2015年1月30日金曜日

『デス博士の島その他の物語』/ジーン・ウルフ



『新しい太陽の書』シリーズの作者であるジーン・ウルフさんの中短編集です。

『新しい太陽の書』は難解だけど独特の面白さがあって、読み終わった時に「うわぁ」と思ったので、他の作品も読んでみたいなと思いつつここまでほったらかしでした。

たまたま図書館に行った時にこの中短編集と長編の『ピース』があったのですが、年末ということもあり長編にチャレンジする元気がなくこちらを借りました。

が。

こちらもなかなか読み進むことができず、貸し出し延長をお願いする羽目に。

なんだろう、期待が大きすぎたのか、「あれ?」という感じで。どんどんページを繰らずにいられない、という感じじゃなかったんですよね。中短編でさえ読み始めるのに覚悟が要るというか、気楽に読める小説じゃないというか。

うん、そうですよね。『新しい太陽の書』もわかったようなわからないような、頭を使わされる作品だったんだから、短いからと言って簡単に読めるとは。

まず、「まえがき」があります。表題作『デス博士の島その他の物語』を含むいわゆる「島」三部作で構成された『ウルフ諸島』という限定本に収録されていたものだそうです。

それぞれの作品の誕生の経緯等を語ったあと、もう一編、島にまつわるお話が収録されています。この『島の博士の死』はショートショートですが、この本に収められた作品の中でこれが一番好きかも。わかりやすいし、なんというか、読後感がいいです。くすりと笑って、そして胸の中が少し暖まるような。

「まえがき」の中の作品で、「おまけ」なんですけどね(^^;)




『デス博士の島その他の物語』(The Island of Doctor Death and Other Stories)

表題作であり、ネビュラ賞短編部門の候補になった作品です。

「デス博士の島」という本を読んでいる男の子が主人公で、「本の中の記述」と現実がだんだん混乱してくるんですね。少年のもとに、本の登場人物が現れて。

それは男の子の空想なのか、それとも「クスリを使っていたらしいお母さん」の妄想に巻き込まれているのか、はたまた男の子もまた「登場人物」に過ぎないのか。

読んでいる私たちにとっては、男の子も本の中だけにいる存在ですものね。

「もうこの本読みたくないよ。博士は最後には死んじゃうんでしょ」という男の子に、デス博士は告げる。

「また最初から読み始めればみんな帰ってくる」と。そして「きみだってそうなんだ。きみだって同じなんだよ」と。

意味深ですねぇ。

「きみだって物語の中の存在かもしれない」

それは直接的に「わたしやあなたも誰かの物語の中の存在なのかもしれない」ということなのかもしれないし、人生とか時間というものの奇妙さについての話なのかもしれない。

この部分だけ読み返すと「いいエンディングだな」と思うんだけど、最初から読んでると「え?これで終わり?」って肩すかしを食う感じで。

うーん、このむずむずする感覚こそがきっとジーン・ウルフを読む楽しみなんでしょうけどね。




【アイランド博士の死】(The Death of Dr.Island)

候補にはなったもののネビュラ賞受賞には至らなかった『デス博士の島~』。とある友人に「アイランド博士の死」という小説を書けよ、そうすればみんながおまえのことを気の毒がって受賞確実だ、と言われたジーン・ウルフさん、「いろんなものを裏返しにして別の物語をこしらえ」ます。そして出来上がった『アイランド博士の死』は本当にネビュラ賞を取り、さらにローカス賞も受賞してヒューゴー賞にもノミネートされるという快挙。

いやはや友人の人すごい。

もちろん「書けよ」と言われて書いちゃうジーン・ウルフさんがすごいわけですが。

「アイランド博士の死」というのは「デス博士の島」のアナグラムで、『デス博士』との色々なネガ・ポジ関係が見られるそう。

と言っても雰囲気は全然違うので、私には「何がどう裏返しなの…」という感じでした(^^;)

よその星から、人工的な星に治療目的で送られてきたらしい少年。体の半分のところで一回切られてまた縫い合わされてるみたいな……。「アイランド博士」というのはその人工環境の制御システムのようであり、少年に語りかけてくる。

そこには同じように治療中であるらしい娘と、男がいて。

なんか、最後が「えーっ!」でした。主人公の少年が可哀想というか、またしても「これで終わりなの?」という。

謎の手術のせいで少年は体だけでなく心(意識や感覚)も半分ずつにされてしまったみたいで、最初表に出ていた方の意識がアイランド博士によって抑えこまれ、逆にこれまで封じられていたもう片方が表に出て来る。

それこそが「治療」であるというように。「もとの君に戻らないように“彼”を遠ざけておかねばいけない」

うーん。

必ずしも全部説明されてる訳じゃなくて――少なくとも「わかりやすく」は書いてなくて、アイランド博士や少年の状況について、読んでる方は「こういうことなのかな?」と想像を補いつつ読んでいくんだけど……。

うーん。

とにかくこの「治療」システムは気持ち悪いなと。こういう治療システムが存在する「世界」は嫌だな、と。

行動に問題のある子どもを手術してひとりぼっちで謎の星に送り込んで、そこで別の患者を治療するために利用して。

アダムとイブの寓話という感じもするけど。

うーん。




【死の島の博士】(The Doctor of Death Island)

さらにアナグラム。

またしても随分雰囲気が違って、今度は冷凍睡眠によって時間を超えた男が主人公。罪を犯して服役していた男は、癌が見つかり、その治療法が見つかるまでの間冷凍睡眠にかけられる。

目覚めた時、世界はずいぶん変わってしまって、癌の治療法どころか人類は不老不死を手に入れてしまっている。完全に不死ではないけれど、少なくとも病気では死なないというような。

だから、何十年だか眠っていた(正確に何年経っているのかよくわからない)彼のもとには知っている人間も訪れる。彼の記憶の中よりは年を取っているけれど、それでもちゃんと生きている彼の妻(じゃなくて愛人?どっちだっけ)。

人間の寿命だけでなく色々なことが変わってしまっているはずで、事実「冷凍睡眠前にいたと同じ病院」らしいのに窓から見えるものは違って。

でもジーン・ウルフさんはすべてを説明してはくれない。

実にむずむずします(笑)。

あげくの果てには「不老不死」を手に入れせっかく世界に復帰したはずの主人公、呆気なく――。

うーん、でもなんか、これももしかして「本の中のお話」なのか??? 太字になっている部分と、そうじゃない部分と。

主人公が冷凍睡眠前に開発していた「スピーキング・ブック」。音声で内容を読み上げてくれる本。あまりにも普及して、もう誰も自分で字を追ったりしなくなっている。ところがそのスピーキング・ブックのシステムがおかしくなったらしく、あらゆる文書に無関係なキャラクターが登場するようになってしまっている。

それはすべてディケンズの作品に出てくるキャラクターで、どういう仕組みでか自分のいるべき「本」を離れて、別の「本」の中に移動して、大混乱に陥っていると。

「その謎を解き明かしてほしい」と主人公は依頼されるんだけど、調べる前にお話は終わってしまう。

うわぁぁぁぁぁ、むずむずするぅぅぅぅぅ。

結局死から逃れられない人間と、本の中を自由に移動する物語の登場人物達。読む者がいなくなれば彼らは消えるのか。それとも“本”がある限り、一旦物語として書かれた限り、彼らは永遠に存在し続ける――“不死”なのか。

そんなふうにも読めないことないけど。

そしてそれは最初の、『デス博士の島~』に戻っていくのかもしれないけど。

「きみだって同じなんだよ」




【アメリカの七夜】(Seven American Night)

これはわりとわかりやすいお話でした。

ある中東の国の青年ナダンがアメリカ旅行中に行方不明になり、その捜索を頼んだ母親のもとに探偵(と思われる)が「ご令息の日記が見つかった」として1冊のノートを送ってくる。その「日記」がまるごと作品になっているんだけど。

アメリカで怪しげな薬を手に入れたナダンは、その薬を卵菓子の一つに染みこませ、自分でもどれが「それ」かわからぬまま、1日に1つずつ、ロシアンルーレットのように食べて行くのだ。

「それ」はいきなり最初の一つだったかもしれず、もしもそれが本物の「妙な薬」、麻薬のようなものなら、ナダンの日記はまったく信用が置けなくなる。どこからが薬による幻覚で、どこまでが現実に起こったことなのか、読者にはわからないからだ。

というわけで、読む方は「騙されてるのかな?これは本当のことかな?」と疑いつつ読んでいくことになります。

ナダンはとある劇団の女優に惚れ込んで彼女とベッドを共にし、でも最後には「どうしてぼくはあんなものを愛することができたのか?」と言っている。彼女は彼が最初思ったような美女ではなく、醜い怪物だったようなのだけれど……。

美女に見えたのが幻覚だったのか、それとも怪物に見えたのが幻覚か。

この作品のもう一つ興味深いところは、アメリカが「死体めいた国」になっているところ。化学物質の摂りすぎでアメリカの人々は遺伝子に損傷を受け、怪物めいた奇形や、何らかの不具合を持った人間ばかりになってしまっている。

もちろん経済も没落、ナダンの旅するアメリカにかつての「超大国」の姿はない。

アメリカ人は意識改変ドラッグの世界一熟練した製造者だった。彼らを自己破壊にみちびく化学物質を作り出した知識、けっして干からびないパンや、害虫駆除用の無数の毒薬や、ありとあらゆる目的のため、自然界には存在しない化学物質を作り出した知識が……(後略) (P233)

死体を食べた人びとは、これなら安心、そのころ使用されていた酵素類、食肉用動物をわずか数カ月で成熟させる酵素類の副作用を逃れられると思ったことだろう。だが、そこには意外な落とし穴があった。彼らの食べた人肉には、短命な牛たちの肉よりはるかに大量の合成化学物質が含まれていたのだ。 (P264)

そしてその大量の化学物質により、人肉食に走った人々の末裔はもはや人間とは呼べないような「怪物」に。

……笑えない……。

怖い。

これ、本当に起こっても全然おかしくないよね。

この間毎日新聞に野坂昭如さんが「異物混入って騒いでいるが、ファストフードなんてもとから化学物質だらけ、異物だらけじゃないか」みたいに書いてらしたけど、ホントに「虫」ならまだ自然物だもんね。将来的にどんな影響をもたらすかわからない合成物質をたらふく食っておきながら、小さな虫の混入に大騒ぎして。

まぁ、虫は嫌だし金属片とかビニール片とかももちろん嫌だけど、「見える異物」なんて可愛いものなんだよね……。

この作品で描かれた「アメリカ」、他人事じゃない気が。




【眼閃の奇跡】(The Eyeflash Miracles)

これはなんか、うん、読後感が良かった。けっこう好き。

盲目の少年リトル・ティブがパーカーさんと呼ばれるおじさんとニッティという名のお兄さん(?)に出会い、3人でマーティンズバーグとやらを目指す、一種のロードムービー(ムービーじゃないけど)。

何せ少年の目が見えないのでニッティが「おじさん」なのか「お兄さん」なのかもわからない。少年の一人称語りではないのだけど、少年の視点で描かれているから。

で、やっぱり、世界はSFチックで、リトル・ティブはただ目が見えないだけでなく網膜がないから、「網膜認証」ができなくて、「本人識別ができない存在」とされている。

すべての人間が「網膜」によってID登録されていて、機械は人間の仕事をどんどん奪っているらしく、元教育長だったと自称するパーカーさんは機械に「不要」と判断されて失業したらしい。それでパーカーさんはコンピュータのプログラムを書き換えて再び自分を「必要な人間」と見なすよう、教育長に復帰できるよう、細工しようと考えているみたい。

ニッティによるとパーカーさんは「教育長のときに仕事がよくできるように頭の中に小さなものを入れていた」らしい。「記憶力と計算力を増して、それにもっと働きたくなって、いい仕事をしたくなるように仕向けるもの」を。

読んでいると『オズの魔法使い』を下敷きにしているんだな、ってわかるし、起きている時は目が見えないけど夢の中では色々なものが見え、暗いところでも普通の人には見えないものが見え、「触れただけで人を癒す奇跡の力」を持っているらしいリトル・ティブの旅はなんだかとてもファンタジーなんだけど。

終盤で「なぜ彼には“力”があるのか」「なぜ網膜認証できないようにされているのか」という背景が明らかにされて、「うわぁ、なんかハードになって来たぞ」と思わされる。

しかし思わされるだけでひどい結末にはならず、わりと呆気なくリトル・ティブとニッティと女の子がスキップして歩いていくところで終わる。

いや、無事で何よりなんだけど、ほのぼのと終われて嬉しいんだけど、えーっと、でも根本的な問題解決にはなってないんじゃ。

これも、どこまでが「本当」でどこまでが「少年の空想」なのかわからないと言えばわからない。目の見えない彼が時々見る「幻」は本物なのか、「奇跡」は本物なのか、彼に迫る脅威は――彼の出自はどれくらい「本当」なのか。

ニッティさんも「幻」?って気までしてくるもんね。最後の「ニッティさんは場所を取る」という表現からして、実体ありそうだけど。

「小説」なんだからすべては「嘘」と言ってしまえばそれまでで、読んでいる私たちにとって、彼らはみんな「非実在」ではあるんだけど、それを「存在するもの」として受け入れて読み進んでいるうちに「書いてあることのどこまでを信用すればいいのか」わからなくなってくる。

『新しい太陽の書』も語り手である主人公が超記憶の持ち主で、時系列とかこんがらがってきて、結末を知った上でもう一度読み返したら「ここはこういうことだったの!?」みたいな新しい意味がいくつでも浮かび上がってきそうな作品だったけど。

うーん。

「ジーン・ウルフほど言葉を使った手品が巧みなSF作家はいない」と解説に書いてあるけど、まさに「語りに騙される」感じ。

「語り」ってそもそもそういうものなのかもしれない。人は本当のことも嘘のことも同じように語ることができて、本当のことも嘘のことも「語る本人」にとっては「本当」かもしれず、逆に「嘘から出たまこと」なんてこともあって。



「言葉」について、ジーン・ウルフさん自身はこんな風に言う。アイランド博士の口を借りて。

「言葉なんて、頭がこんがらがるだけさ」と言う少年に対して、

「そんなに言葉を見くびってはいけないよ、ニコラス。言葉にはそれ自体の非常な美しさがある上に、緊張をやわらげるにも役立つ」 (P104)

「たとえ独り言でも、自分の感情を言葉にあらわす能力があれば、その感情に押しつぶされずにすむかもしれない、という意味だよ。(中略)言葉は一つの安全弁の役を果たすんだよ」 (P104)




長編『ピース』と『ケルベロス第五の首』に手を出すかどうか……悩むところです(読みおおせる自信がない(^^;))。

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