「1万円企画」で10冊も本を買ったにもかかわらず、図書館で別の本を借りてきました(笑)。

まぁ10冊のうち2冊はもう読み終わったし、エラリーの国名シリーズは読み終わっちゃうのがもったいないし(笑)、寄り道もまた楽し。

「ロボット三原則」を打ち立てたことで有名なアシモフ。この『鋼鉄都市』は彼のロボットもの長編の代表作らしいのですが、「似非SFファン」の私は例によって例のごとくこれまで読んだことがなく。

「創立70周年ハヤカワ文庫補完計画」の一環でこの5月8日にアシモフの『はだかの太陽』が新訳で出るので、その前段であるこの『鋼鉄都市』を読んでみて、面白かったら『はだかの太陽』買おうかな~、と思ったのです。

10冊も本買ったばかりなのにね。

もう次買う本のこと考えてるんだから。

……うん、買うしかないですよ、『はだかの太陽』。『鋼鉄都市』、めっちゃ面白かったんだもん。困るわほんま(爆)。

またうまい具合に『はだかの太陽』は図書館にないんだもんなぁ。何なの、この私に本を買わせようという陰謀は。


『鋼鉄都市』、原題は「THE CAVES OF STEEL」。「鋼鉄のほら穴」といったような意味ですね。

この作品の中での地球は――地球人は、もう「地表」では暮らしていない。日光も外気も遮断されたドーム都市で生活している。(最初「地下都市」かと思ったんだけど、別に「地下」というわけではなさそう)

主人公イライジャ・ベイリはニューヨーク・シティの刑事。「ニューヨーク」と言っても、だから今の「ニューヨーク」ではなく、同じ場所に構築された「鋼鉄のほら穴都市」としてのニューヨーク。

学生時代からの友人でもある警視総監に呼び出されたベイリは、「宇宙人惨殺事件」の担当を命じられる。

25年前、地球に宇宙人がやってきて、ニューヨークには宇宙人の居住する「宇宙市」というものが建設されているらしい。

と言ってもその宇宙人、昔懐かしい「タコみたいな外見の火星人」とかではなく、地球からの初期惑星移民の子孫で、元は「地球の人類」。でもすでにだいぶ世代が進んでいるらしく、その外見も文化・文明も「地球人」とは一線を画していて、寿命も300歳ほどとずいぶんな長寿になっている。

「宇宙人」は「地球人」にロボット文化を押し付け、彼らから見れば「遅れている」地球を「近代化」しようと努力していた。

そうして無理に採用されたロボット達に職を奪われる地球人たちはしばしば「ロボット排斥」を唱え、宇宙人に対しても嫌悪と反感を持っていた。

そんなところへ起こった「宇宙人殺人事件」。容疑者は地球人と目され、犯人を捕まえられなければ地球と宇宙人との大変な外交問題になる!

それだけでも「責任重大」なのに、宇宙人側から「地球側の捜査に協力するように」と派遣されてきたのはなんとロボット。それも地球ではまだ誰も目にしたことがない、一見しただけではとてもそうとはわからない「人間そっくりの」ロボットだった。

名を、R・ダニール・オリヴォー。

最初の「R」はロボットを表す識別番号のようなものなんだけど、ちゃんと「姓名」があるのよねぇ。

他の地球人と同じようにロボットにいい感情を持っていなかったベイリ、「パートナーはロボット」と聞いてげっそりし、そのロボット・ダニールが「どこからどう見ても人間」であることにびっくりし、「なんで俺がこんなヤツと」と思いながらも、困難な捜査をともに進めるうちに次第にダニールに信を置くようになっていく―――。

「宇宙人」や「ロボット」、今とはまるで違う「都市」を描いたSFでありながら、「殺人事件の真相を追う」ミステリーであり、人間とロボットの「バディ物」でもあるんですよねぇ。

すごくよくできてる。

面白くてどんどん読み進んじゃう。

「人間そっくり」とはいえその「行動論理」のおおもとは「宇宙人」のそれで、すっかり無神論になった合理的な「宇宙人」とベイリの対立は、ロボット云々以前に「価値観を異にする他者とどううまくやっていくか」という普遍的な課題でもある。

地球人は宇宙人を嫌っているんだけど、読んでると地球人の方が偏狭で愚かに見え、宇宙人側に肩入れしてしまう。

ベイリも次第に宇宙人の考え方に惹かれていくことを思うと、作者のアシモフさん自身も「地球人は変わらなくちゃ」と思っていたのかもしれない。

作中の地球は、80億もの人間を抱えて、食糧・エネルギーともにギリギリの状態。なんとかしなければいけないのに、その不安・不満は「宇宙人が悪い!」「ロボットが悪い!」という方向にしか向かわない。

「わたしがここへ来る前に受けてきた地球人の特性についての訓令によれば、宇宙国家の人間とちがって、生まれたときから権威を受け入れるように訓練されている。明らかに、今度のことは、あなたがた地球人の生き方の影響なのだ」 (P57)

というダニールの言葉には苦笑いするしかないし、終盤「ロボットや宇宙人を忌み嫌うこと」に疑問を感じ始めたベイリのセリフ、

「われわれは、誰もかれも、宇宙人にひけ目を感じ、そのことを厭がっている。われわれは、なんとかして、なんらかの点で優越感を持たなければ生きていけない、そのうめ合わせをしなければ。せめてロボットに対してすら優越感を持てないということが、われわれの希望を微塵にしてしまう」 (P287)

は非常に耳が痛い。

これ、やっぱりロボットや宇宙人のことだけじゃないよね。自分達の優越を脅かし、職を奪うように見える「異質な他者」とどう向き合うか、ってものすごく現実的で現在進行形な話だ。

ダニールは見た目も「賢さ」も十分「人間」なんだけど、その「賢さ」はあくまでも「プログラミングされた論理的な賢さ」で、彼に「感情」はない。人間にひどいことを言われたりされたりしても、その行動の意味を分析しこそすれ、「気分を害する」ということはない。

任務の間はベイリのことを「パートナー・イライジャ」と呼んでいるのに、その任を解かれた途端にあっさり「イライジャ」って呼び捨てにするし。

でもだからこそ、

ベイリは再び“パートナー・イライジャ”になった。 (P319)

ってところが感動的だし、ベイリがダニールのことを

この生物がどんなものであるにしろ、彼は強く、忠実で、利己心には動かされないのだ。これ以上頼り甲斐のある友だちがいるか? (P307)

と思うようになるのも読んでいてとても嬉しい。

また最後がいいんだよなぁ。

ロボットなんて、と思っていた人間と、ただ論理に忠実に動くだけのロボットが、真のパートナーとして「腕を組んで」去って行く。

いやぁ、もう、お見事だわ。

1953年(昭和28年)にこんな素敵なバディ物が書かれちゃってるなんて。

『はだかの太陽』買うしかないじゃん! そんでさらに『夜明けのロボット』『ロボットと帝国』も読むしかないじゃん!

幸い後ろの2つは近所の図書館にあるようなので、買わなくてもすむ。というか、両方とも絶版で中古でしか買えないみたいだけれど。

なんか、もったいないよね。アシモフさんというビッグネームでも新刊書店に並ぶ作品はもう少なく、この『鋼鉄都市』も図書館で読めるとはいえ書庫にしまわれていて、普通に棚を眺めているだけでは出会えない。

「県立図書館に有り」みたいな札が挟まっていたので、もしかしたら次の書庫整理の際に廃棄されてしまうのかもしれないし。

図書館も書庫スペースが無限ではない以上、あまり利用されない本や古くて保存状態の悪い本は処分していくしかないんだろうけど、県立にあるからって近所で借りられなくなるとなぁ……。

県立の図書も取り寄せてもらえるとはいえ、やっぱり敷居が高い。「そこまではいいか」と思っちゃう。


ちなみに、昭和54年3月刊行のこの本の広告によると、SFマガジンは500円らしい。昭和56年の『宇宙塵版 派遣軍還る』では600円。2年の間に100円値上がりしてる(笑)。

復刊されたり新訳が出たりして「新品」を手に入れるのもいいけど、旧版そのままを読むのもまた楽し。

(※続編『はだかの太陽』の感想はこちら。『夜明けのロボット』の感想はこちら