文豪ストレイドッグスコラボカバーにつられて、中原中也国木田独歩織田作之助坂口安吾と読み慣れない日本近代文学を立て続けに読んできたわたくし。

毒を食らわば皿まで、というわけじゃありませんが、勢い余ってポオまで買っていたんです。そう、文豪ストレイドッグスコラボをやっていたのは角川文庫だけじゃなかった!
東京創元社よ、おまえもか!!!



ポオとラヴクラフトにコラボカバーがついてて、ラヴクラフトもまったく読んだことがないので気になったんだけど、怪奇系は苦手だしなぁ、と思いポオの方を。

これまでに読んだポオの作品は超有名どころの『黒猫』、『モルグ街の殺人』、『黄金虫』のみ。江戸川乱歩がその筆名にし、萩尾望都さんの『ポーの一族』でも名前のモチーフに使われているエドガー・アラン・ポオ。

この創元推理文庫の「小説全集」は年代順にそのポオの小説を全4巻で紹介していて(他に『ポオ 詩と詩論』も出てる)、この第1巻には1833年から1840年までに発表された21の短篇が収められています。

1833年というのは天保4年で「天保の大飢饉」が始まる年だそう。第11代将軍徳川家斉の治世の終わり頃、鼠小僧次郎吉が処刑された翌年で、1840年には遠山の金さんが北町奉行に就くのだとか。

ポオってそんな昔の人だったのね。

史上初の推理小説と言われる『モルグ街の殺人』を書いた人なんだから、そりゃあそこそこ昔の人に決まっていますが、日本はまだ金さんの時代か、と思うと「うひょお」という気がいたします。

推理小説のみならず、アメリカにおいて初めて文筆で食っていこうとした人、「アメリカ最大の文豪」とも称されているそうです。

うーむ。でも正直あんまり面白くなかった。

短篇だから隙間時間にサクサク読めるかと思ったのに、なかなか本を開く気になれなくて。

21篇もあるので、もちろん中には「ほほぉ」と思うものや、印象に残ったものもあるけど、面白かったか、好きか、と言われると微妙。

一番印象に残ったのは『ハンス・プファアルの無類の冒険』という作品で、たぶん21篇の中で一番長い。

借金等で地上にいられなくなった男が一念発起、色々勉強して気球を作り上げ、その気球で月まで行って月世界の住人を地上に使者として送り、自分の手記を届けさせるというほら話。

「ほら」だけど、細部が非常に細かく描写されてるんですよね。「月世界」自体はどうでもよくて、「月までホントに気球で行けるんだぞ」っていう、その「旅程」の方を事細かに書いてる。高度が上がるにつれて酸素なくなるじゃん、気圧だって……という困難にもちゃんと(?)対応してあって、男はノーマルスーツもなしに宇宙に上がって月に着陸しちゃう。

こういう「手記」もの、「手紙」によって語られるものっていつも、「どんだけ長い手紙書いてんだよ」って思うんですが、長い上に話がすごく細かいので、実際に「気球で月に行く」が可能だったとしても、こんなに微に入り細に入り書けるものなの?って思ってしまいます。薄い空気に対する策は講じてあったとはいえ、途中やっぱり頭痛やら痙攣やら、「鼻と耳から大量出血、目からも血が」っていうヤバい状況になっているわけで、そんな落ち着いて客観的に思い出してこんな手紙書けるもんかな?って、つい。

まぁ、最後には作者のポオ自ら「これはほらだよ」というひっくり返しをしてくれるんですが、読んでて「長い!まだ続くの、これ」って最終ページを確認してしまうぐらい読むの面倒くさかった……。

ジュール・ヴェルヌなど後世のSF作家にも影響を与えた「SF小説の元祖」と言われているそうで、ポオがいなかったらハヤカワさんも創元さんもこの世に存在しなかったのか?と思いはしますが、うーん、うーん。

次に印象的だったのは『ベレニス』『モレラ』『リジイア』という、「死んだ妻に対する妄想譚」みたいな3篇。『アッシャー家の崩壊』も死んだ妹に関する妄想みたいな話で、「女と死」についてのポオのスタンスが面白い。

ペストを擬人化したらしい『ペスト王』とか、悪魔と対話する『ボンボン』『オムレット公爵』は諷刺っぽい、コミカルな風味。巻末の解説には色々書いてあるけど、まだ遠山の金さんの時代に書かれたものと思うと、疫病が擬人化されたり、悪魔が普通に人間の前に現れたりするの、割と日常的にありそうな気がしてしまいます。

必ずしもそれが「空想」「フィクション」と思われていない、まだそこまで現実と「物語」が分化していなかったのでは、と。あるいはそこを「分化」しようとした先駆的な作品だったりするのかしら。

死んだ女が他の女に宿る、みたいなのも「生まれ変わり」が信じられている時代なら……って、それはけっこう今でも信じられているかな。

『ハンス・プファアル』では細かすぎる長い描写に疲れるけど、でもその「細かい描写」がポオの真骨頂なのかな、とも。最後のオチに向かって、細かい描写で怪しい雰囲気をどんどん高めていく。

二重人格というか「もう一人の自分」がテーマの『ウィリアム・ウィルソン』も、「これってそういうことでしょ?」と読者に大いに期待させつつラストに至る手際、見事です。うん、これは素直に面白かった。

ドストエフスキーの『二重人格(分身)』は1846年の作品で、1839年の『ウィリアム・ウィルソン』の7年後。もしや二重人格ものの先駆者でもあるのかしら、ポオ。

あと『メルツェルの将棋差し』という作品が、これは小説ではなくて当時流行っていた「チェスを打つ自動人形のからくりについて論考した文章」なんですが、訳してるのが小林秀雄と大岡昇平というのがすごい。

コンピュータがチェスや将棋で人間を打ち負かすようになってきた現在、

もし、これが本物の機械であったならば、そうはなるまい。いつも勝たなくてはならないはずである。機械にチェスを一勝負やらせることのできる原理が発明されれば、この同じ原理を拡張することによって、またその勝負に勝つようにさせることもできるはずだ。また一層原理の拡張を行なえば、すべての勝負に勝つようにする――つまり相手がどんな手に出てきても、勝つようにすることもできるはずである。 (P256)

というポオの論考は興味深いです。


太宰や国木田さん、中也も織田作も、文豪ストレイドッグスに出てくる文豪はみんな早世なんですが、ポオも40歳という若さで謎の死を遂げているそうな。「ポオの二重性」と解説に書かれてますが、『ウィリアム・ウィルソン』よろしく、もしかして自分で自分を殺してしまったんですかね、ポオ……。


(※本書の訳とは違いますが、『ウィリアム・ウィルソン』は青空文庫でも読めます。ポオの作品は現在13篇が公開されているようです)