パトナーヤクさんによる『ラーマーヤナ』の結末があまりに衝撃的で、「ほんとに原典もこんなことになっちゃうの?」と気になったものの、全7巻の東洋文庫に手を出す勇気はなく。

とりあえず手元にある原典訳『マハーバーラタ』をひもといてみました。


この上村勝彦先生による原典訳マハーバーラタ、上村先生のご逝去により途中の7巻で打ち切りになり、果たして『マハーバーラタ』の結末はどういうものなのか、こちらも気になったまま早や幾年。(※なんと20年近く経ってます。ひぃ~恐ろしい(>_<))

読んでいる最中も「何がどうなっているのかよくわからない」部分が多かったので、今となっては登場人物の名前をわずかに覚えているぐらい、「最初は説話っぽいエピソードが多くて、その後はひたすら戦ってたような気がする……」としか思い出せません(^^;)

で、この『マハーバーラタ』の第3巻森林の巻(ヴァナ・パルヴァン)の中に「ラーマの物語」が入っています。上村先生の日本語訳だと4巻目に所収。

『マハーバーラタ』の主人公(?)であるパーンダヴァ五兄弟共通の妻(!)であるドラウパディーがシンドゥ国王に掠奪されるという事件が起こり、無事救出されるものの、パーンダヴァの長男ユディシティラが

「うちの妻は法を知り法を実践してるというのに、なんだってこんな目に遭うんだよ」

と嘆くのですね。「彼女は何も悪いことしてないのに」と。
パトナーヤクさん描くところのシーターは、「無実でなければ妻を追い出してもいいというの?」と反論していましたが、ユディシティラ兄ちゃんの方は人間味があるというかごく普通の人っぽい。

「なんで俺たち、こんな森で暮らさなきゃならないんだよ!惨めだ!よこしまな親族のおかげでこんな亡命生活を強いられて、俺より不幸な人間、これまでにいやしなかったろ」

と、文句たらたら。
義理の母の奸計で森に追放されても超然としていたラーマとはだいぶ様子が違います。

聖仙マールカンデーヤがその嘆きに応えて、「いやいや、昔ラーマというお人がおってな、その人もたとえようもない苦難を経験したんじゃよ。妻を羅刹王にさらわれてな」とラーマの物語を語り始めるのです。

パトナーヤクさん版ではラーヴァナやランカーの民は「ラークシャサ」と呼ばれていて、どういう存在なのか今一つピンときませんでしたが、なるほど「羅刹」
「羅刹」だって具体的によく知ってるわけじゃありませんが、「ラークシャサ」よりは単語として馴染みがあります。

ラーヴァナは十の頭を持つ食人鬼ランカーの女性たちは「二つ目の女、額に目のある女、三つの乳房を持つ女」などと描写されています。
そして「この女を食ってやろう。細切れに引き裂いてやろう」などとシーターを脅す。

パトナーヤクさん版ではランカーの民はシーターに好意的だったのに、ずいぶん違うなぁ。

『マハーバーラタ』の中で語られる「ラーマの物語」は“あらすじ”に過ぎず、長い長い叙事詩の中の、ほんのひとくさりに過ぎません。
ちくま学芸文庫で70頁弱
おそらく20年前に読んだ時は何がどうなってるのかあんまり理解せず、文字だけ追っていたんじゃないかと思いますが、パトナーヤクさん版を読んだ後なので「ふむふむ、なるほど」と大変興味深かったです。特に「違い」が面白かった。

最初にラーマの素性、ラーヴァナの素性が説明されるのですが、ラーヴァナの方が説明が長い。まぁ『マハーバーラタ』を聞く庶民にとっておそらく『ラーマーヤナ』は既知の物語で、ラーマについて長々と説明する必要はなかったのかな、とも思いますが、

「ラーヴァナの祖父は造物主である神(梵天)ご自身である」 (P279)

というのがまず面白い。
神は善だけでなく悪をも生む。
神は人間を造り、人間を食らう羅刹王をも生み出す。

梵天は、孫ヴァイシュラヴァナ(毘沙門天)に「羅刹の群に満ちたランカーを首都として与え」、ヴァイシュラヴァナは三名の羅刹女を父プラスティヤに与えます。プラスティヤと羅刹女プシュポートカターの間に生まれたのが十頭者ラーヴァナ。
ラーマに懸想して鼻を削られたラーヴァナの妹シュールパナカーは別の羅刹女ラーカーから生まれ、ラーマに味方し、ラーヴァナ亡き後ランカーの王となるヴィビーシャナはマーリニーという羅刹女の腹に生まれた異母弟。

ラーマたち兄弟と同じく、ラーヴァナ達も3人の母から生まれているのが興味深い。対比なのか、当時はそれぐらいの一夫多妻がデフォルトだったのか。

シュールパナカーは「聖者の邪魔をする恐ろしい羅刹女」である一方、ヴィビーシャナは「徳高く、法を守り」と描写され、「すべてヴェーダを知り、勇猛であり、誓戒をよく実践した」とあります。

一体羅刹は悪鬼なのか高僧なのか
人間と同じで「いい奴もいれば悪い奴もいる」ってことなんでしょうかね。
人間から見れば恐ろしい怪物でも、だからといって知や德が人間より劣っているとは限らない。造物主の孫なんだしなぁ。

ともあれラーヴァナは苦行の後、梵天から「何でも願いを叶えてやる」と言われ、「ガンダルヴァ、神々、阿修羅、夜叉、羅刹、蛇、鬼霊たちに、私が敗れることがありませんように」と願います。梵天は「わかった」と言ってその望みを叶えるのですが。

ラーヴァナの挙げた相手の中に「人間」はありません。なので梵天も「ただし人間は除く」と取り決めるのです。

あー、なるほど。それでラーマが。

ラーヴァナが地上でしたい放題に暴れ、手が付けられなくなった時、神々は梵天に「なんとかしてくれ」と頼みに行きます。「あいつを殺せるのは人間だけ」、梵天はヴィシュヌを人間として地上に降臨させ、それがラーマだというわけです。

神々は色々と画策して、ラーマがラーヴァナを倒すよう仕向けるわけで、シーターがあんなひどい目に遭うのも全部神々のせい……。

ラーヴァナがシーターに向かって「美しい尻の女よ」と呼びかけるのが面白いです。「美しい腿の女よ」とか。

ラーマがハヌマーンら猿族の協力を得てシーターを救い出す展開はもちろん同じ。上村先生訳の『マハーバーラタ』では「風神の息子ハヌーマット」と呼ばれています。

そして『マハーバーラタ』の中のラーマも、シーターに向かってあの恐ろしい文言を投げつけます。「シーターよ、去れ」と。

「どうして私のような男が、法の決定を知りながら、他者の手に帰した女を、瞬時といえども置いておくか。シーターよ、お前が貞節であろうとなかろうと、私はもうお前と楽しむことはできない。犬に舐められた供物を味わうことができぬように」 (P337)

犬に舐められた供物って……。言い方(´Д`)

パトナーヤクさん版では火の神によりシーターの潔白が証明されましたが、『マハーバーラタ』では梵天やインドラなど神々がこぞって顕現し、「おいおい、何言ってんだ、ラーマ、シーターを受け入れなさい」ととりなします。

実はラーヴァナには「嫌がる他人の女を無理に犯すことはできない」という呪いがかかっていて、だからシーターを疑ってはいかんと。

まぁこれも「合理的な説明」というか、聞いている民衆を納得させるためにわざわざそんな呪いが発明されたのかな、と思いますが……。そもそもラーマは「貞節であろうとなかろうと」と言ってるので、そんな説得に意味はない気もします。

しかし亡き父王の霊(聖仙のようになってるぽい)まで現れて「都へ戻って王国を統治なさい」と言われたラーマ、シーターとともにアヨーディヤーに戻ってめでたしめでたし。
その後の「シーターの追放」は描かれていません。

うーん、やはり「その後」が気になるなぁ。原典訳の最終巻だけちらっと見てみようかなぁ。うーん。


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