2017年1月4日水曜日

『天衣無縫』/織田作之助(角川文庫:文豪SDコラボカバー版)



中原中也国木田独歩に続いて文豪SDカバーシリーズ3冊目、織田作です!

正直アニメ「文豪ストレイドッグス」第一期はあんまり面白いと思えないまま見てたんです(原作の方は未読)。それが、二期の最初の数話、織田作メインの話はとっても好みで、このままずっと織田作の話だったらいいのに……と思ってたら死んじゃって、大変大変残念でした。

でも織田作亡き後も二期は最後まで面白く見て、「一期はここを描くために必要なうだうだだったんだなぁ」としみじみ思ったりもしました。

最近のアニメは1クール13話で完結、というのが多いのでこっちもそのペースに慣れてしまっているけど、26話通して一つの作品となれば、最初のうちは丁寧にキャラの背景とか細部を描いて当たり前というか、描いてこそ後半がよりドラマチックになるわけで。

最初に中也と国木田さんの2冊を買った時に「織田作~!織田作がない~!織田作が欲しいのに~!」と思い、わざわざ京都の大きい本屋行ってGetした織田作『天衣無縫』。



欲しかったのはこのカバーであって、私に織田作が読めるとも思えなかったんですが。だって『夫婦善哉』でしょ?と。

ところが読み始めたら面白い。いきなり最初が『夫婦善哉』だったんだけど(※表題作含め9篇の短篇が収められています)、美容院でカラーしてもらってる間にがーっと読めちゃいました。どんどんページを繰っちゃう。

何だろう、すごいよね、この話。この濃さでこの分量(たったの45ページほど)っていうのがすごい。ヒロイン蝶子がまだ子ども時分の頃から説き起こして、芸者になり、柳吉と出会い、所帯を持って何度か商売に失敗し……。

まるでジェットコースタームービー

柳吉と出会ってからでも二十年余りのことがぎゅぎゅっと濃縮されて詰まってるんだもんねぇ。文章のテンポの良さ、お話自体のテンポの良さがすごいなと思いました。

有名な作品だし何年か前にNHKでドラマ化もされて(つい去年ぐらいのことだと思ってたら2013年だった。NHK公式サイトこちら)、だいたいのあらすじは知っている方も多いと思いますが、陽気でしっかり者で一途な芸者蝶子と、大店の“ぼん”ですでに妻子がいたにも関わらず蝶子と出奔して実家を勘当され、自分は働かずに遊んでいるくせに蝶子が必死に稼いでくる金をあっという間に使ってしまうどこまでも“ぼんぼん”の柳吉の、愛があるんだかないんだかよくわからないけったいな同棲生活。

なんか、読んでると「男が働いて妻子を養う。女は家のことだけしてる」なんてのはホント、戦後のサラリーマン家庭だけのごくごく特殊な話で、伝統でも何でもないな、という気がしてしまいます。

ろくにお金ないのにすぐお店開いては潰し、開いては潰してるし、「会社に雇われる」がメジャーじゃない時代は庶民も自分で起業しなきゃ生きていけなかったんだよなぁ、と妙なところで感心したり。

NHKのドラマ見てなかったけど、蝶子がまさに尾野真千子ちゃんどんぴしゃで、読んでて全部彼女で再生される。活きがよくてエネルギッシュで、頼りない柳吉を時に折檻しつつも惚れた弱み、見捨てて新しい人生を、とはできない可愛い女。

一方蝶子にヒモ同然で養われるぼんぼん気質の柳吉は若い頃(40歳くらい)の小林薫さんで脳内再生されてました。見てはいないけど実際に小林さん、何度か柳吉を演じてらっしゃいますよね。小林さんと尾野まっちゃんだと親子(『カーネーション』)だけど、でも柳吉のイメージは小林薫。うん、他の人では違う気がする。


織田作の著作の中でおそらく最も有名な『夫婦善哉』をさしおき『天衣無縫』が表題作として選ばれたのは、文豪SD中の織田作の異能力名が「天衣無縫」だからだと思いますが(もし異能力名が「夫婦善哉」だったら……どんな異能力だったんだろう……)、なんか、予想と違う話でした。

「天衣無縫」を辞書で引くと
〔天人の衣服には縫い目が無いように〕詩歌などが、技巧のあとが無く、完全である様子だ。〔俗に、天真爛漫の意にも用いられる〕 (新明解第六版)
と書いてあります。

威勢はいいけど天然な大阪の男が浮き沈みをくり返しながらもその天然ぶりで商売に成功する話かな、と勝手に思っていたら女性の一人称、しかも初めての見合いに赴く娘の微妙な心の綾がのっけから非常に巧く書かれていて、「織田作って一体何なの? なんで女心がこんなにわかるの!?」とびっくり。

24になるまで縁談がなくて、自分で「醜女だ」と思っていて、でもだからって見合いにいそいそ出かけたわけじゃない、いそいそなんてとんでもない、相手はメガネをかけた風采の上がらぬ人で、そりゃ私だっても器量がいいと言えた義理じゃない、向こうも見合い写真を見てさぞがっかりしたことだろうけれども……。

で、その見合い相手とめでたく結婚するのだけど、夫となった男はどうにも頼りなく、自分だって裕福ではないのにほいほいと人に金を貸して――わざわざ自分の着ていたものを質に入れてまで金を貸して、まじめに働いているのにいつもタイムレコードを押し忘れて無断欠勤扱いにされ、出世どころか昇給もせず。

そのことを咎めると「そんなことまでいちいち気をつけて偉くならんといかんのか」(P91)と怒る。

うーん、これは、この旦那さんが「天衣無縫」ということなのか。それとも文句を言いつつそんな夫を愛し、「あの人は私だけのものだ」と言う女が「天衣無縫」なのか。

両方なのかなぁ。

特別美男美女でもなく、すごい金持ちでもすごい貧乏でもなく、惚れた腫れたの大ロマンスで一緒になったわけでもない男と女の、もしかしたら「どこのうちもこんなもん」かもしれない日常

「技巧がなく完全」って、そういうことなのかな。

しかし蝶子といい、この話の語り手といい、当時妻が夫を折檻するのは日常茶飯事だったんでしょうか。折檻と言っても「天衣無縫」では「小突いたり鼻をつまんだり」ぐらいなようですが。


女を描くのが妙にうまい織田作、『女の橋』『船場の娘』『大阪の女』三部作では泣かされてしまいました。

船場の若旦那が芸者といい仲になって子どもができるも当然結婚など許してもらえず、子どもだけ引き取って芸者は捨てる。何も知らず「船場の嬢(とう)はん」として育てられた娘はしかし、ある時自分の身の上を知り、それでも家のために好いた男を諦めて嫁に行くも嫁ぎ先で「実は芸者の娘」であることがばれ、離縁。芸者の娘はやはり芸者になるしかないか、と一人で身を立て、贔屓にしてくれた旦那との間に子をもうけるも別れ、手切れ金で喫茶店を開いて女手一つで娘を育て、その娘がまたあろうことか船場の“ぼん”と……。

女三代の物語なのですよねぇ。父親もおらん、芸者上がりの女の娘が“ぼん”と一緒になれるわけない、そんなんお母ちゃんが一番よう知ってる。それでも、もしかしたら、時代は変わったんかもしれん。戦争が終わって、日本も――大阪も、変わっていくんかも。
雪子はふと葉子の覚悟や島村の理想がたとえ夢であるにしても、今はこの夢のほかに何を信じていいのだろうか、そうだ、自分はこの夢を信じようと、呟いた。 (P195)

この最後のくだりでぼろぼろ泣いてしまいました……。なんやろ、やっぱり自分もすっかり「お母ちゃん」になってしもたからやろか。子どもを通して未来に光を見る、希望を見る、みたいのんに弱ぅなってしもたんかな。

なんか、ええ話でした。


小説というよりエッセイのような『世相』も織田作の内面や創作の秘密を垣間見るのに興味深く。ここで言及されている「阿部定」事件をモチーフにした小説は、作中の言葉通り『妖婦』という題で作品化されているそう。(青空文庫で読めます→『妖婦』


いきいきとした大阪弁のセリフ、千日前や道頓堀、梅花女学校といった大阪出身者にはなじみ深い地名。いやぁ、ほんとに予想以上に良かったです、織田作。

1913年生まれの織田作は1909年生まれの太宰治や中島敦より4歳年下。太宰や坂口安吾らとともに「無頼派」「新戯作派」と呼ばれたそうで、文豪SD中で3人がつるんでいるのもその辺を踏まえてのことなのでしょう。

太宰や中島敦、そして中也が早世なのは知っていましたが、織田作も満33歳で亡くなってしまっているのですよね。敦と織田作が満33歳、中也30歳、太宰が38歳。国木田さん36歳。みんな早いな……。

武装探偵社で長生きしたのって谷崎潤一郎くらいなのでは。あ、乱歩も長生きか。

ともあれ文豪SDがなければたぶん一生読むことはなかっただろう織田作を楽しめて感謝しております。コラボカバーありがとう。


※青空文庫へのリンク貼っておきますね。残念ながら『女の橋』三部作は青空文庫未収録です。
   ・『夫婦善哉』  ・『天衣無縫』  ・『世相』

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