2015年11月23日月曜日

『いつまでも若いと思うなよ』/橋本治



「わかってますよー、もう若くないことぐらいわかってるんですからー、ごめんなさーい」と言いたくなる書名ですが、『新潮45』誌上に連載されていた時は普通に「年を取る」というタイトルだったそうです。

連載分に加筆・修正、書き下ろし部分もちょっとあり。

最初3分の1くらいは「年を取るのは難しい」「年を取る必要のない文化」といった、今の日本の「成熟を厭うような風潮」について。

中盤は橋本さんのとんでもない借金地獄のお話と、難病のお話。他の著作でも読んで知っていることですが、借金にしてもご病気にしても、本当に改めて大変だなぁと。その大変なことを「私は変な人なので」としゃらっと何でもないことのように書いてしまわれるところがまたすごい。病気で不自由になっても、「老い」を実感しても、そこに「面白さ」を発見してしまわれる橋本さん。

なかなかねぇ。自分の「老い」ってやつはねぇ。

物事の基準が「若い」というところにあるから、そこから離れられない。「離れたら終わりだ」という気があるから、「老いる自分」が認められない。 (P21)

そうそう、「離れたら終わり」なんですよ。そーゆー世の中なんですよ。こんなに超高齢社会になって、右を向いても左を向いても年寄りで、「みんなで老いれば怖くない」ぐらいの年齢構成なのに、物事の基準は「若い」のままなんです。

なぜ(´・ω・`)

もしかしたら、超高齢大国だからこその、老いに関するネグレクトなのかもしれない。 (P65)

本物の若者が少ないがゆえに、「似非若者」の気分でいられるってことなのかしらねぇ。いや、まぁ、自分も「老ける」の嫌だし、「若いですね」って言われると嬉しいし、もう50近くて小さい子からしたら「おばあさん」でおかしくないのに全然「若いつもり」だったりするんで……。

ちゃんと「年相応の落ち着き」とか「成熟」とかしないとな、と思ってはいるんですよ、ええ。思ってはね。

「大人になる必要のない文化」の中では、人は時間をかけて「大人」なんかにはならず、「制約を受ける必要を感じない年期の入った若者」というへんなものになる。 (P58)

以前にも「幼児化する日本~内田樹さんと鷲田清一さんの対談~」という記事を書いてますけど、本当にこう、日本全体が成熟を嫌って若作りに勤しんでいるというかねぇ。

昔のドラマとか見るとみんなすごく「大人」で、でも今の自分よりずっと年下だったりして、びっくりします。石原裕次郎はたったの52歳で亡くなっていて、『太陽にほえろ!』でボスをやり始めたのは38歳ぐらい。私が子どもの頃あのドラマを見て「ものすごく大人な男性」だと思ってたボスは、せいぜい45歳ぐらいで……。

ほんの子どもだった自分から見れば30歳の人でも「立派なおじさん」だったろうけど、今45歳のタレントさんを考えると、ボス石原裕次郎の「大人感」はやはりすごいというか、今の45歳が子どもっぽすぎるというか。

キムタクとか中居くんが43歳、少年隊東山くんが49歳、HYDEさんが46歳、TM西川くんが45歳。

いや、まぁ、アイドルとか歌手と俳優では「見せ方」が違うっていうのはあるんですけど……HYDEさん46歳なの……。

役者で今45歳ぐらいっていうとえーと……高橋克典さんは50歳、上川隆也さんも50歳……葛山信吾さんが43歳か……。役者さん思いつかないな。ミッチー(及川光博)は46歳だけどジャンルが別っぽいし(笑)。

SPEC野々村係長でおなじみ竜雷太さんも『太陽にほえろ!』でゴリさんやってた時はまだ30代だったんですもんねぇ(殉職時で42歳だったそう)。

今再放送を見返せばきっとお肌ピチピチで「なるほどまだまだ若者」って思うんだろうけど、30代・40代の衣裳や髪型等「見た目」や「格好良さの基準」みたいなものがずいぶん変わってきましたよね。男性陣のことばっかり言ってるけど、たぶん女性も。

太地喜和子さんみたいな女優さんって、もういらっしゃないでしょ。



……すいません、話が思いっきりずれました。

幼児化というか「若さこそ正義!」みたいになって「大人にならなくてもいい」みたいになっている日本。

でもそんな現代日本じゃなくても、やっぱり人間にとって「老い」というのはなかなか受け入れられないものなのだろうと橋本さんは言ってくださる。

自然の摂理で、体の方は年を取って行くけど、脳味噌の方はそれがよく分からない。「下り坂の思考」に慣れていないから、「老い」が受け入れられない。矛盾しているのは「老い」の方ではなくて人間の自意識の方ですが(後略) (P167)

若い段階で人格形成が起こってしまうから、事の必然として「自分=若い」という考えが自分の中心に埋め込まれてしまうのだと思います。 (P169)

他の生き物は子孫を残したらもう寿命が尽きちゃうことが多いし、人間だって大昔は生殖を終わった後の時間はそんなにも長くなくて、「老い」を受け入れるも何もなく死んでいってたでしょう。それがどんどん長生きするようになって、一生のうちで子どもや「若者」だった時代より「年寄り」である期間の方が長くなってしまった。若い頃に形成され、そうそう変わらない「自我(気持ち)」と、老いていく「肉体」の間にズレが生じてくるのはある意味仕方ない。

まさに「いつまでも若いと思うなよ」なんですよねぇ。

私も「若い頃に確立した自分」をそのままに、未だアニメ見てマンガ読んでますし、下手したら20代の頃より今の方がもっとアニメ見てる。

まさかこんな年になってもずっとアニメ見て仮面ライダーも見てるって、10代の頃は夢にも思わなかったですよ、ええ(爆)。

だから。

ほんと、「気持ち」とか「中身」の部分では10代の頃とそんなに変わった気がしていなくて、ただ「容れ物」だけがどんどん年取ってる感じなんですよねぇ。子どもが小さい時はそれでも「親」という属性が強くなってはいたけど、今また手がかからなくなって日常的にはあまり「親であること」に縛られなくなって、かえって子どもの方が私より「しっかりしている=大人」かも、と思ったり。

我が家は3世代同居で「家の主人」は義父、「奥さん」は義母だから、そういう意味でも私、「子ども」なんですよね。対外的に家を代表する必要がなくて、家の中のこともまだまだお義母さんに甘えている状況なので。

鏡を見れば嫌でも「肉体年齢」は意識するし、それが「人間五十年」に近づいている以上、「あと何年生きられるかな」を考えもする。でもやっぱり「気」は「若い」ままなんだよなぁ。もちろん本当に若い人達からすれば「気」も「考え」も古くて立派に「おばはん」(どころか「ババァ」?)なんでしょうけれど。

本書の後半、橋本さんが難病で年齢以上に体が不自由になって、お年寄りでいっぱいのバスに乗って「なるほど年寄りというのはこういうものか」ということを実感してらっしゃるんですけど、なんというか、乾いた笑いが出ますね。

さんざっぱら「バスが完全に停まるまで動くな」とアナウンスしているのに動き回る爺婆達。外から見れば彼らの足元がおぼつかないのは明らかで、危なっかしくて仕方がないのに、彼らにしてみれば「自分はまだ大丈夫」で、その注意喚起のアナウンスが「自分に向けられたもの」だなんて思ってもいないから、どれほど運転手が注意を繰り返しても効果がない。

まぁ、「注意してるつもりでも体がその通りには反応しなくなる」ってこともあるでしょうし……。いや、ほんと、そろそろこの手の話を「だから年寄りは!」とばかり言ってられない肉体年齢になってきたんで……私も色々気をつけねば……。

人間は、自分中心の天動説で生きてるもんですから、「自分は年寄りだ」と思ってそれを認めようとしても、「自分以外の年寄り」は、やっぱりいやで、「他人と同じ年寄り」のカテゴリーに入れられるのがいやなんですね。 (P180)

ああ、もう、耳が痛いったら!(笑)

「年寄り」になるどころか、「大人」になるのも嫌だったのに、もう50が間近に……。

最初の方の「大人になる必要のない文化」云々のところで橋本さんは

「自分=子供」と考えれば、大人になることは「子供の自分の中からいやなものが生まれること」で、「身体性を持った自分」は、排除されるべきアクと同じになる。 (P53)

とおっしゃってるんですけど、この感覚めっちゃよくわかります。「身体性を持った自分を嫌う」っていうの、つまりは「思春期の葛藤」だと思うんですけど、女の子だったら初潮を迎えて自分の「身体」というものを――「生殖可能な“大人”の身体」というものを嫌が上でも突きつけられる。

そういう時期の女の子が父親に対して反発したり、父親のパンツと自分の服を一緒に洗濯しないで!みたいなふうになるのも(今の女の子達もそうなのかどうか知らないけど)こう、「生々しい身体」というものに対する忌避なのではないかと。

「子供には身体感覚がない」という話も出てくるのですけど、「年を取る」のを嫌って若作りに勤しむというのも単に皺やシミが嫌だというだけでなくて、「身体性を消す」ということなのかもしれない。

萌えアニメの女の子が童顔に爆乳っていうのも、「現実のリアルな身体」に対する忌避のような気がしなくもない。女の子にとってのBL、男の子にとっての萌え絵、みたいな……。



みんなが「若いつもり」だとどうなるかっていうと、結局そのしわ寄せが「本当の若者」の方に来て、いつまでも若い世代に権限が移らず、「老害」がのさばり続ける……ことになるんでしょう。

今や60歳になってもまだ上に70歳80歳がいっぱいいるのでなかなか自分を「老害」と思えないでしょうけれども、まぁ、いくら身体を嫌がっても心だけでは生きて行けないんだし、「自分はもう年寄りだ」を受け入れて、若い人の迷惑にならないように――若い人の道を塞がないように――(と考えていると「もう早く死のう」という気にしかならないけど(^^;))。

高度成長を達成しちゃった後の日本は、人の基本単位を「若い」に変えちゃったから、この先は自分の「若さ」を捨てられなくて、「老人だ」を認められない人が激増するような気もします。 (P171)

すでにかな~り増えているのでは……(^^;)

残念ながら長生きしてしまった場合、老人ホームやデイサービスでまだガンダムの話をしていたりするのか「最近のアニメはつまらないね」などと言っているのか、そーゆー年寄りに対して若者はどんな目を向けているのか。

年寄り向けのコミケとか開催されてたりするのかしら。とりあえず年寄りになったからって年寄りばかりが登場人物のアニメなんか見たくないな、と今は思うのですが、さて……。

2 件のコメント:

  1. 今月は橋本さんの本が立て続けに発売されましたね。本書と「義太夫を聴こう」までは買いましたがあと一冊「性のタブーのない文化」はまだ未購入でした。
    戦後復興期の再出発からは若さ万歳論調も年の功が足りない=ご了見が若い(年齢関係なく考えがガキっぽい)から成長しなきゃダメだよ。の諫めが通用してたからまだ説得力あっただと思うのですが、バブルの80年代から21世紀こっち消滅してしまいましたね。
    岡本太郎に「瞬間瞬間を生きる」言葉がありましたけど、多くの人がそれも真に受けた結果「瞬間瞬間にしか生きなくなった」よねーとか感じてきます。
    ライダーも僕が見てきた作品の〝もののあはれ〟に「活躍するライダーの戦いは必ず終わる。更なるライダーの活躍を望むことは愚かしい」があったんですけど。
    ��物事の基準は「若い」
    若いってのはどっかで「わからない・知らない」が含まれるもんだと思うのですが、若ぶってる人とか若ぶりたい国とか(政府連中)の面々を見てると「年取ってオッサンオバサンになった現在の自分の頭の良さ」はしっかり担保したまま若返りたいようにも見えてきます。
    バカな自分にだけは戻りたくない!てのは判らなくもないけど、やっぱりどっか虫が良すぎるようにも思えますがねえ(苦笑)。
    ��身体性を持った自分を嫌う
    身体が気持ち悪いから、それである種の本当の自分=考えだけの若い自分として絶対視しちゃうのでしょうね。
    と言いつつ最近名越康文さんの「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」をパラパラ読んでたら「あなたの心はあなたじゃない」の一文があって、かなり感動しましたよ。
    それで行きましょう。

    返信削除
  2. ��創さん
    こんにちは。いつもコメントありがとうございます[E:happy01]
    ほんと、橋本さん刊行ラッシュで嬉しいんですけど懐がつらいです[E:sweat01]
    『義太夫を聴こう』もお買いになったんですね。私はちょっと、躊躇しています。以前に『大江戸歌舞伎はこんなもの』で挫折したことがあるので……[E:sweat02]
    『性のタブーのない日本』は注文済みですがまだ手もとに届いていません。
    ��“やっぱりどっか虫が良すぎるようにも思えますがねえ(苦笑)”
    そうですよねぇ。「若い」とか「子ども」っていうのは「責任を負わずにすむ」ってことでもありますし、最後の方で出て来た藤原家の年寄り同士の家督争いにしても「いつまで自分が自分がばかり言ってるのか」という。
    ただ見た目を若作りするだけならさほど害もないのでしょうが、社会に対する責任とか、次の世代を育てることとか、そういう「成熟」を拒否してしまっては……(書いてて自分で耳が痛い!)。
    ��“名越康文さんの「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」”
    お読みになられたんですね。
    私も気になっている本なのですがなかなか手に取れず[E:coldsweats01]
    「あなたの心はあなたじゃない」ですか。深いですね。

    返信削除