阪大の学生が企画して出版した本、ということで新聞等色々取り上げられていました。

「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」を阪大の教授陣に聞いているわけですが、全編が「食べる方法」なわけではなく、後半(第2部)は「ドーナツの穴に学ぶこと」という括りで、「ドーナツの穴」から連想される各先生達の専門分野の紹介という感じになっています。経済学の先生なら「ドーナツ化現象」、法学なら「ドーナツクッション」という商標について争われた裁判事例といった具合。

正直「食べる方法」を考えてるはずの前半(第1部)にも、「え、それ食べる話してないやん…」という論考があるので、ガチで「食べる方法」を知りたくて手に取った方は肩すかしをくらうでしょう。

まぁ、普通に考えればドーナツ食べれば穴も消えちゃうわけで、それを「残す」ためには何かしらの論理トリックがいるわけですよね。

工学部の先生だけが真面目に、まっすぐに、「穴のフチぎりぎりまで削る」とか、「穴の型どりをして、それを残せばいいんじゃないか」とか言ってくれています。「質問を馬鹿正直に受け取ってしまった自分が恥ずかしかった」などと冒頭で断っていらっしゃいますが、むしろこの工学部の先生はいい人だな、と(笑)。

もともとこの質問「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」というのはネット上で広まったものらしく、その「広まり方」について「第0章」で経済学の先生が分析しています。ネット引きこもりな私にはまずここが面白くて「掴みはOK」な感じ。

「経済学」というと株価がどーのこーの、みたいなイメージがありますが、こういう情報系、マーケティングや口コミといったことも「経済学」で学べるんですねぇ。この第0章執筆の松村准教授は“人の意識や行動を変える「仕掛け」のメカニズム体系化、および仕掛けデザインプロセスの研究に取り組んでいる”そうです。

本書を通して、たったひとつの答えなんて存在しない問いに真摯に向き合う学問の面白さが読者に伝わることを願っている。 (P15)

と、松村先生がおっしゃっているように、研究分野によって「この視点からはこう見える・こう考える」というのが面白いし、「経済学部」「法学部」「文学部」というだけでは具体的にどんな研究をしているのかわからないのが、本書によって「へぇー、こんなことも法学部なの」と知ることができて興味深い。

それぞれの先生の専門の紹介のみならず顔写真もついてて(皆さん手や紙の輪で「ドーナツの穴」を表現してらっしゃる)、これから大学へ入ろうという高校生にはいい「学部・学科案内」になるのではないでしょうか。

各章末にはブックガイドもついてますし、ちょっと難解と思われる個所には「学生による」解説もつき、息抜き用に(?)世界のドーナツを紹介するコラムも。

先生たち、けっこうユーモア効かせてくださってるので、本文もそんなに堅苦しくなく、楽しく読めます。

第0章の場合、

なお、「“eat a donut hole”」で検索すると約65,100件ヒットするが、こちらについてはまた別のダイナミクスが働いていると思われる。英語圏におけるドーナツの穴談義の拡散については読者への宿題としたい。 (P15)

(上記個所への注)答えは用意していません。念のため。 (P15注26)

なんて書いてあって、思わずクスリ。

第8章の「法律家は黒を白と言いくるめる?」では

さらに、その方法に対して屁理屈や詭弁という批判が加えられることを予想して、法が詭弁や擬制(fiction)や嘘を用いて発展してきたことを示そうとする。いやはや、呆れた人だ。このような法律家の隣には住みたくないものだ。 (P168)

という記述が(笑)。

ここで紹介されている「ドーナツ枕」と「ドーナツクッション」の商標権争いの判例はなかなか面白くて、「ドーナツ」という言葉の意味を裁判所がどう定義したか、知ることができます。

「中央部が凹んでいる」だけでも「ドーナツ型」と呼ばれたりするし、ミスタードーナツのエンゼルクリームなど、「穴の空いていないドーナツ」もあります。そう考えると「穴を残して食べる」の意味も変わってきますよね。

そもそも「穴がない」ドーナツだったらどうなるのか。

ブックガイドでは“法律家が嫌いになった読者のために法律家がけちょんけちょんにけなされている小説を”とトルストイの『復活』が紹介されていたりして、8章の大久保先生なかなかお茶目です(笑)。

法学ではもう一つ、第11章の「法の穴と法規制のパラドックス」という論考があります。「ドーナツの穴」から「法の穴」を連想している形ですね。執筆者の瀬戸山先生は法哲学や法と行動経済学がご専門だそうで、ブックガイドでは行動経済学の入門書が紹介されています。

うーむ、「法」なのに経済学なのか。

経済の分野でも「法規制」はあるんだから別に不思議はないんでしょうけれど。学問ってクロスオーバーですねぇ。

「法」とか「規制」には「抜け穴」がつきもので、特に悪賢い人間じゃなくてもその「穴」をうまくくぐって儲けたりするわけですが、かといってガチガチに全部「規則」で決めてしまっていいのか(そもそもすべてを網羅した法律なんて無理だとは思うけど)、規制されない「自由」はどれくらい認められるべきなのか。

このように自由と平等は、どちらかを持ちあげれば他方が下がるトレードオフの関係にあるだけではなく、平等の中でもどの側面での平等を重視するのか、自由の中でも何の自由を尊重するのかで、同じ概念内で利益が相反するトレードオフの関係にあることを理解する必要がある。 (P240)

「自由」というのは非常に尊い人間の権利だけども、たとえば「自殺する自由」というのはどうなのか。

本人自身のために好ましくない場合に、その行動や選択を規制するパターナリズムという原理がある。 (P248)

やりたいことを我慢して受験勉強をすることも本人の将来のためにそのときの自由が制限されている点で、パターナリズムの典型と言える。その意味では、教育とかしつけは、パターナリスティックな制度といえるのである。 (P249)

「ドーナツをどう食べるか」という話からはずいぶん離れてしまっていますが、11章の議論は大変刺激的でした。

別に弁護士や法律家にならなくても「法学部」で学ぶの面白いかも。(もっとも瀬戸山先生は法学部の教授ではなく「未来戦略機構第一部門」というところの特任教授だそうですが)

進路に悩む高校生に特にお勧めの一冊です。