87歳の元殺人課刑事が主役ということで。

87歳!?それでミステリーとかハードボイルドとかやるの!?ええっ!?

思わず手に取ってしまいました。

そしたら主人公バック・シャッツ、作中で誕生日迎えて88歳になっちゃう。

米寿でんがな!

いくら華々しい経歴の持ち主でも、米寿の男にミステリの主役が務まるのか。捕虜収容所のひどい暴行を生き抜いたのは60年以上も前のこと、アメリカはメンフィスの殺人課刑事として数々の伝説を打ち立てたのだって、30年前です。

棺桶に片足どころか半身突っこんだような80代も後半の男に、一体何ができるのか。

ところがどっこい、十分以上にタフなヒーローなんだよなぁ、これが。

平均的な88歳よりずっと元気だとはいえ、もちろんバックにも「老い」は襲いかかっている。耳は遠くなるし、目も悪くなる。動きはもちろん鈍くなっているし、抗凝血剤その他いくつもの薬を服用し、主治医からは「あなたの年ならボケてて当然です。アルツハイマーかそうじゃないかの線引きなんてできませんよ」と言われたりしている。

事件を追う中で「もしかしたらあいつは…」と人や物を疑うたびに、

「医者によれば、妄想は老人性認知症の初期症状である」

と自分に言い聞かせるバック。

医者に勧められてつけている「記憶帳」の記録が「忘れたくないこと」として罫線囲みでしばしば挿入されるのも面白い。最後にものすごく役立っちゃうしなぁ、「記憶帳」。

全体にテンポがよくすらすら読める上に、超後期高齢者でありながら未だヘビースモーカーで357マグナムを懐に忍ばせているバックのキャラクターがなんともいい。

同世代の「老いさらばえ方」を見て「ああはなりたくない」と思う一方、年寄りであることのメリットは最大限に利用する。

「遠慮なく他人に面倒をかけられるのは、年をとる三つの楽しみのうちの一つだ」わたしは言った。「あとの二つは煙草を吸うことと、自分が相手をどう思うか本人に言ってやることだ」 (P50)

そんな、「喰えない爺さん」であるバックが旧友ジム・ウォレスにある秘密を打ち明けられるところから、話は始まる。

病院のベッドで、今にも死出の旅に赴こうとしているジム。彼はバックに、もう60年も昔の話をするのだ。捕虜収容所でユダヤ人のバックをしこたま痛めつけたナチの将校ジーグラーが生きていると。彼が車に金塊を積んで逃げていくのを、かつての自分は見逃してしまったのだと。

戦後、ジーグラーを見つけ出そうとしたこともあるバック。ジーグラーの母親にも会い、その死を確認したというのに、あの男が生きているだと……?

しかし今さら復讐を果たそうという気にもなれず、ジーグラーが生き延びていたとしても自分たちと同じような年。すでに死んでいる可能性も高く、そんな本当か嘘かわからないような話に付き合う必要はない、とバックは思ったのだけれど。

「ナチの財宝」という言葉はジムの娘婿ノリスや牧師のカインドを惹きつけ、バックは「鍵を握る人物」として彼らにつきまとわれる羽目に。

そして起こる殺人。

孫のテキーラ(もちろん仇名)を相棒に、バックはジーグラーの行方を探り始める――。

何しろバックはGoogleの何たるかも知らず、地図アプリが云々、GPSが云々と言われてもさっぱりわからない。そこを大学生のテキーラがうまくフォローして、必要な情報を入手してくれます。

でも二人は必ずしも常に仲が良いわけではなく、バックは孫を猫かわいがりするわけでも、厳しく当たりすぎるわけでもない。テキーラの方も、しばしば「爺ちゃん、いい加減にしてくれよ」と思っている。

この祖父と孫とのほどよい距離感がなかなかいいですし、バックと妻ローズとのやりとりもすごく洒落ている。

そもそも事の発端となったジムのお見舞いも、バックは乗り気でなかったのにローズに行けと言われて仕方なく行ったもの。そのお見舞いで「看取った」も同然だからもう葬式はいいだろうと思っても、「何言ってるのバック」とローズに言われると従うしかない。

ローズと争ってもむだというものだ。結婚して六十年以上、彼女には弱みをすべて握られている。 (P11-P12)

とはいえローズは決して「怖い嫁」なんかではなく、バックも「尻に敷かれている」というわけではない。

誕生日を迎えたバックに「おめでとう」と電話をかけ、「誕生日なんかくそくらえだ」という反応をされてもローズは

「信じようと信じまいと、バック、あなたはきょう八十八歳になったのよ。ロウソクを見つけて願いごとをしなさいね」 (P172)

と諭す。そして。

「お断わりだ」
「短気なんだから」
「ああ。おれも愛しているよ、ハニー」
「いい夢を見て、坊や」
「段差に気をつけろよ、ベイビー」
 (P173)

いやー、もう、なんて素敵な夫婦なんでしょうか。四捨五入すればもう90という年になってもこんな粋なやりとりができるなんて。

「今までに出会ったうちで最高の女と結婚した」という描写も確かあったし(何ページ目か探せない)、失礼なことを言ってきた友人に対して見事なブラックユーモアで切り返すローズに「結婚相手だけは間違わなかった」とバックが誇りに思う(?)シーンも。

バックもいいキャラクターだけど、ローズの造形もホント素晴らしい。

描かれる殺人はかなりエグいものだけど、全編にわたってユーモアが効いていて、楽しく読み進められました。

なんか、「老い」に対するバックの感慨に妙に共感できちゃうしねー。

まだバックの半分程度しか生きてないけど、「寄る年波」はひたひたと……。バックの感慨、ほんと他人事じゃない。

古き良き時代の「タフなヒーロー」を蘇らすためには、もはや88歳という設定にするしかないのか、と思ったりもします。舞台は現代だけど、懐かしいミステリを読んだ気になる。

「ボギー ボギー あんたの時代は良かった 男がピカピカの気障でいられた」


続編の邦訳が待ち遠しいです。