「幻想小説集」と銘打たれているとおり、ちょっと不思議な、怪奇趣味っぽい中短編5篇を集めたアンソロジーです。ネヴィンズJr氏による短い評伝もついています。一つ一つ見ていってみましょう。

 
【魅せられた死 Speak to Me of Death】

最初の数ページ読み進んだところで。

「あれ?これって『夜は千の目をもつ』じゃん!」

ウールリッチの長編はすでに発表されている短編をもとに書かれたものが多いのですが、『夜は千の目をもつ』にももとネタ短編があったのですね。

ヒロインの相談に乗ってくれる親切な警察官マクマナスの名も同じ(こちらの訳では“マックマヌスとなっていますが)。結末も同じ。でもヒロインは直接警察へ相談に来るし、「死の予言」をされたのはヒロインの父でなく“叔父”になっています。

『夜は~』の細部の「怖さ」を読んでから読むとあっさりしすぎていて、あまりにもアウトラインしか書かれていない感じに思えます。ヒロインが精神的に追い詰められる前半のあの息苦しさ、「予言」によって狂気に落ちていく父親の破滅感。

自分にはどうにもできない超能力を持ってしまった予言者トンプキンズの悲哀もあんまり迫ってこないです。

この短編の方を先に読んでいれば、また違った感想だったのかもしれないのですけど、これだけ読むと「予言による死?何?」と思ってしまうような。

「魅せられた死」という邦題がとても秀逸。たぶん、死に魅入られていたのはウールリッチ自身だったのでしょう。避け得ぬ死、運命、破滅の予感、死を約束されて生きるこの理不尽な生……。

彼の描くせつなさはまさに「刹那さ」なのだと思います。

しかしこの短編はどの名義で書かれたのでしょう。『夜は~』はジョージ・ハプリイ名義で出版されていますが、この短編がウールリッチ名義で発表されていたとしたら、これを読んでた人には「え?これまんまアレだけどパクリなの?それともウールリッチ本人なの?」って思ったんじゃ。

 
【今夜の私は危険よ I'm Dangerous Tonight】

表題作です。

表が黒で裏が赤、じゃこうの匂いのするそのドレスを着た女は誰もが攻撃的で残虐な思考に取り憑かれる。愛する者さえ裏切り、その“死”を願い、みずから男の体を海に投げることも……。

そのドレスに付けられた名は「今夜の私は危険よ」。

マルドナードというデザイナーが悪夢のお告げにより生み出したそのドレスは、まずモデルの娘を餌食にし、続いて船の上の冴えない婦人を操って、長年連れ添った夫を殺させます。ドレスを脱げばいっぺんに正気に戻ってしまうので、モデルの娘も婦人も自分のしでかしたことに驚きおののいて、一人は自殺し、一人は狂ってしまいます。

ドレスに身を包まなくてもその布地に触れただけで、悪意や憎悪を強烈に増幅させる謎のドレス。そのドレスが巻き起こす悲劇をある意味淡々と描いていくのかと思いきや、後半はちょっと違った趣になります。

モデルの娘の事件にも船上の事件にも絡んでいた一人の刑事の「リベンジ」を描くお話になるのです。船の上で何発も撃たれてほぼほぼ死んだと思っていた刑事が生きてて、でもその失態により警察をクビになって、一人で犯人を追う。どん底まで落ちた男が金髪美女の助けを借りて弟を殺した悪党を追い詰める……って、ウールリッチには珍しいハードボイルドテイスト。

刑事フィッシャーはウールリッチの描く男にしては珍しくタフだし(何しろ至近距離で何発も撃たれたのに生きてる)。

途中、看護婦に「彼は女と消火栓の区別もつかない」とか言われていたのが、助けてくれた美女のおかげで「女と消火栓の区別を、過去数週間に彼が自覚しているよりもはるかに深く知っていた(P132)」になるんですよね。こういう表現力、さすがウールリッチ。

フィッシャーの追跡劇にも謎のドレスは絡んでくるんですが、もちろん科学的説明なんかはつかず、謎のドレスの正体は「謎」のままです。

ドレスから立ちのぼった“何か”を目撃しても、人はそれを「染料かなにか」だと言ってごまかしてしまう。納得しようとする。

この世では、つねにあらゆることに対する合理的な説明があるのだ――それが真実であるかどうかはべつにして。たぶんそのほうがましなのだろう。 (P143)

うがった見方をすれば、やっぱりここでもウールリッチは「理不尽なこの世」を描いているように見えます。突如降りかかってくる災難、悪意。船上の婦人なんて、これまで四十年地味に生きてきて、小さい不満はあっても夫と仲良くやってきたのに、半ば無理矢理売りつけられたドレスのせいで破滅してしまうんですから。

そりゃあ彼女の中にも「悪意」はあったかもしれない、他の誰でもない「夫」にその殺意が向かったのは、常々溜め込んでいた「小さな不満」の積み重ねのせいかも。

でも。

普通ならそんなものはなんとかやり過ごせるし、人はそうそう一線を踏み越えたりしない。

彼女たちをそそのかしたのは謎のドレス。人知を超えた「魔」。

何か事が起こると人はすぐ「動機」を求めるけど、合理的な理由なんて実はなくて「魔が差した」だけなのかもしれない。ただ人はそんな「理由のなさ」に耐えられないから、合理的な説明をひねり出そうとするんだ。「それが真実であるかどうかは別にして」。

 
【コブラの接吻 Kiss of the Cobra】

刑事である「わたし」の妻、メアリーの父親が数年ぶりにインドから戻ってきた。現地で結婚した若い妻を連れて。

ベーダという名のその女は何やら蛇を連想させる不気味な女で……。

「ベーダ」って「リグ・ヴェーダ」とかの「ヴェーダ」なんでしょうかね。彼女を観察している「わたし」が「蛇みたいだ」「どう見ても蛇みたいだ」「ああ、もう蛇にしか見えない!!!」ってなっていく「息苦しさ」がさすがウールリッチです。心理的な恐怖や不安によって人を追い詰める手練手管でウールリッチの右に出る者はいません。

ベーダ自身がコブラの化身という怪異譚かと思ったらそうではなく、彼女がどうやって殺人を犯していたか、トリックが解明されたりします。

うーむ、正真正銘「コブラ女」の方が「怪奇幻想小説」で良かった気もするけど……。

 
【ジェーン・ブラウンの体 Jane Brown's Body】

死者を蘇らせるマッド・サイエンティスト……でも彼が主役というわけではなく、彼によって蘇生させられた「何も知らない娘」と、偶然彼女と関わることになってしまった青年の悲劇です。

題材としてはミステリにもSFにもなるけど、ウールリッチが書くとロマンス風味がついてせつなくなる。

この作品の青年も珍しくタフガイで、個人でヤバい仕事を請け負う飛行機乗り。嵐で不時着した先にマッド・サイエンティストの屋敷があって、そこに閉じこめられていた可哀想な娘ノーヴァを連れ出したはいいけど、「一度死んだ肉体」である彼女は薬なしでは生きていけなかった……。

医学的にはたぶん無茶苦茶で、「すべての記憶と知識を失って一から言葉や生活を学ばなきゃならなかった割にはたった2年で精神年齢高すぎじゃ?」と思ったりもするんですが、彼女自身自分の正体を知らなくて、再び死へ向かっていく運命を受け入れるしかないのが哀しい。

まさに「避け得ぬ死」。どんなにあがいても、たとえ生き返れたとしても、やっぱり人は死んでしまう。死からは逃れられない。

なんとなく、昔読んだ美内すずえさんのマンガを思い出しました。研究施設で何らかの実験対象として育てられてる少女がひばりに憧れて、「私も飛べるわ!」って飛んで、もちろん落っこちて、ぐきっと首の骨を折って死んじゃうお話。(うろ覚え。詳細違っていたらすいません)

『ひばり鳴く朝』ですね。まんだらけのサイトに扉絵の載った記事が(こちら)。

マッド・サイエンティストのもとで実験体として暮らしていればもう少しは長生きできたかもしれない。外の人間と出逢い、外の世界に出たがために短い人生を終わる。でも、一体どっちが幸せだったのか。

実験体であることがそもまず悲劇なんだけど、誰もがみなある意味では彼女たちと同じで、なぜこの世界に連れてこられたのか、自分自身では知らず、逃れ得ぬ「死というゴール」に向かって生き続けさせられる……。

そして目にもとまらぬ早さで飛んできたミツバチかスズメバチが、彼のほおをなで、ちくりと刺し、一滴の血を吸った。また壁からパシッとはじかれ、もう一匹の昆虫が転げ落ちた。今夜の昆虫の世界は何やら非常に能率的で、ひどく自己破壊的だった。 (P233)

こういう描写ほんとに素敵だし、医学的な無茶など気にならないぐらいの筆力があるんですよねー、ウールリッチ。終わり方、せつないしな……。

うん、好き。

 
【だれかの衣裳――だれかの人生 Somebody's ClothesーSomebody's Life】

これだけ戯曲です。

賭博に夢中ですっからかんになりながらもやめられない伯爵夫人。千里眼の持ち主に「どうしたらいいでしょう」と相談に行くと、「あなたは変わらなければならない。心の内部を変えなければ。まったく別の人間になって、“他のだれか”が考えるように考えられるようにならなければ」と言われ……。

ここまで読んでも「何この話?どうなるの?」なんですが、最後が素晴らしいのです。「ああ、このオチを書くための前フリか!このシーンを描きたかったのか!」と。

正直伯爵夫人じゃなくても、賭博狂いじゃなくても、「人生を取り替えたい」「別の自分に生まれ変わらなくちゃ」と思った女なら誰でもいい話なんだけど(でも男ではダメな気がする(笑)。ウールリッチだしやはり“女”でないと)。

あり得たかもしれない人生。わたしがあなたで、あなたがわたしだった可能性。

でも現実には不可逆で、取り替えることなんかできない。不可思議な、この、「わたしの人生」。

人生そのものの理不尽、存在の不安。やっぱりそういうものがウールリッチの根っこにあって、小説を書かせたのだという気がします。たまたまミステリの雑誌を舞台に活躍したから「ミステリ」と分類されてるけど――そして確かにやたらな「死」を描くのにミステリはもってこいだけど――、ウールリッチの書いたものはここに収められたもののように、「謎解き」ではなくてむしろ「謎かけ」のような、「死にまつわるファンタジー」のような。

ああ、ほんとに好き。


長くなったので巻末の評伝2本については別記事で。マルツバーグ氏の小文が泣ける(・_・、)