新訳版『九尾の猫』を読む前に『十日間の不思議』を読んでおいた方が楽しめる、ということを小耳にはさみ、どうせ『十日間の不思議』を読むならこれも読むか、と手に取った『フォックス家の殺人』。

『十日間の~』がライツヴィルシリーズ3作目で、『フォックス家の~』がシリーズ2作目なのです。

1作目は以前ご紹介した『災厄の町』

ニューイングランドのどこかにある架空の町ライツヴィル。そこでライト家の事件に巻き込まれたのが『災厄の町』で、1940年から1941年にかけてのお話でした。

あれから3年経って、今作の舞台は1944年。エラリー1905年生まれ説を採ると39歳の時のお話ということになります。

そして1944年といえばもちろん第二次世界大戦の真っ最中。日本兵を大勢殺した“英雄”としてデイヴィー・フォックス大尉がライツヴィルに凱旋してくるところから物語は始まります。

しかし凱旋とは名ばかり、22歳のデイヴィーは戦争によって深く傷ついていました。敵兵を大勢殺しただけでなく、瀕死の重傷を負った味方の兵を背負い、何マイルも敵陣の中を歩き、あげくその救い出した味方から「あそこで死んだ方がマシだったのになぜわざわざ助けたのだ!」となじられる始末。

気鬱を患ったデイヴィーは、「凱旋」というよりは軍属を解かれ故郷へ戻されたのでした。

それから背中にビンクスを背負い、片腕にトムソン軽機関銃を持ち、ベルトに弾薬箱を二個ぶら下げて、日本軍の占領地帯を百六十七マイルも歩いた……あのときビンクスの両脚はぐしゃぐしゃにくだかれて、ぶらぶらしていたものだ。 (P27)

「もしも、思っていることを言ったら、ぼくは――刑務所に入れられちまうさ! リニー、ビンクスは助けられたくはなかったんだよ! ビンクスは、中国南部の半分もの距離をぼくに背負われて横切りたいとは思っていなかったのだ! あいつは、日本軍に撃ち落とされたところで死にたかったのだ――」 (P37)

つらいですね……。この作品が出版されたのは1945年で、もしかしたらまだ完全に戦争が終わる前にクイーンはこれを書いたのかな、とも思うのですけど、当時こんなふうに傷を負って戦地から故郷へ戻ってきた若者は大勢いたのでしょう。アメリカだけでなく、世界中に……。

デイヴィーの心を蝕んでいたのは戦地での経験だけでなく、「父が母を殺した」という事実でした。

デイヴィーがまだ10歳だった頃、父ベイアード・フォックスは妻を毒殺した罪で逮捕され、現在も刑に服しているのです。

「親が殺人者」というだけでも子どもは大変な人生を背負わされるでしょうが、父が殺したのは他でもない自分の母親。ライツヴィルという小さな「災厄の町」で、同級生やその親たちから特別な目で見られて育ったデイヴィーが、それをトラウマとしているのは無理からぬことです。

2年前、休暇で戻ってきていた時に血の繋がらないいとこであるリニー(リンダ)と結婚したデイヴィー。

リンダを愛していながら――愛しているからこそ、デイヴィーは父と同じように「妻を殺して」しまいそうで、夜ごとその衝動と戦うのですが……。

この導入部がなんとも息詰まるのですよねぇ。いつデイヴィーがその衝動に負けてしまうのか……ミステリというより心理サスペンス。

そうしてデイヴィーに殺されかけたリンダはデイヴィーを救うため、エラリーに「12年前の事件を再調査してほしい」と頼むのです。

「あの人はずっと前にライツヴィルに来たことがあって、そのときトラブルが起こって困っているライト家の人たちにいろいろ手助けをしてくれたのよ。あの人はよく人助けをする人らしいの。だからあたしたちにも手を貸してくれると思うわ」 (P83)

「よく人助けをする人」……なのか?エラリー(笑)。

ともあれそれでエラリーは再びライツヴィルを訪れることになるのですが、一人でではなく、服役しているベイアード本人を引き連れていくのですね。

もちろん、父ちゃんリチャード・クイーン警視のコネを使って無理矢理刑務所から2週間出してもらうのです。

まったく父親が有名な警視って便利ですね。

ってゆーか、警視、いつまで警視なんだろう。ヴェリーも相変わらず部長刑事みたいだし。国名シリーズの初期から数えるともう10年以上経ってると思うんだけど、ニューヨーク市警に人事異動はないのでしょうか。そろそろ警視は署長になってたりしないんでしょうか。

それはともかく、「妻殺し」で終身刑になっているベイアード、刑務所の所長から「深いですよ、フォックスは――深いです」と言われる人物。

ベイアード本人は、裁判中からずっと「無実」を訴えていたのですね。ベイアードの妻でありデイヴィーの母であるジェシカはもともと肺炎で臥せっていて、久しぶりに気分が良くなってベッドから起きだし、ベイアードが用意したグレープジュースを飲んだ数時間後にまた容態が急変し、2日後に亡くなります。

当初、医師も「また病気がぶり返した」と思ったのですが、実はジギタリス中毒で、グレープジュースに毒が入っていたに違いない、ジュースに毒を入れることができたのはベイアード一人だけ――という状況証拠によって有罪となったのです。

ジュースが入っていた水差しやグラスは警察が調べた時にはもう洗われていて、実際にそこからジギタリスが検出されたわけではなかった。けれども水差しやグラスを「洗っていた」こともベイアードによる「証拠隠滅」と思われたわけです。

もちろん被害者であるジェシカはとっくの昔に墓地に葬られてしまっていますし、いくらベイアード本人を連れてきて関係者を一同に集めても、一体12年前の事件を捜査なんてできるのでしょうか?

ともかくもエラリーは事件が起きたベイアードの家――12年間鎖されていた家で検証を始めるのですが……。

またここからが息詰まるのです。読む方はもちろんベイアードの冤罪を信じ、その無実が証明されることを期待して読み進めていくわけで(そうでなければデイヴィーとリンダが救われない)、にもかかわらずやっぱり「毒を入れることができたのはベイアードだけ」。

あああ、どうするんだ、エラリー!!!!!

ってゆーか、ベイアードが絶対に毒を入れていないなら実はジェシカの自殺なんじゃ?と思うんですけどね。12年ぶりにジェシカの抱えていた秘密が明らかになって、そのことで彼女が悩んでいたことは間違いないし、「口にしたのはグレープジュースだけ」っていうのもジェシカ本人が医者にそう語ったにすぎない。

もしかしたらジュースの後、全然違うタイミングで自分で服毒したかもしれないじゃない? もともとジギタリスは肺炎(だったと思うけど違う病気かもしれない)の治療のために処方されていたものだったし、症状がぶり返してちょっとしたパニックになって自分でいっぺんにたくさん飲んじゃったとか絶対にないとは言えないんじゃ?

あるいは、自殺した上でベイアードに罪をなすりつけようとしたとか。

……思えば『災厄の町』の事件もそんなんだったよね。

ただ『災厄の町』の時はエラリーの目の前で、リアルタイムで事件が進行したけど、今回は12年前。今さら新しい事実が……出てこなくちゃお話にならないけど、よくこんな筋考えるなと思うし、事件自体はとても地味で、検証作業だって地味なのに息詰まる緊張感で読者にページを繰らせるこの手腕、クイーンさんすごいです。

うん。

でも、まぁ、やっぱり若いエラリーの方が好きだなぁ(笑)。謎解きに比重が置かれすぎて「人間が描けていない」と初期作品は評されたらしいけど、だからこそ楽しく読めるのに(笑)。

こういうお話は――特に導入部の、デイヴィーが妻殺しの衝動と戦うところは、読んでてしんどいです。



ところで邦題は『フォックス家の殺人』となっていますが、原題は「The Murderer Is A Fox」。直訳すると「殺人者は一匹のきつね」ですよね。

ベイアードとデイヴィーの姓が「フォックス」ということもあり、章題にもすべて「病めるきつね」「きつねの愛」「追いつめられたきつね」などと「きつね」という言葉が入っています。

最後の2章が「罪のないきつね」「罪のあるきつね」となっているのも心憎い。原著では「Guilty Fox」とかになっているのかなぁ。クイーン作品は章題も凝ってて面白いです。

それに「殺人者はきつね」っていうの、この事件の真相が「きつねにつままれたような」話であることも示唆しているような。いや、英語に「きつねにつままれたような」って表現があるのかどうか知りませんけども。

……ググると英訳出てきますけど、日常的に「きつねにつままれたような話」とか「きつねにつままれたような顔して」などと使うのかどうか。使うんだったら面白いのになぁ。「殺人者はきつね」というタイトルが一層生きてくる。



では引き続きライツヴィルシリーズ3作目『十日間の不思議』を読みますです、はい。

※2020年にハヤカワより新訳版が刊行されました。


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