく、飛行機の操縦描写などかなり細かく真に迫っているんですが、そういう部分に興味のない私としては「読むのめんどくさいなー」と。

あまり時間がなかったせいもあって、かなり読み飛ばしました。ごめんなさい。

機械もの大好きな人にはそこの描写がたまらないんでしょうけどねぇ。飛行機の状態、空や地上の様子を描くことで心理をも描いてる部分があるんだろうけど……苦手だ……。

12歳のドロテは『女探偵ドロテ』と同じく「イン・ロボール・フォルチュナ」のメダルを持っていて、全部で5枚あるそのメダルをルパンが狙っているという設定。

そしてドロテは「ルパンの娘」なのではないか?という……。

ドロテとめぐり会い、ドロテとメダルの謎に巻き込まれる少年ジャン。

14歳の少年ジャンは、飛行機を作っていた父や祖父の血を引いて、自分も飛行機を作りたいと思っている。

なんというか、「これってナディアじゃん」みたいな。

『ふしぎの海のナディア』のナディアとジャンにかぶるんですよねー、ドロテとジャン。

ブルーウォーターを狙われているナディアと、「イン・ロボール・フォルチュナ」のメダルを狙われているドロテ。なんだかよくわからないけど一目惚れに近い感じで女の子を「守らなくちゃ!」と思う、「飛行機少年」のジャン。

実はネモ船長の娘だったナディアと、ルパンの娘ではないかと疑われるドロテ。

「イン・ロボール・フォルチュナ」の財宝が、この作品では「神の光」と呼ばれるとてつもないレーザー兵器みたいなやつ(の設計図)になってて、当然その兵器は悪者に悪用されるんだけど、これがまたネオ・アトランティスを彷彿とさせるんだなぁ。

ジャンが「飛行機少年」なのは、時代(1919年)の問題であって、別に『ナディア』を意識したものではないのかもしれないけど……、いや、「SF作家クラブ50年」のお祭り企画としては、ルパンのみならず「ナディア」のパロディということも狙っているのかしら???

途中ジュール・ヴェルヌの作品にも言及されますし(『海底二万里』ではなく、『征服者ロビュール』と『世界の支配者』)、うーん、わざとかも?

「ジャン」という名前自体は、ルパンの息子の名前でもあるので、そっちと同じにしたんでしょうけれど。

ちなみに『ナディア』は「1889年」という時代設定らしく、この『大空のドロテ』とはちょうど20年の開きがあります。

で。

1919年のアルセーヌ・ルパンは、『虎の牙』事件の真っ最中です。

メダル事件と『虎の牙』事件が並行して進み、ルブランさんの本には書かれていない『虎の牙』事件の真相、ひいてはドン・ルイス・ペレンナの真実が描かれます。

うん、まぁ、ルパンシリーズを先に読んでいた方が、面白いですよね。ルパンの名前だけしか知らない人には、色々とわかりにくいんじゃないかな。

『虎の牙』だけでなく、『813』事件の真相も暴かれるし、『813』に出てきたルパンの隠し子のジュヌビエーヴ・エルヌモンとか、『ルパンの結婚』(短編集『ルパンの告白』所収)のアンジェリクとかもちょこっと出てきて、ルパンファンには「おおーっ!」なんだけど、知らない人にはきっと「何のことやら」でしょう。

ルパンシリーズ全部読んだ人間としては、よくまぁこれだけ突っ込んだな、って感心してしまうぐらいです。

『ハートの7』の潜水艦とかホントにねぇー。

ネタバレすると面白くない冒険ミステリーですから、あまり詳しくは書きませんが、本作には「3人のルパン」が登場します。

誰が「本物のルパン」なのか。

「本物」とか「偽物」ということに、どれほどの意味があるのか。

1919年というのは、第一次世界大戦が終わって、ヴェルサイユ講和条約が締結される年で、「フランスの英雄」ルパンの敵の中には、ドイツの若者も混じっています。

講和条約で、ドイツは莫大な賠償金を請求されます。過酷な講和条件に対する不満がやがてはナチスを生むことを考えれば、当時のフランス等戦勝国の振る舞いは本当に「正義」だったのか、愛国者ルパンは「愛国者」であるがゆえに、他国の人間から見れば「敵」ではないのか――。

ルパンはアフリカ北部の「モーリタニア」を一人で征服してしまって、その「ルパン帝国」をフランス国家に譲り渡したりしてるんだけど、考えたらそれも無茶な話で、アフリカの人々にとってルパンは「正義」なのかという。

ルパン個人の魅力に惹かれて「協力しよう」と思ったアフリカの人たちが大勢いたとしても、「自分達とその国土がフランスという国家のものになる」のはまたまるで違う次元の話であるはずで。

ルパンの英雄譚はおとぎ話としては「あり」でも、現実世界の中ではどうなのか。

必ずしも「ルパン万歳!」という作品ではないのですよねぇ、これ。

「ルパン万歳!」なわたくしとしては、そこも「好き」とは言えないところ。テーマとしては嫌いじゃないけど、ルパンを題材にしないで……みたいな。

主役はあくまで子ども達、っていうのもね。ルパンファンとしてはこう、いまひとつ。

「未来への希望は子ども達にある」っていうことを言いたいのはわかるし、『ルパン、最後の恋』でもルパン本人が子ども達の教育に力を注ぎ、その“未来”に希望を託していたけど。

残念ながらもう、12歳と14歳のカップルに感情移入できるような年じゃなくなっちゃったというかなぁ。

21歳の『女探偵ドロテ』がとても好きだったからなぁ。

まったく別の作品として読むべきだとは思うんだけど、でもやっぱりむずむずしちゃう。

むずむずすると言えば。 

1919年舞台の「本編」とは別に、最初と最後、そして途中に「1963年」が差し挟まれるのですが。

これ、要る?

とある作家が大作家のところに対談しに行って、その大作家がドロテの話(本編)を語るという体裁になっていて、ルパンとルブランの関係等を説明する、いわば「狂言回し」的な部分なのだけど、別にそーゆーのなくいきなり「本編」でもわかるんじゃないのかな。

何よりこの「大作家」さんが無駄にエロい爺ぃで「少年と少女のすがすがしい冒険活劇」に水を差す。

最後には「実はこの二人の正体はこの人たちでした!(二人とも実在の作家)」というオチがついていて、まぁ、楽しい人には楽しいんだろうけど、私には蛇足に思える……。

「1963年」というのは「日本SF作家クラブ」創設の年で、この作品が「日本SF作家クラブ創立50周年」を記念する作品として刊行されていることを思えば、まぁ、「1963年」をうまく入れ込んだ、ってことにもなるのでしょうけれど。

うーん。

微妙でした。