『世界ミステリ全集第18巻 37の短編』に収録されていた「女か虎か」という作品が、昔宝塚バウホールで観たミュージカル『アップル・ツリー』の元ネタだと知り。

3つのお話のオムニバスだった『アップル・ツリー』、私は「女か虎か」よりも「アダムとイヴの話」が好きだったのです。めっちゃ泣かされた覚えがある。

で、その「アダムとイヴ」のくだりの原作はマーク・トウェインの『アダムとイヴの日記』だとン十年ぶりに知って読みたくなり、図書館で借りてきました。

私が借りた福武文庫版、すでに絶版のようですが、原書からのイラストがふんだんに採録されている上、マーク・トウェインの詳しい年譜もついていて、なかなかお薦めです。

書名は『アダムとイヴの日記』となっていますが、中身は『アダムの日記』『イヴの日記』という二つの別々の作品です。この2作は書かれた時期も違っていて、それぞれ独立した作品なのですが、トウェイン自身が『イヴの日記』を書いた時に、

この中でイヴは無意識のテキストとして「アダムの日記(抄)」を使っている。

二つの作品はたがいに競いあってポイントをあげている。だから合本にしなければそういうポイントがわからなくなってしまうだろう。 (解説から抜粋 P220~P221)

と合本での出版を出版社に望んでいます。

うん、これは一緒に読んだ方がいい作品だよね。アダムから見たイヴ、イヴから見たアダム。アダムから見た「世界」、イヴから見た「世界」。もちろん片方だけでも魅力あるテキストだけど、一緒に読むとその「ものの見方の違い」がなんともいえない深みを生み出す。

まずは『アダムの日記』。原題には「Extracts from」と付いていて、「本当はもっと長いんだけど抜粋してある」というふうになってます。「何年か前、私はこの日記の一部を解読した」という注もついてる。

アダムの日記は、割とそっけないです。イヴの日記に比べると言葉数がずっと少なくて、ずっとバカっぽい。挿絵もデフォルメされた感じの絵。

「長い髪をしたこの新しい生きものは、まったく邪魔だ」で始まり、その後もずーっとアダムは「新しい生きもの(イヴ)」のことを理解しません。そのくせちゃっかり子ども作ってるんだけど、子どものことも「子ども」だってわかってないから、「この新しい奇妙な生き物は何なのか?」って記述がずーっと続くんだよね。他の動物たちとはまったく違っていて、どんなに辺りを探しても同種の生き物が見つからない。なのに彼女(イヴ)と来たらまたもう1匹捕まえている!って(笑)。

いや、まぁ、世界で最初の人間なんだし、他に人間はイヴしかいなくて、イヴのことも「新しい生きもの」と思っているわけで、生まれたばかりの時は歩けもしない「子ども」が自分達と同じ生きものだとは夢にも思わないのは無理もないんだけど。

イヴがその「謎の生きもの」をなぜか可愛がっていることも理解しないし、「こんなヤツ逃がしてやれば」とか言う。「自分の子ども」だということが男にはわからず、女は――世界で初めての女でさえも――知っている、というのは見事に「男と女のすれ違い」ですよねぇ。

世界で初めての男と、世界で初めての女の物語だけど、当然それは普遍的な男と女の物語であって、やたらに物に名前を付ける女、美しいものを愛でる女、「そんなもの何の役にも立たない」と女の興味を馬鹿にする男……と、いちいち苦笑せずにはいられません。

『イヴの日記』の方は挿絵も細かくて、文章も理屈っぽいというか「すごく考えてる」感じで、アダムの素っ気ない日記とは全然違う。なんか、この文体の違いからして「男女の差」と思えるんだけど、ジェンダーフリーという観点からすればあまりそれを普遍的な性差に結びつけてはいけないのでしょう。

前に橋本治さんの『桃尻娘』シリーズで、男の子の内面がひたすら「………」で表されて、要するに「何も考えてない」ふうに書かれていて、「男ってそうなの?」とショックを受けたことを思い出します。

私は女なので男の内面はわかりませんし、女の内面だって、「たまたま女である私の内面」はわかっても、他の女性の内面はわかりません。

『イヴの日記』のイヴは自分を「実験台」だと理解しているし、彼女自身が実験をし、発見することに非常な興味を持っている。

だから一番いいことは、こうして実験をやって、それで物事を証明することだ。そうすれば本当のことがわかるのだ。それをしないで、ただ推量や想像や憶測だけにたよっていると、決して教養は身につかない。 (P182)

世界最初の女は研究者だったんだなぁ。

じっと観察していたおかげで、わたしは星は長つづきしそうもないことを知った。いちばん立派な星だって、そのいくつかが溶けて空から流れ落ちるのを見たからだ。一つが溶けるということがあるからには、みんな溶けてしまうことだってありうるわけだ。みんな溶けるということがあるからには、それがみんな一夜のうちに溶けるということだってありうる。 (P188)

そんで世界最初の男はそんな女を「何やくたいもないこと言ってんだ」って思ってるんですよー。男と女の間には深くて暗い溝があるー。

『イヴの日記』の方には子どものことは書いてなくて、世界を観察し、実験したことと、アダムへの思いが綴られているだけ。

最後の数ページ、アダムのことを書いた部分は読んでてじーんとします。

もしわたしが自分にむかって、なぜ彼を愛するのかと尋ねたら、自分でもその理由がわからないことに気がつくだろう。そして、実際にはそんなことは大して知りたいとも思わないのだ。 (P192)

この後、「わたしが彼を愛しているのは、彼が○○だからというわけではない」というのがいくつか続くんだけど、その中に「彼のおつむがいいからではない。ってゆーか、ぶっちゃけ彼のおつむなんてお粗末なもの」(意訳です)っていうのがあって、やっぱりイヴはアダムのこと頭悪いと思ってるのかー、と苦笑してしまいます。もちろんアダムはアダムでイヴのことを馬鹿だと思ってるので、要は「何をもって賢いとするか」の基準が違うんですよね。男と女の「ものの見方」はこんなに違う、みたいなこと。

で、「わたしが彼を愛しているのは○○だからではない」「○○だからでもない」と、ありがちな理由を色々否定した後で。

そうだ、わたしが彼を愛しているのは、ただ、彼がわたしのものであり、そして男性だから、だと思う。ほかに何の理由もないのだ、と思う。(中略)そして、自分でも説明できないのだ。それに、そんな必要もないのだ。 (P200)

「そして男性だからだ」という部分には少し引っかかるけど(異性愛がすべてじゃない)、「ほかに何の理由もない」「説明できないし、その必要もない」っていうくだりには大いにうなずいてしまいます。うん、「優しいから」とか「格好いいから」とか「共通の趣味があるから」とか色々言うけど、本当のところ理由なんてないんだよね。優しい人は他にもいるし、同じ趣味の人全員を愛せるわけでもないし。

なぜ彼(もしくは彼女)でなければいけないのか、そんなこと説明できない。その人が、ただその人であるから好きなのだ。

理屈を説明できるようなものは愛じゃないんだよなー。



イヴのアダムへの思いにじーんとした後、最後に、アダムのイヴへの思いが来る。

イヴの墓のまえで
アダムの言葉。――たとえどこであろうと、彼女のいたところ、そこがエデンだった。
 (P206)

ぐおー。

泣くわ。

これ、作者トウェインの、奥さんへの思いの吐露かもしれないそうです。この『イヴの日記』の着想を得たのは、奥さんの埋葬後二ヶ月ほど経った頃なのだそう。

互いに理解できないことが色々あっても、「邪魔だなー、おしゃべりうるさいなー」と最初は思ったとしても。

彼女のせいでエデンを追放されたのだとしても。

彼女のいたところ、そここそがエデンだった。

……昔見た宝塚の『アップル・ツリー』、イヴ役は月影瞳さんだったんですけど、彼女のイヴがまたとっても素晴らしくて、最後のアダム(アダムは真矢みきさんだった)のこの述懐がもうね。たまらなかったです。



短い作品ですぐ読めるので、ぜひ。

新婚さんへのプレゼントにもお薦めです。