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※以下ネタバレあります!これからご覧になる方はご注意ください!!!


(セリフ等記憶違いも多々あると思われます。また、感想というより妄想な部分も多いです。ご承知おきの上お読みください)



公開初日、裏ニノマエデー11月1日に観てまいりました!

でもあまりすぐネタバレしない方がいいだろうと思い、今日まで感想公開を自重しておりました。

いやぁ、「漸」は野々村係長のための映画でしたねぇ。泣かせてもらいました。

係長で泣いて吉川で笑って。

あっという間の1時間34分、でも中身がとっても濃くて、どこから書いたらいいのか悩んでしまうのですけども。

野々村係長がね、あんなことになってしまうなんて。

『天』の最初と最後、雅ちゃんへの手紙で「君がこれを読んでいるということは…」と言ってらっしゃいますから、係長の運命はまぁすでに予言されてはいたのですけども。

最期がね、ホントに泣けるんです。

「とっくの昔に死んでいるはずなのに!」その肉体をスペックホルダーに操られ、未詳の仲間達のところへ戻ってくる係長。「おまえは誰だ!?」と正体を見破られ、操り主は当麻を人質に取り、当麻の首を絞めようとする。

けれど。

「やらせはせん!やらせはせんぞ!」(これってもちろん“ドズル”ネタよね?)と係長の意志が、操られる肉体を凌駕する。

「肉体は滅んでもデカ魂は滅びぬ!」と、スペックホルダーの支配を脱する係長。その肉体からすり抜けようとする謎のスペックホルダーを必死で捕まえ、「撃て!俺を撃て!!!」と瀬文たちに。

格好いいにもほどがある。

『太陽にほえろ!』をリアルタイムで観ていたゴリさんファンとしてはもうたまりません。ゴリさんの時からホントに素敵な刑事さんだったけど、「わしの子ども達をやらせはせん!」――ほんと刑事役の集大成というか。

素晴らしい。

「肉体がとっくに死んでいても、“想い”はそう簡単に殺されない」っていう世界観も、大好きだし。『天』の時に瀬文さんが言ってたものね。「進化や進歩より大事なものがある。それは人の“想い”だ」って。

今回、漸ノ篇の(つまりは『結』の)オープニングでも、「想いが世界を存在させる」「そして時間が生まれ…」って言葉が入ってて、植田プロデューサーの世界観は他人とは思えない(笑)。

植田Pって、私より一つ年上なだけで、同世代なんですよね。ノストラダムスが流行って、惑星直列だのファティマ第三の予言だのがやたらに取り上げられ、「1999年に地球は滅亡する」って子どもの頃に刷り込まれた世代なんです。

もう、2013年になっちゃってますけど、「世界は終わってしまう」っていう恐怖感はまだしっかりと根を下ろしてて、人格に影響を与えている気がする。

「世界の終わりは決まってるのになんで人間は抵抗するんだ」みたいなセリフが劇中に出て来るけど、「1999年地球滅亡」なんて言われた子どもとしては「じゃあ何のために俺たち生きるの?」って思ってたわけで。「1999年より先のことは考えなくていいか」とか。

たとえ地球が滅亡しなくたって、「どうせみんな死んじゃうのになんで生きてるんだろ」って話はあって、私は幼稚園ぐらいですでにすごく「死ぬ」ってことが怖かったです。自分が死ぬのはもちろん、父も母もみんな死んじゃうんだってことが。

まぁ、植田Pの心の裡は存じ上げないので、実はノストラダムスとか全然関係ないかもしれませんけどでもファティマ予言だし……。

「なぜ人間はあがくのか」というセリフの答えとして、野々村係長の「ダメもとの奇跡」が描かれる。

「ダメでもともと。でもやってみればできるかもしれない」

これってこの先の――爻ノ篇で起きる「奇跡」を暗示してるんじゃないのかな。

たとえ「終わり」がわかっていても、その時までは全力を尽くすのが人間で、そしてもしかしたら、そのことで未来は変わるかもしれない。終わりを先延ばしすることはできなくても、たとえ自分自身は死んでしまっても、子どもや若い世代を通じて「未来を想う」、それができるのが「人間」。

係長が「わしの子ども達」と言って未詳の仲間に後を託すのも、雅ちゃんに「生きろ」と言うのも。

さっきも言ったけど、人間ってそもそも「自分がいつか死ぬ」ってことは知ってるんだものね。「いつか終わりが来る」、結局すべては消えてしまう、ってわかってて、それでも日々を生きてるのが人間。「終わりがわかっているんだから何もする必要はない」だったら、人間は「自分も死ぬ」ということを理解した時に、もう生きる意欲をなくして自殺するか自暴自棄になるか、になっちゃうよね。

何をしてもしなくても、結末は同じかもしれない。結局何も残らないかもしれない。

でも。

信じたいのが人間だろう。

「ダメでもともと」――諦めず試してみれば、吉川さんだって蘇っちゃう。

もう、ホントに笑かしてもろたわ。

『結』に吉川さんが出て来るらしいと聞いた時に、「フリーズドライされたんだからお湯かけたら元に戻るとかか?」って思ったんだけど、そのまんまで(笑)。

「お湯かけて揉む」

マダム陽から「こうすれば蘇生するかも」と連絡があったらしいんだけど……どのタイミングでその連絡来たんだろうね。『天』で当麻と瀬文さんにやられる前、自分の死期を悟って遺書代わりに?いやでもそもそも吉川のミイラ死体をまだ葬儀もせず置いてあったということだから、吉川をミイラにしてすぐ連絡したってことなのかしら。

ともあれ。

まだ少し凍ってる設定でシャリシャリ言う吉川さん、もとから面白いキャラだったのにさらにパワーアップ。泣ける場面でも彼を観ると笑わずには!

北村一輝さん、ほんとすごいわ。役者やわ。


冒頭の地球に光がピカーっ!という映像と言い、ブレーンワールド理論に「ガイアの意志」といった内容といい、テレビシリーズの時には予想もしなかった「SF超大作」になっててビビるんだけど、でも「SF超大作」でありながらしっかり「刑事モノ」っていうところがまた『SPEC』の面白いところだなーと思います。

実際にはそんな国際的・SF的陰謀に一介の刑事が関われるとは思えないし、「捜査する」と言ったって、「犯人」を捕まえられるとも思えない。

でも、「刑事として事件を追う」っていうことが、荒唐無稽なストーリーを「地に足つけたもの」にしてるんじゃないかな。「日常」との接点というか。

超能力者同士がただ殺し合う話じゃない、っていうのかなぁ。

スペックホルダーではない瀬文さん(彼の“不死身”は十分スペックだと思うけど)、吉川さん(彼も生き返ったという意味で一般人じゃないか(笑))、雑魚キャラトリオの皆さんがいることの意味。

野々村係長の死で「日常」の重しが取れて、爻ノ篇は「SF超大作」部分が大きくなってしまうのかなぁとも思うけど。吉川さんや雑魚キャラトリオの奮闘を期待したい。

まぁ、係長って、ずいぶん「上」の事情に通じていたようだし、彼を「一介の刑事」「日常の重し」と言うのはおかしいのかもしれないけど。でもあくまで彼は自分を「デカ魂」の人だと規定していたでしょ。

本当のところ係長はどこまで知っていたのかなぁ。「御前様」の正体も知ってたんだろうか……。

今回雅ちゃんにもシリアスな場面があって。

「いい女に育った」って思いました(笑)。

雅ちゃん、最初はただのネタだろうと思ってたのに、「生き抜いてくれ」と未来を託される相手にまでなるんだもんね。

パンフで架純ちゃんが述べてるように「この子はホントにこおっちのこと好きなのか?金目当てじゃないのか?」って思ったりもしたけど(笑)、最後はちゃんとそこに「愛」があることが描かれて。霊安室に入ってくる喪服の雅ちゃん、せつなかった。あの、手紙を読んでるシーンが黒ずくめなのも、ずっと喪中なのかもしれない…。

パンフと言えば、パンフは映画見終わってから買った方がいいです。ぱらぱらっとめくるだけでも思いっきりネタバレな写真が出てきてしまいますから。もちろんネタバレしてても十分楽しめる、何回見ても面白い作品だと思いますけど。

『天』と同じく、当麻と瀬文さんが屋上で……というシーンがあって、「あの二人はLOVEになっちゃいけない」と思いつつ、やっぱりどうしようもなくLOVEシーンだ!と思ってしまいました。

係長の行方を捜すためにスペックに頼ろうとする当麻。でも、使おうとすると暴走する左手。必死でその暴走を抑え込み、「ビビってる、あたし…」とうなだれる。

そこへ、「おまえがスペックで係長の居場所捜そうとしてるんじゃないかと思って」様子を見に来る瀬文さん。「あたしがスペックホルダーだから係長は一人で危ない目に」と言う当麻に、「俺たちはスペックホルダーの心配をしてるんじゃない。ただの一人の餃子臭い女のことを心配して、守りたいと思ってるんだ。それぐらいわかれ!」と。

あうあう。泣けるわ。

「じゃああたしはどうすればいいんですか!スペックを使わないってことは、刑事としてベストを尽くさないってことになるじゃないですか!」ガン!ガン!と左手を壁に打ちつける当麻。

「やめろ!」とその腕を取る瀬文さん。

「俺はバカだから…」って聞こえたけど、パンフによると「俺はバカだが」って言ったらしい。「俺はバカだが……すまん」

何を言おうとしたのかなぁ。「俺はバカだがおまえを守りたいと思ってる」? パンフで堤監督が「言わずもがなの感じがせつない」って言ってらっしゃるけど。「あれは本当に名ゼリフ」だと。

名ゼリフだし、名シーン。

あの二人が愛してるとか言い合うのも、抱き合ったりキスしたりするのも、やっぱり違うとは思って、でも里子のこと「あんたのヨメが」って言う当麻はやっぱり嫉妬してるように見えるし。

「あの子には話すんでしょ?」と里子に言われてあたふたする瀬文さんにとっても、「言わずもがな」の想いはあるんだろう。

「その時は撃ち殺してください。信用してますから」という当麻の気持ちは、ただの惚れた腫れたより深くて、二人の関係は男同士でも存在しうる、「心から信頼できる大切な仲間」なのかな。

瀬文さんには甘えられる、弱い自分をさらけ出せる、ってとこもあるよね。飄々としていつもうそぶいている当麻が、瀬文さんには「無責任なこと言わないでください!」とか、「じゃああたしはどうすればいいんですか!」って言えるんだ。

ホント、好きだわ、この二人の関係。

えーっと、あとは、「バナナ医者」の渡辺いっけいさんとか。芸が細かいよね、キャストが贅沢だよね、『SPEC』。

「漸」で唯一登場するスペックホルダー香椎由宇ちゃんも思いっきりジョジョネタだし。かと思うと最後まさかの「イデオーン!」。

あれはフイタ。予想外だっただけに。

クローン実験失敗による子どもの死体の山とか、どんどんエグくなってくる話の中で、こういうネタがほっこりさせてくれるのよね。

植田Pの暗い世界観(すいません)を、堤さんのセンスが救ってくれてるんだろうなぁ。エンターテインメントにしてくれてる。数々の小ネタやギャグは、そういう「めんどくさい問題」を大真面目に考えることへの「照れ」と、「エンターテインメント」にするためのバランスなのだと思う。

そしてたぶん、どんなに真面目で小難しい人だって、うんこもすればおならもして、エロいところもあればお寒いだじゃれを言うこともあるっていう、ある種「人間性の真実」なんだろうと。こおっちがあんなに素晴らしい「刑事」でありながら若い愛人といちゃいちゃしてるのと同じで。

エンケンさんが当麻に語っていた「ブレーン理論による多宇宙」の話。『隠れていた宇宙』読んでてよかった!

“いわゆる「ひも理論」から「ブレーン(膜)理論」というのが出て来て、「ブレーンワールド・シナリオ」というものが出て来る。私たちのいる世界は一つの「ブレーン」にすぎなくて、すぐ隣には別の世界、別の「ブレーン」が存在し、いくらでも「並行世界」が存在する、という考え方。”

まぁ、読んだからって理解できたわけじゃないんですが、「それ知ってる!聞いたことある!」という喜び(笑)。

映画の中で「地層から地球がいくつかのパラレルワールドを往復したことがわかった」とか言ってて、興味深かった。ホントにそんなのわかるのかな。研究してる人いるのかな。


「漸」はクレジットもなくブチっと終わる。あくまで「爻ノ篇」と一体で一つの作品という考え方なんだろう。ちょっと、余韻がなくて寂しかったけど、確かにクレジットが流れるのは違う気がする。

パンフにも、出演者やスタッフ名の載った、クレジット的なページはない。

まだ、半分。

ああ、爻ノ篇が待ち遠しい!(でも見たら本当に終わっちゃう!寂しい!!!)


(※この文章は11月6日に書きました)

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