『「相対性理論」を楽しむ本』が非常にわかりやすく楽しかったので、『量子論』の方も買ってみました。

いやー、こちらもホントよくできてます。

たったの253ページというコンパクトさなのに、量子論の歴史とポイントがとってもよくわかる。『相対性理論』同様文章は読みやすく、「ここ重要!」なところは太字&各章の最初には「この章のポイント」がまとめられているという親切さ。

アインシュタインさん、ボーアさん、シュレーディンガーの猫による対談形式の序章「量子論の世界へようこそ」がまた楽しい。

「量子論?難しそうだなぁ」という読者の不安を心地よく裏切って、どんどんとページを繰らせてくれます。

「実用性という意味では相対性理論より量子論の方が優っている」と言われて拗ねるアインシュタインさんを、猫が

そもそも相対性理論は、地球上よりもむしろ、宇宙を観測したり、ロケットを打ち上げるときにこそ必要になる理論、つまり私たちを地球の束縛から解き放った偉大な理論じゃないですか。 (P21)

と言って宥めるところとか微笑ましい。「地球の束縛から解き放った」っていう言い回しもロマティックでいいですよねぇ。

監修は同じ佐藤勝彦さんですが、実際に本文を書いておられるのがどなたかは明示されていません。なので「相対性理論」の実質的著者さんとは別の方なのかもしれないのですが、両作品とも日本語のセンスが良く、科学への愛と読者への行き届いた配慮が感じられて、読んでいて心地よいです。

量子論やシュレーディンガーの猫についてはこれまでにも宇宙論の本の中で出て来て、おおよそのことは知っていました。

というか、「おおよそのこと」しか知らなかったわけで。

「量子」という名前の特定の小粒子が存在するわけではなく、「ひと固まりとして考えられる小さな単位量が「量子」なのです」(P60)という説明に「あ、そうなのか」と。

何にもわかってなかった(汗)。

光と同じく電子にも「波」の性質がある、というのも聞いたことがあったけど、

でも「電子の波」はそうした波ではないんです。想像できないでしょうが、私たちの身の回りにある波とはまったく違う波、それが電子なんだと思ってください。 (P24)

と言われると「???」。

ダブルスリットの実験で「干渉縞」ができることから、「電子にも波の性質がある」ということが言えるのですが、「干渉縞」というのは普通、「Aの波」と「Bの波」という複数の波が干渉してできるものです。

が、電子の場合、「自分自身と干渉」しているらしいのです。

なんと「電子がダブルスリットの左側のスリットを通過した状態」と「同じ電子が右側のスリットを通過した状態」が干渉したのです。 (P153)

はぁ!?

と思いますよね。

「位置と速度の両方を知ることはできない」「位置は確率でしか把握できない」という「確率論」もたいがい「へ?」で、アインシュタインさんが生涯そこには反対したというのもよぉく理解できる。

しかし、確率論はそうではなくて「未来は確率的にしか決まらない」ことを示すのです。「どこかに決まっているが、その位置を私たちは確率的にしか知ることができない」のではないのです。 (P143)

間違わないでほしいのは、位置と運動量を同時に「誤差なく測定することはできない」のではないという点です。測定の精度の問題ではなく、ミクロの物質の性質として、ある時刻における物質の位置と運動量はただ一つに決まっていない、つまり物質は常にあいまいな位置や運動量を持つと言っているのです。 (P174)

いちいち「そうだったのか」と思わされます。なんとなくしか知らなかったこと、誤解してたことを正してくれる。

ミクロの世界では観測装置からの光や電気でさえ多大な影響になるから、たとえ量子論の考え方がなくても「正しく測定する」のは難しいだろうと思うけど、「そういうことではない」と。そもそも「物質はあいまい」なのだと。

私たちはあまり疑うことなく「客観的な事実」というものが存在することを信じています。(中略)でも、量子論はそうした客観的事実の存在を否定しました。 (P186)

ふぉー、面白いですねぇ。

SF好きとしてはわくわくしてしまいます。この本によると「パラレルワールド」も量子論から出てきた考えのようで。

ミクロな物質は常にあいまいな位置や運動量を持っていて、なんというか「重ね合わせ」の状態にある、というのが「量子論」の考え方。それを宇宙というマクロな世界にも適用すると、何もない真空の宇宙から微粒子が生まれるかどうかは確率的な問題になり、宇宙は「微粒子が生まれた宇宙」と「生まれなかった宇宙」に枝分かれし、可能性の数だけ次々と枝分かれを繰り返した宇宙の一つが、今私たちがいる宇宙……。

この考え方によると、今この瞬間も時々刻々と宇宙は枝分かれを続けていることになります。

で、この「パラレルワールド論」を一般化させて、量子論が描く世界像を理解しようとするのが「多世界解釈」と呼ばれるもので、さっきの「自分自身と干渉する電子」の話を「多世界解釈」すると、「一つの電子の中で、二つの異なる歴史が重なり合っている」ということになるそう。

「右のスリットを通った過去」と「左のスリットを通った過去」が重なり合う。

なんとうさんくさい!(笑)

でも、「シュレーディンガー方程式では説明できない波の収縮という過程を勝手に持ち込むコペンハーゲン解釈に比べれば、多世界解釈は“素直”」な考え方と言えるそうで。

うーん、要するにそこのところの謎はまだ解明されていないんですね。

シュレーディンガー方程式は実験で観測される事象をうまく予想・説明してくれるけれども、「なぜそういうことになるのか」ということはまだわかっていない。

何か、まだ知られていない変数があるのかもしれないし、この先マクロを扱う相対性理論とミクロな量子論が真に統一されて、「色々と解釈する余地」なんてなくなるのかもしれない。

でも、この世界はそんなにも「数式で出来上がっているの?」という気もして……。

「不連続な量という革命的な発想」も面白かったし、「波動関数ψは複素数の波」というのも目が点で(笑)、「中学・高校で習う原子の軌道図」は実は間違っているんだよ、というお話にはうひょおー。

本当に勉強になります。

概念的または哲学的な意味での「無・ゼロ」は、物理的にあり得ないということも、量子論が明らかにした真実の一つです。 (P237)

もうなんというか、「量子論、カッケー!」ですよね(笑)。

物理的には常に「有」であるってことは、「世界」は永遠ということなのでしょうか。たとえそこに、星々のような、私たちが一般に「もの」だと考える物質が何もなくても、その器とも言うべき「世界」には始まりもなく終わりもなく……。

うーん、考えようとするとどんどん頭がこんがらがってきます。

面白い。

けどわからない(笑)。

大丈夫、この本はさんざんわかりやすく丁寧に説明してくれたあとで、

すなわち、これ以上量子論を理解することなど、おそらく誰にもできないのです。ご安心ください。 (P251)

と言ってくれるのです。

著者さん優しい~~~。

ホントになんていうか、とっても啓蒙的な作品なのですよ。「たぶんわからないと思うけど」と言っても決して読者を馬鹿にしているのではなく、むしろ読者の目線に降りてきてくれて、少しでも科学の面白さを伝えようとしてくれる。

真理の探究が純粋な好奇心からおこなわれることを許された、平和な時代は過ぎ去りました。しかしそれでも、私たち人間は真理を求めていくことでしょう。 (P252)

そうして、「わくわくしますね」で本文が終わるんです。

科学と読者(人間)への期待と信頼。

「啓蒙」ってこういうことを言うんだなぁって、なんか初めて思いました。

2000年に刊行されて、2012年までに41刷というのも納得の良書です。