『秘密の花園』が面白かったので『小公子』を読み返し、さらに『小公子』の隣に並んでいたこの作品も手に取ってみました。

まったく聞いたことのない作品でしたが、「バーネットの知られざる傑作」ということで。

面白かった!!!

バーネットさんすごい。ヤバい。

物語は、12歳の少年マルコが、ロンドンの下町に引っ越してきたところから始まります。父のステファン・ロリスタン、そして忠実な父の僕(しもべ)ラザルスとともにロンドンにやってきたマルコ。ヨーロッパを転々としてきたマルコとその父親は、サマヴィアという国からの“亡命者”でした。

ヨーロッパの小国サマヴィアは今、大きな戦乱の中にありました。500年前、フェドロヴィッチ王朝の最後の王子イヴォールの消息が途絶えてから、マラノヴィッチ派とイアロヴィッチ派による王位簒奪のくり返しで国は乱れ、疲弊し、今またその内乱が頂点に達していたのです。

ロンドンの新聞でもたびたび伝えられるサマヴィアの惨状。

ロリスタン父子は人知れずヨーロッパをさまよいながらサマヴィアのために尽くしてきました。情報を集め、人脈を築き、「消えた王子」の行方を探し続け――。

もちろん王子本人は500年前の人なので、探すのはその子孫。

貧しい暮らしをしていても人を魅了せずにおかない威厳と穏やかさを備えた素晴らしい父親に鍛えられ、12歳のマルコも非常に大人びた、賢く落ち着いた子どもに育っています。

また、いつでもサマヴィアのために尽くせるよう、記憶力や「予想外のことが起きても冷静でいること」「沈黙を守ること」などを訓練されてきました。

……もう、第1章を読んだだけで、「え?これってつまりマルコが――」と思ってしまうんですが、その予感を大いにはらみつつ読むのがまたドキドキして楽しい。「いつ来るの?いつネタバレするの?まだ!?」(笑)

マルコは見た目も立派で、中身もできすぎの上にもできすぎな少年で、あまのじゃくな私にはちょっと感情移入がしにくいのですが。

主役は、もう1人います。

マルコが下町で出会う、13歳の少年ラット

足が悪く、台車に乗って移動する彼は、近所の悪童たちに「教練」を施すリーダー。酒浸りの父に殴られて育ちながら、その知力と統率力で悪童たちをまとめあげる「見どころのある」少年です。

落ちぶれる前は教師だった父親から色々と学び取っていたラットは目下、新聞を賑わすサマヴィア情勢に若い血をたぎらせ、仲間の悪童たち相手に戦術を披露する毎日。

そんなラットとマルコが出会い、少年たちは「ゲーム」を始めます。

敷石にサマヴィアの地図を描き、戦略を練り、特使として自分たちの誰かをヨーロッパ中の味方に派遣するという「妄想ゲーム」を。

貧しく、親にもあまり顧みられることのない子ども達にとって、その「戦略ゲーム」は素晴らしい娯楽だったのですね。記憶力が良く「語り」の才能もあったラットに加えて、サマヴィアのことにかけては超詳しい(もちろんだからと言ってなんでも喋ってしまうような子ではない)マルコの登場で、「ゲーム」は非常にリアリティのあるものになり、ラットの考えた戦術にはマルコの父親も舌を巻くほどでした。

うん、ラットがねぇ、すごくいいんですよ。

上巻の途中でラットの父親は死んでしまうんですけど――父親に対する複雑な想い、ステファン・ロリスタンに対する憧れ、そしてマルコへの嫉妬心。

いちいち胸を衝かれてしまう。

父親を亡くして1人ぼっちになったラットは

この先、おれは台車に乗っかって、町中をあちこちして、物乞いをすることになるだろう。父親がそうさせたがっていたように。それとも新聞を売るとか。障害者にできることといえば、せいぜいそのくらいだろうから。 (上巻P169)

と思っている。

それまでラットは雨もりのする、がらんとした屋根裏のかたすみに、ともかくも寝場所を持っていた。警官に住所をきかれたら、「ボーン・コートにおやじと暮らしてる」と、答えることができた。しかしこれからは、そう答えるわけにいかない。 (上巻P179)

ううう、つらい。

もしもマルコと出会っていなかったら、その通り寝場所もなく、物乞いか新聞を売って生きていくしかなかった。

喧嘩っぱやくはあっても十分に賢く、リーダーとしての資質も持った少年なのに、町では「厄介者」でしかないラット。松葉杖があれば歩くこともできた。でも松葉杖を買うお金がなく……。

マルコの父親に「私たちと一緒に暮らすといい」と言われ、「場所を提供しよう。“場所”という言葉の意味がわかるかね」と問われて、

「ええ、わかります」と、ラットは答えた。「おれがこれまで一度も、もったことのないものです」 (上巻P181)

と答えるラット。
ああ、目から汗が。

すっかりステファン・ロリスタンに心酔して、マルコへの嫉妬心を本人に率直にぶつけるシーンもせつない。

「おまえは、ぜんぜん気にならないのかい?」と、ラットはしゃがれ声で言った。夢中だった。「おれが、おまえのお父さんのことを大切に思っても。おれみたいなものが――こんなしょうもない人間が、おれを親切心からひきとってくれた紳士につきまとったりしても? つまりさ」と一気に言った。 (上巻P199)

ステファン・ロリスタンも、マルコも、ラットを「しょうもない人間」だなんて思ってはいない。対等に扱ってくれるし、これまであちこち転々として同年代の子どもと親しく付き合うことのなかったマルコにとって、ラットは「かけがえのない友」になっているんだけど。

自分の父親と、マルコの父親とのあまりの違い。
自分自身と、マルコとのあまりの違い。

憧れれば憧れるほど彼我の差がつらくなる。羨ましくて、妬ましくて。

それを、こんなふうにぶつけられるの、すごいよね。
受け止められるマルコももちろんすごいんだけど。
マルコがそんな子どもだからこそ、ラットも想いを吐き出さずにいられないんだろうけど。

マルコがスパイに拉致されたり、「妄想ゲーム」の通り、現実にマルコとラットが特使として2人だけでヨーロッパを巡ったり、「冒険もの」としても楽しいんだけど、前半のラットの物語がとても好き。


この作品は『秘密の花園』よりも後、1915年のもの。バーネットは66歳、おそらく最後の長編です。

1915年というとすでに第一次世界大戦が始まっていて、内乱と周囲の強国の介入に翻弄されるサマヴィアは、当時の世界状況を反映しているのでしょう。

具体的に「どこ」とは明示されていないけど、マラノヴィッチ、イアロヴィッチ、フェドロヴィッチといった名前からロシア語圏のどこかが想定されているのかな。

通りすがりの人からもマルコは「ポーランド人か、ロシア人かな」と言われています。

多くの者が土地や家をうばわれ、戦火の中で命を落とし、残虐行為によって殺されたり、食糧不足で飢え死にしたりした。でも、あの人たちはめげなかった。まわりの強国がつぎつぎにサマヴィアを侵略し、征服したが、サマヴィアの国民は自由のための戦いをあきらめなかった (上巻P17)

……過去の話ではないですよね、これ……。


『小公子』ではセドリックの父親はすでに亡くなっていて出てこず、『秘密の花園』のコリンの父親は自身の悲しみの裡に引きこもって息子から目を背けていた。

セドリックを「素晴らしい少年」に育てたのは母親で、コリンやメアリの成長に大きな影響を与えるのも「母ちゃん」ことディコンの母親。

ところが今回マルコにもラットにも、母親はいません。どちらも父子家庭。そしてマルコの父ステファン・ロリスタンはこの上もなく素晴らしい父親として描かれている。

どこの馬の骨ともわからないラットを、その外見や育ちではなく中身で評価し、息子の「副官」に抜擢するのもそうだし、

「おまえも魔法使いなんだよ、マルコ、おまえも魔法の杖を持っているんだからね。それはおまえのうちの、ものをしっかり考える力だ。何かとくべつな苦しみに出会ったとき、心配ごとがおまえにふりかかったとき、おまえのうちの魔法使いは、自分に問いかけるだろう。『まず、何を考えたらいいだろう?』と」 (上巻P243)

といった日頃からのマルコに対する教育もそう。

「おれの言葉に耳をかす者はいなかっただろう。おまえはステファン・ロリスタンの息子だ。おれとはちがう」 (下巻P230)

ほんとにねぇ。
実はラットが「消えた王子」の子孫だったら良かったのになぁ。

子どもは親を選べない。

でも、飲んだくれの父親からもラットは学んだし(新聞が読めるだけでも当時の下町の子どもとしてはすごかったんじゃないんだろうか。学校なんか当然行ってないんだし)、ロリスタンの役に立ちたくて松葉杖でも遜色なく動き回れるよう必死に練習して、ロリスタンとマルコの信頼を勝ち得た。

「おれ、マルコと暮らすようになってから、本や新聞を読む時間がたっぷりできて、新しい思いつきがつぎからつぎへとうかぶんだよ。読書って、旅行と同じで、知らないうちに学んでいるんだよな」 (下巻P211)

ロリスタンの教え、そしてラットのこんなセリフ。
この作品を手に取って、「知らないうちに学ぶ」子どもたちがたくさんいますように。