またウールリッチに戻ってきました。なんかホッとする(笑)。この独特のウールリッチ節に慣れると他の方の文章が味気なく感じてしまいます(^^;)

この『夜は千の目を持つ』は1945年にジョージ・ハプリイ名義で発表された作品。

まずタイトルがいいですよねぇ。「NIGHT HAS A THOUSAND EYES」――SFも書けそうだしファンタジーも書けそうなタイトル。

これはミステリーですが……ウールリッチですから「謎解き」メインのミステリーではありません。本来の意味での「ミステリー(神秘的な、不可解な)」話ではありますけど。

ある夜、まだ若い刑事ショーン(28歳らしい)は川に飛び込もうとしていた娘を助けます。「あのまま死なせてくれたら良かったのに」と言う娘の名はジーン。まだ二十歳そこそこの美しい娘が一体なぜ死のうとしているのか。

星が怖い、と彼女は言うのですね。「あんなに光らせておかないで。もう光らせないで」と。

よくよく話を聞いてみると、彼女の父親が三日後に死ぬらしいのです。そういう予言をされたと。

「予言?はぁ?」と思うんですが、ジーンはそもそもの最初から語り始めます。父と娘、二人きりの家族を襲った不可解な出来事を……。

この「告白」部分がかなり長くて、全405ページ中145ページくらいがジーンの語る「回想」だったりします。一晩かけてカフェで話したことになってますけど、話す方も聞く方もよくがんばったな、みたいな(^^;)

でもこの「告白」が素晴らしいんですよねぇ。この部分だけで一つの物語というか、後半はおまけじゃないかと思うぐらい。

親子二人きり、とはいってもジーンの父親は資産家で、家にはメイドやら執事やらがいます。そのメイドの一人がある時突然妙なことを言い出すのです。「旦那様の今度の出張はとりやめるべきだ」と。行きはいいが帰りの飛行機が危ないと。

もちろんジーンはそんなこと取り合わないのですが、実際にその出張の日が来ると心配でたまらなくなります。問題の帰りの飛行機が出る時間が近づくにつれ、だんだん神経症っぽくなってくる。

この「じわじわと精神を蝕まれていく感じ」がたまらないんですよねぇ。

予言や占いなんて嘘だ、当たるわけがないと思っていても、やっぱり自分や身近な人が「事故に遭う」とか言われるとやっぱり気にせずにはいられない。「まさか…」「でももしかしたら…」というこの心の揺れ、その描写がもう、ほんと巧い!

あたしには、とばりのように自分をおおうこの不安と哀しみの中心が、じつは事件そのものではなく、あるいはそれがもたらした亡失ですらないことがわかっていた。中心にあるのは、あらかじめ警告されていたという事実だった。 (P73)

そう。そうなんだよね。

「私は知っていたのに」「止められたのに」という思いが、一番つらい。それが「真実の予言」なら、何をしても――むしろ止めようと何かをすればするほどそれが裏目に出て予言の成就を助けてしまうのかもしれないけど、それでも、「私はあの時父を止めなかった」という思いはずっと澱のように残る。

「想像力はつねに現実よりおそろしいっていうでしょう」 (P204)

後半に出てくるこのジーンのセリフの通り、現実そのものよりも、疑心暗鬼に駆られてあれこれ考え想像してしまうその心の動きこそが恐怖を生むんですよねぇ。そもそも「恐怖」って心の問題なわけで。

で、ジーンの話を聞いたショーンはとりあえず彼女を上司のマクマナスのところへ連れて行きます。このマクマナスというおじさんがとってもいい人で、「予言?はぁ?」などと馬鹿にせず、ちゃんと捜査してくれるのです。

「警察官は自分が眠るためにいるんじゃない。人が眠れるようにいるんだ」 (P325)

こんな素晴らしい警官がホントにいるものなんでしょうか。

もちろん正式な捜査ではなく、マクマナスと、彼に従う数名の警官だけによる言わば「私的な捜査」なのですが。

後半は、この「捜査」の進捗状況と、ショーンに護衛されたジーン親子の様子を交互に描いて進んでいきます。タイムリミットの3日後に向けて。

ウールリッチはこの「タイムリミット」設定をよく使いますよね。嫌がうえにも高まるサスペンス♪ 読者以上にへろへろになっているのが「おまえは3日後に死ぬ」と言われた当の本人。

ジーンの父親の憔悴っぷりったらもう……。「人を殺すに刃物は要らぬ、ただ予言だけすればいい」って感じです。

人は誰でも自分がいつか死ぬことを知っているけど、その「いつか」はまだずっと遠い先だと思っていて、「もうすぐ」と言われたとたん右往左往してしまう。

マクマナスと警官たちは一生懸命仕事して、謎の予言者の行動を調べたり、これまでにその予言者が言い当てた事象について「いかさま」じゃなかったかどうか検証する。

予言をしたのはジーンの家のメイドではなく、メイドの知人のトムキンズという男なんだけど。

子どもの頃から予知能力があったという彼。彼は別にジーンの父親に死期を知らせたくはなかった。株価についての情報を知りたがった父親が、未来の自分の利益について問い詰めたあげく、無理に言わせてしまったのです。

それが真の予知能力なら、こんなに気の毒なことはないんだよなぁ。目の前の人間の死期がわかってしまうなんて。しかも彼はただ知るだけで、どうにもできない。

それは、必ず起きることだから。

ウールリッチは「予言」という形を借りて、避けることのできない「死」というさだめを描いたように見えます。どんな状況で訪れるものであれ、人間にとっては理不尽でしかない「死」。「死」の前にうろたえ、おののき、自分で作りだした「死」のイメージに打ちのめされてしまう人間の「心」。

そんな人間たちを、星はただ見下ろしている――。

〈あたしたちの眼前には、はたしてあたしたちが見ているような世界があるのだろうか。ほんとは内側に、目の奥にあって、外にはなにもないのではないかしら。ただ無辺の空間があるだけなのでは?〉だが、その先へ踏みこめば狂気が待っているだけだから、いそいで脇へはなれた。 (P96)

ウールリッチは脇へはなれられなかった人なんじゃないかな。そんなウールリッチがとても好き。