橋本さんが江戸時代以前の日本の「性」のあり方についてお話してくれる大変面白い本です。新書で237ページ、あっという間に読めちゃいますが、中身は大変濃ゆい!

新書なのにカラー図版まで入ってます。うん、これはお買い得(笑)。

橋本さんは以前にも『ひらがな日本美術史』の中で春画について解説してらっしゃいますし、『窯変源氏物語』は源氏の恋愛(というか性愛)遍歴、『双調平家物語』には「男色で出世する男たち」がわんさか登場、それぞれの著作をものする時に史料に当たられて、かなりお詳しいんですよね。

そんな橋本さんが親しみやすい語り口で解説してくださる日本の性文化の歴史。面白くないわけがない。

帯に「タブーはないが「モラル」はある。」と書かれていて、それがそのまままえがきに当たる「Introduction」のタイトルになっています。

タブーはないが「モラル」はある、ってどういうことかというと。

日本には――江戸時代以前の日本には、性表現のタブーはなかったし、性自体にもタブーはほぼなかった。

「性表現のタブーがなかった」からこそ「春画展」なんてものが今大々的に開けるわけです。そして日本には「変態性欲」という概念がなかった。平安時代の貴族の間では普通に男色があって、でも別に「同性しか愛せない」というわけではなく、上皇のご寵愛を受ける男たちにはちゃんと妻がいて、子もいたりするわけです。

『古事記』の中で、親子の近親相姦と同列に獣姦が「罪」として挙げられてはいるのですが、これも橋本さんによると西洋的な「タブー」とはちょっと意味合いが違って、「身近だからってやっちゃいけないよ」という話なのだそう。

獣姦に挙げられてるのが「馬、牛、鶏、犬」で、全部家畜なわけです。「昔の男は身近にそういうものがいるとついやっちゃうんですね」と橋本さんが言っておられますが、これ(「ついやっちゃう説」)は何も橋本さん独自の解釈ではなく、かの本居宣長先生もおっしゃっていることなんだとか。

身近だからって「鶏」はないだろうとか思うんですが、問題はそこではなくて、その「罪」が決してタブーじゃないことなんです。

タブーというものを存在させる文化の神様は、みんな「罪と罰」の対応を持っています。ところが日本の神は、大祓で列挙される「罪」を罰せずに、捧げ物と引き換えに許して、ないことにしてしまうのです。 (P103)

別にそれをしたからって神様に罰されるわけじゃないんだけど、でもまぁやらない方がいいことだし、やっちゃった人は大祓で祓ってもらってすっきりしましょうね、という話らしい。

「やらない方がいい」というジャッジを下すのは神様でも国家でもなくて、国民の間で自然発生的に理解されているものだという。

「タブーはないがモラルがある」という文化の高度性はすごいものです。 (P104)

なるほど「タブー」というのは神による「禁忌」で、「モラル」の方は人間自身が社会生活を営む上で守った方がいいと思う「道徳」ってことなんですね。

神様に頼らず自分達でルールを決める日本人偉い!と思う反面、だからこそその時々の社会のありようで「モラル」が変わってしまう、ということにもなるのでしょう。別にどこにも明文化されてないけれども「国民の間で自然発生的に理解されていること」に反すると神様の罰より大変、って話もありますし……。

それはともかく、日本で性が「神による禁忌」になりえない、っていうのは『古事記』の国産みの神話を見ればもう明らかですよね。

男の神様と女の神様がいて、二人が「やって」国が産まれるんですから。

古代日本人の発想ってストレートだなぁと感心しますけど、確かに赤ちゃんってそれまでこの世に存在していなかったものが突然出てくるわけで、「世界の始まりだってそうだろう」っていうのはなんか、とても素直な感じがします。

古代の日本人が「性交による世界の創造」ということを考えるのは、「世界というものは、人間である自分の身体と相似形のように存在する」と考えて、世界の仕組を考えるに際して、一々自分の身体状況、生理状況に対応させて考えたからでしょう。 (P78)

そんなわけでイザナミのゲロやウンコやオシッコからも神様が産まれるそうで、ホントに古代日本人の発想すごい。

平安時代になると貴族の男はこれぞと思う女に和歌を贈り、女のもとに三日通うとめでたく結婚成立になる、という「恋愛(?)と結婚の仕組み」が完成されちゃうんですが、江戸時代の遊郭はその平安時代の「結婚システム」をなぞっているのだそう。

三日通わないとダメと。

遊郭でなにを遊ぶのかというと、「結婚のあり方を遊ぶ」です。 (P201)

江戸時代の日本人の発想もなかなかですよねぇ。(ちなみに遊郭の「同じ置屋の別の遊女を指名するのはアウト」というしきたりを受け継いでいるのが現代のキャバクラだそうで。)

で、「遊女」って言うと現代では売春婦の側面ばかり強調されますけど、昔の遊女は別にそればかりを売っていたのではなく、娯楽全般、エンターテインメント全般を売っていたのだそう。歌ったり舞ったり、三味線やなんかを演奏したり。一流の遊女にとって「茶を点てる」のは必須の教養だったりもしたそう。

遊郭で「遊びの便宜を図る場所」が「茶屋」だというのもそういうことなんですね。茶の湯というのはそもそも「人と集う娯楽」で「社交」で、

「性欲の満足」と「喫茶」とは、同じレベルにあってしかるべき「娯楽」だったのです。 (P208)

うーん。どう反応すればいいのだ(笑)。

昔の瞽女とか歌比丘尼とか阿国歌舞伎の阿国とかが「売春をしていた」という言われ方をするけれど、

「遊女」というものを存在させていた時代は、彼女達が客に対して性行為を提供していたかどうかを、あまり問題にしません。彼女達は、客にエンターテインメントを提供する職業の女性で、性行為は、そのエンターテインメントと一線を引かれて特別扱いされるようなものではなかったのです。 (P204)

ということで、今の私達の感覚とは違うんですよね。

それは何も女のエンターテイナーの話だけではなくて、男のエンターテイナーだっておんなじ。阿国歌舞伎や遊女歌舞伎が禁止されて「若衆歌舞伎」が生まれ、そこから現在の歌舞伎に繋がっていくわけですが、歌ったり舞ったり演奏したりできる「若衆」はおそらくそれ以前にもいたのです。

(「若衆歌舞伎」というものがすぐに成立してしまえたということは)その以前に「芸能の技術を持って客の接待をするプロの少年達がかなりの数で存在した」ということで、となると「日本て、そういう国だったんだ――」としか言えません。 (P206)

まぁ、『稚児草紙』とかある国ですからねぇ。『双調平家』に出て来る「男色によって出世する貴族」も言ってみればそれを売って生活する「その道のプロ」なわけで。

この本の最後は「そういう日本だったんだからしょうがないじゃないか」で締めくくられるんですけど、うん、「そういう日本」だったんですよね。

現代の日本人からすると「うわぁ」と思うことも多いんですが、歴史としては江戸時代以前の方が長いわけで、今私達が当たり前だと思っている習俗はけっこう明治期以降に作られたものだったりして、こういう本を読むと「日本の伝統」って……という気がしますね。

近代以前の日本にはあまり「オッパイ文化」がないからです。 (P58)

という話も、いわゆる「萌え絵」で爆乳な感じの女の子が多い現代からすると「へぇ~」ですが、江戸の春画にもおっぱい系のものはほとんどないそうで。

歌麿は例外的に「おっぱい」をたくさん描いてるそうですが、彼が描いてるのも性愛上のおっぱいではなく、「子供におっぱいを含ませる母親の姿」なんだそう。どうも当時は「おっぱいにむしゃぶりつくのは幼児だけ」という一線があったらしいです。だから歌麿がやたらにおっぱいを描いたのは「マザコンだったからだろう」と橋本さんはおっしゃってます。

翻って西洋は古代ギリシアの女神像以来「オッパイ文化」で、現代日本はそういうところも「西洋化」したってことなんでしょうか。

「萌え絵」と言えば海女さん萌えキャラが問題になったり、自治体による「のうりん」ポスターが問題になったりしましたが、江戸時代以前の日本の性表現のタブーのなさと、今のこの手の「性表現」とはどう繋がり、どう繋がらないのか、その辺も橋本さんにちょっと考察してもらいたかったな、という気がします。

「性表現にタブーがなかった昔」を羨ましがる人も多いかもしれません。「表現の自由」があるのだから性表現だってもっと自由になるべきだ、と考える人とか。

でも。

「性行為はそもそも非日常な行為だ」と橋本さんはおっしゃいます。非日常だからやっぱり性器はあまり人に見せるもんじゃないし、性行為は「晴」と「褻」の二分法だと「晴」の方だと。そして“「晴」だからもっとオープンにしろ”という話ではなく、むしろ逆なのだと。

「晴」の行為は、日常の中にあまりないのです。だから「晴」なのです。「晴」を大事にすることと、日常を「晴の行為」で埋め尽くすことは、まったく違います。 (P72)

現代人の最大の問題は、「褻」である日常を蔑ろにして、現実離れのした「晴」ばっかりをもっぱらにしようとしていることで(以下略) (P72)

ああ、と思ってしまいます。

なるほどなぁと。



最初から最後まで、ほんとに興味深い話ばかりでした。橋本さんありがとうございます。