
『宇宙塵版』に引き続き、『SFマガジン版 派遣軍還る』を手に取りました。
同じタイトルが冠され、「長い戦争が終わってやっと還ってきた派遣軍の宇宙船はもぬけのからだった」というモチーフは同じですが、まったく手触りの違う作品です。
まだプロデビューする前の光瀬さんが同人誌「宇宙塵」に『派遣軍還る』を連載したのは昭和35~36年。
その翌年昭和37年に商業誌デビューを果たした光瀬さんはかの有名な『百億の昼と千億の夜』や『東キャナル文書』といった傑作を発表し、昭和50年から51年にかけて、SFマガジン誌上で再び『派遣軍還る』という名の小説を連載しました。
前回の『派遣軍』から15年。
他の、『東キャナル文書』等の光瀬宇宙史に組み込まれるべく、「序章」では「太陽系連合史料編纂局」の資料や、『星間文明史』といった架空の書物からの抜粋が並びます。
地球を中心とする惑星間経営機構と、辺境星域軍との長く激しい戦い。
それがやっと終わって、辺境に派遣されていた宇宙船、兵士、様々な物資、辺境に設けられていた何千もの原子力発電所までが解体されて送り返されてくる。とうてい捌ききれず、結局は再び宇宙空間に捨てられる夥しい“ゴミ”の数々。そして、還ってくる兵士達を到底養いきれないであろう疲弊しきった地球連邦。
おそろしい浪費だった。そこに棄てられたもの、還ってこなかったものこそ人類の知恵であり、知恵の生み出した決算であった。三千年代に至っても、なお人類は神ではなかった。そのことに、果してどれだけの意味があるのか、ないのか。 (P39)
陰鬱な始まり。その雰囲気のまま、本編もひどく陰鬱(笑)。
火星の東キャナル市から突然の異動で地球にやってきた調査局員シンヤ。『宇宙塵版』では主人公リーミンの片腕を務め、恋心さえ抱かれているのではないかと思えた優秀な男性シンヤは、『SFマガジン版』ではうだつの上がらない、たいして男前でもなさそうなくたびれた中年。
調査局員と言ってもずーっと資料整理ばかりしていて、華々しい戦績は何もない。地球に来る早々、市民のデモに巻き込まれてひどい目に遭い、「地震」にも遭遇、目指す地球の調査局になかなかたどり着けない。
もうこれだけでガックリしちゃいました(笑)。有能で頼りになるシンヤ軍曹どこ行っちゃったの~~~~~。
ただの資料整理係から「工作員」になってまだ間もなく、何の命令も受けていない――従ってどんな機密ともまだ無縁なはずのシンヤはなぜか行く先々で命を狙われ、「もう調査局なんてやめてやる!」と啖呵を切ったりする。
うん、それはいいんだけど派遣軍は?
派遣軍、いつ還ってくるの?
400ページ弱のお話の、180ページ辺り、おおよそ半分くらい読み進んだところでやっと派遣軍は還ってくる。
還ってきたけど、還ってこない派遣軍。
誰も乗っていない何十何百の宇宙船がスペース・ポートに還ってくるとどんな大惨事が起こるか、総じて「SF的な考証」はこちらの方が考えられてる。
うん、SF考証だけじゃなく、全体にこっちの方が『宇宙塵版』よりリアル。
何しろ『宇宙塵版』はヒロイン・リーミンの超人ぶりがハンパなかったからね。ほぼ一人で銀河の果てまで行って「消えた派遣軍の謎」を解明して、復興なった故郷で「あとは幸せに暮らしました」かと思うとそんなことはなく、自身の能力を最大限発揮できる新天地へと旅立っていこうとする。
謎の地球外生命体云々よりも、こういう、「超絶な個人が世界を救う」という話型こそが嘘くさい。
だから(かどうかは知らないけど)、今回の主人公シンヤは特別能力が高いわけでもなんでもない、むしろまったく目立つところがないと言っていい「ただのおっさん」で、徹頭徹尾受け身で、「巻き込まれ型」で、一体自分が何に狙われているのかもわからないし、「ミッション」を授けられる前に「巻き込まれ」ちゃったから、「命がけで使命を果たそう」という気もなければそもそも「使命」自体がない。
最後に「派遣軍が消えた謎」は明かされるけれど、なんか、敵の正体とかそういうことは全部どーでもよくて、シンヤが巻き込まれる「不条理」そのものが、この作品のテーマのような気がする。
世界は自分のあずかり知らないところで動いていって、自分はわけもわからずその動きに呑み込まれ、利用され、あげくにあっさり人生を終わらされ――。
シンヤはなぜか「選ばれた」。
でもなぜ「選ばれた」のか、シンヤ自身にはわからないし、作中でもこれといってその理由は明らかにされない。
強いて言えば、彼には「生きようする強い意志」だけはあって、2~3回死んでてもおかしくなさそうなのに生き延びる肉体的な生命力もあって、前半で「なぜか命を狙われていた」のはその生命力を試してでもいたのか、と思ったりもするけど。
『ボトムズ』のキリコみたいに、実は「異能生存体」だったりしたのかしら、シンヤ。
ボトムズでのキリコの、「神になることを拒み、神を殺す」というのとはだいぶ印象が違うけど、でも最後、シンヤもまた「神になることを拒み」、「神を殺す」側に立つのよね。
第三章の章題は「討神」だったりもする。
リーミンという名の女性も出てくるけど、『宇宙塵版』のリーミンとはやっぱりずいぶん違う。ヒロインとは言いがたい。
お話の構成とか、リアリティとか、『SFマガジン版』の方が「プロの仕事」ではあるんだろうけど、超絶ヒロイン大活躍の『宇宙塵版』の方が、読んでて楽しかったなぁ。
「還ってこない派遣軍」という“掴み”から一気にたたみかける展開で、どんどんページを繰らされたし。
こっちは「なんで俺が狙われるんだよ」「一体何がどうなってるんだよ」っていうシンヤの不安と緊張がずーっと流れてるから、読むのしんどかった。
最後にあれ(ネタバレになるので具体名は伏せます)が説明的セリフを喋るのも蛇足な気がする。そしてそこは説明されるのに、リーミンに指図した「機関」が何者なのかについてははっきりしないまま終わってしまう。
うーん。
私たちの人生はすべてそのような、「何がどうなっているのかわからないまま」始まって終わるものなのだろうけれども。
理不尽なこの世界。
『宇宙塵版』を読んでいなければ、また違った印象を持ったのかもしれない。
『宇宙塵版』が文庫に入ったのは昭和56年で、『SFマガジン版』はそれより前の昭和50~51年に発表されているから、大抵の人は『宇宙塵版』を知らないまま『SFマガジン版』を読んだんじゃないだろうか。
ああ、でも『SFマガジン版』が単行本化されたのは昭和57年だ。『宇宙塵版』が広く公表されてから本になったのか。(ちなみに『SFマガジン版』が文庫になったのは昭和60年)
『宇宙塵版』の方は確かに素人っぽいんだけど、その素人さがエンターテインメントでいいというか、「15年の間に色々経験して大人になっちゃったんだね……」みたいな感慨を、どうしても覚えてしまった。
同じモチーフでこうも違う風に書けるって、すごいとも思うし。
同じタイトル、同じモチーフで、ただ「焼き直した」んじゃ書く意味ないものねぇ。
両方読めて良かったです。
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