2017年8月1日火曜日

『エドウィン・ドルードの謎』/チャールズ・ディケンズ



宝塚観劇の道中のお供に文庫本が欲しかったので、『ファウンデーション』シリーズをお休みしてこれを借りてきました。

文豪ディケンズが最晩年に書いたミステリ小説。

宝塚で上演された『大いなる遺産』をきっかけに一時期ディケンズにはまって『オリヴァ・ツウィスト』『荒涼館』『マーティン・チャズルウィット』などけっこう読みあさったのですが、この『エドウィン・ドルードの謎』は未読。

創元推理文庫から訳書が出ているなんて、ホントに「推理小説」扱いなんですよねぇ。裏表紙には「完全なフーダニット形式で書かれた長編」って書いてありますし。

フーダニット。誰が犯人なのか?

タイトルでも、扉に書かれているあらすじからも「エドウィン・ドルードが行方不明になる」というのをわかっていて読み始めたんですが、これがなかなかいなくならない。

事件が起こるまでが長いんですよね。

本編431ページで、エドウィンが失踪するのがやっと269ページあたり。それまで「いつこの人いなくなるの?どういう経緯で?まだ?」とずーっとドキドキ(&ちょっとイライラ)しながら読んでて……。

すごく丁寧に「それまでの人間関係」が描かれていて、その丁寧さがあってこそ事件の謎解きが面白いとは思うんだけど、やっぱりちょっと退屈に感じられる部分もあって、なかなか読み進められなかったんですが。

事件が起こったとたん俄然面白くなる!

面白くなるのに……終わってしまう。

そう、この作品、「だが不幸なことに作者の死をもって未完のまま残されてしまった」(裏表紙)のです。途中で終わっちゃってる。

これからがおもろいやん!ってところで。

殺生やで、ディケンズはん……。

舞台はクロイスタラムというイギリスの街。登場人物がロンドンと行き来することから、さほどロンドンから離れていないように思えます。そこの大聖堂で聖歌隊長を務めるジャスパー。その甥が、タイトルになっているエドウィン・ドルード。

エドウィンには親が決めた許婚、ローズがいて、実は叔父であるジャスパーも彼女にぞっこん。ジャスパーとエドウィンは叔父と甥と言ってもほとんど年は離れていないらしく、まだ20代のよう。

ジャスパーはローズの音楽教師も務めているんだけど、ローズは彼の自分を見る目つきに気づいていて。

「あの目つきでわたしを奴隷にしてしまったの。彼がひと言も口に出して言わなくても、彼の気持をわかるようにさせてしまったの。ひと言も脅かしの言葉を口にしなくても、わたしは黙っていなくてはいけないようにさせてしまったの」 (P114)

と、友だちのヘレナに告白しています。

友人にはそんなふうにジャスパーのことを言えても、肝心の許婚エドウィンには話せない。表面上、ジャスパーはとても「いい叔父」で、後見人でもあるジャスパーのことをエドウィンは何の屈託もなく信用しているんですよね。

のっけからジャスパーがアヘンに耽溺しているシーンだし、読者にはジャスパーが「怪しい」というのが提示されているんだけど、クロイスタラムの街では彼は「甥っ子想いの聖歌隊長」であり、まったく怪しまれてないのよねぇ。

エドウィンが行方知れずになった時に容疑者扱いされるのはヘレナの双子の兄、ネヴィル。初めてエドウィンに会った時にいきなりエドウィンと派手に喧嘩してしまって、それがすっかり街の評判になっていたんですね。で、クリスマスイブに仲直りしようとジャスパーのところでエドウィンと会う約束をしていて、その夜にエドウィンが姿を消す。

「甥がいなくなった!」と血相変えて訴えに来るのはジャスパーで……。街の人々は当然のようにネヴィルを疑う。ネヴィルとヘレナの兄妹はセイロン島育ちのよそ者で、喧嘩の件もあって「激しやすい野蛮人」という偏見を持たれてしまっている。

これ、読者にはジャスパーがそんなネヴィルを利用したっていうのが丸わかりで、いきなり容疑者として捕まえられちゃうネヴィルがほんと可哀想。

うん、さすがディケンズ、巧いです。それ以前のジャスパーの行動、エドウィンとローズの会話、ローズとヘレナの会話。じわじわと読者にはジャスパーの闇を提示しておく。その描写がとてもうまい。

「わたしは、祝福がありますように、と言ったのですがね」前者がふり向きながら言った。
「わたしは、お慈悲がありますように、と言ったのですよ」後者が答えた。「どこか違うところがありますか」 (P157)

「後者」というのはジャスパーのことなんですが、こういうさりげないセリフでジャスパーの性格を表すのさすがだなぁ、って。

ネヴィルが疑われた後、ただ一人彼の潔白を信じるクリスパークル氏(聖堂小参事会員で、ネヴィルの教育を任された“先生”でもある)と、博愛協会会長ハニーサンダー氏のやりとりもすごく面白い。

「わたしは自分の聖職を、困っている者、苦しんでいる者、悲しんでいる者、虐げられている者のために真っ先に尽すべきだと、こう教えてくれる見地から眺めております。しかしわたしは、大言壮語をするのがわたしの仕事の一部でないことに大いに満足していますから、これ以上は申しません」 (P305)

これはクリスパークル氏のセリフ。クリスパークル氏、すごくいい人で感動する。

一方「博愛協会会長」であり、ネヴィルの後見人でもあるハニーサンダー氏ははなからネヴィルを疑い、「殺人者の味方をするとはなんたることだ!」とクリスパークル氏を糾弾するのです。

この章のタイトルが「博愛行為のプロとアマ」っていうのも皮肉が効いてて面白い。博愛のプロ、博愛協会会長はまったく博愛精神も公正なものの見方も持ち合わせてない。

エドウィンは「いなくなった」だけで、その死体は見つかりません。ただ、彼の時計とシャツ・ピンだけが見つかって、ジャスパーは「殺されたんだ!」「必ず犯人に復讐するぞ!」と息巻いて、ネヴィルの行動を監視する。

そしてローズに愛の告白をするのですが、これがまたすごく怖い。

そして私を心から憎んでもいいから、わたしを受け容れてくれ! (P349)

わたしからは逃げられないんだよ。誰もぼくたちの邪魔をさせないから。わたしはあなたを死ぬまで追いかけるから。 (P350)

ひいぃぃぃぃぃ((((;゜Д゜)))

こんな迫られ方をするローザ、可哀想すぎる。「私の求愛を無視したら、その時はあなたの大事な友だちが酷い目に会う」みたいなことまで言われるの。

ローザの脳裡には「もしかしてこの人がエドウィンを殺したのでは」という疑念も浮かび、ロンドンにいる後見人グルージャス氏のところに向かいます。

ジャスパーの抱える闇がグルージャス氏やクリスパークル氏にも知られるようになり、また、クロイスタラムにはこの先探偵役となりそうな謎の老紳士ダチェリーが現れ、本当に「さぁ、これから!」というところで。

おしまい。

最後まで書いてほしかったなぁ。ここまでが面白いだけに――特にジャスパーの造型が非常に興味深いだけに、未完なのがもったいない。

巻末の解説に、「この後どうなるのか」「ディケンズはどう構想していたのか」ということが書かれていますが、やっぱり「真の結末」はディケンズの頭の中にしかなかったわけで。

エドウィンが「殺された」のか「ただ行方不明」なだけなのか、ダチェリーは何者なのか。また、この創元推理文庫の表紙としても使われている当時の(生前のディケンズが指示して描かせたらしい)表紙絵の意味は。

それを推理するのもまた面白いとはいえ、みんながどうやってジャスパーを追い詰めるのかその緊迫の展開を読みたかったし、獄中のジャスパーの告白も読みたかった。

ローズのことだけでなく、おそらくは色々な面で甥であるエドウィンを妬んでいたのであろうジャスパー。それでいて――あるいはそれだからこそ、エドウィンに奇妙な執着を見せていたジャスパー。

ジャスパーの顔がそちらを向いている時、いつも、この時もその時以後のいつでも、激しい熱情の眼差し――飢えたような、押しつけがましい、警戒心にあふれた、しかし献身的な愛情のこもった眼差し――が、彼の顔に見られるのだ。 (P24)

「そちら」というのはエドウィンのことで、エドウィンを見つめる時はいつもそんな眼差しだった、と描写されているんですね。

何か事件が起こった時――とりわけ殺人事件が起こった時に、私たちはすぐ「わかりやすい動機」を求めるけれども、実際にはそんなに簡単に説明できるものでもないような気がするし、整然と説明できるぐらい当人にとって感情が整理されているなら「殺人」なんて犯さないのかもしれない。

ネヴィルという「格好の容疑者」が現れなければジャスパーも現実に実行しなかったかもしれないし、ネヴィルを犯人に仕立て上げようと監視する中で、彼の中では「本当にネヴィルが犯人」という「記憶のすり替え」だって起こったかもしれない。

その辺のジャスパーの心理をディケンズがどう描いたのか、読みたかったなぁ。


『荒涼館』も読み返したくなったし、解説で触れられている『バーナビー・ラッジ』や『追いつめられて』といった作品も読みたくなりました。図書館にあるかしら……。


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