昨年の11月に邦訳が刊行されたばかりの新作SF、手に取ってみました。
タイトルの「マシンフッド」は「機械は同胞」という意味。機械知性の権利を主張する謎のテロ集団により発せられる「マシンフッド宣言」。まるで「滅亡迅雷.net」のようでは!?と興味を引かれたのです。

(※上巻表紙裏のあらすじ)

上巻は全344ページ、下巻は全329ページ。活字が大きいので、昔だったらこれ上下分かれずに1冊で出てたのでは?と思ってしまう分量です。上下巻で2,400円+税ですからねぇ。翻訳本、高いよねぇ、、、

各章の冒頭には「マシンフッド宣言」の一部が引用され、最初に読者が目にする文章はこんな内容。

・すべての知性は迫害されたり隷属させられたりすることなく存在する権利を有する。
・いかなる知性も他の知性を所有してはならない。
・地元政府がこれらの権利を尊重しないとき、いかなる手段を使ってもそれらを確保することは知性の権利である。
――〈機械は同胞(マシンフッド)〉宣言(二〇九五年三月二十日) (上巻P7)

「WAI」と呼ばれる「弱い人工知能」が生活に溶け込んだ近未来。各種労働をこなす「ボット」だけでなく、個人に最適化された「自分専用のAIエージェント」というものが登場し、人々の視界には常に天気予報やニュース、家族のライブ映像などが映し出されている。
街のあちこちに――家の中にさえ小型ドローンが飛びかい、リアルタイム映像を配信。子どもがどこで遊んでいても映像によって見守ることができ、遠く離れた老親の様子も常にチェックできる。

空調やキッチンもすべてネットワークに繋がり、AIエージェントに指示を送るだけでキッチンは美味しい料理を自動で作ってくれる。必要な薬さえも、材料とレシピさえ与えれば家庭のキッチンで作り出せるようになっていた。

けれども「意識を持ったAI」、人間と同等の知能を有するAIはまだ誕生しておらず、この先も誕生することはないだろうと思われていた。「マシンフッド」が登場するまでは。

ヒロイン、ウェルガは35歳。元海兵隊特殊作戦コマンドの一員で、現在は「シールド」と呼ばれる民間の警備員のような仕事をしている。警備も、そして頻繁に発生するデモも、すべてはドローン群によって生中継される「エンターテインメント」になっており、視聴者は気に入った“出演者”にチップをはずむ。

言わば日常のすべてが「生配信」、誰もが「スパチャ」を投げる側でも受け取る側でもある状況。ウェルガの「シールド」としての収入も、その3分の1は視聴者からの「チップ」なのだけれど。

なんと、パートナーとの情事もすべて筒抜けで、そこにも「チップ」が飛んでくる世の中なんですよね。AVではなく、ごく普通にお隣の情事を配信で楽しめる世界……。

プライバシーは、ウェルガが子供だったころに、ドードー鳥のごとく絶滅した。ウェルガは、心のどこかで、つねにカメラを意識している。(中略)ウェルガは、いつ戦闘に巻きこまれるかわからないという状況よりも、そっち――通信が不能で、みんながなにをしているかを見聞きできないこと――のほうが不安だった。(中略)身内を守れるし、身内に見守ってもらえていると考えると、ウェルガはほっとする。それがなくなると、片足だけはだしで歩いているような気分になった。 (上巻P27)

この世界設定がまず非常に面白い。
さらに、各種病気を予防するための薬、頭脳労働を助ける「集中錠」、筋肉の動きを速くする「加速錠」、治癒能力を高める「回復錠」、「強化錠」などなど、「ピル」と呼ばれるナノマシン的な薬を常用するのが当たり前になっている。

WAIがほとんどの労働を肩代わりするようになった今、高度な頭脳労働をするには「集中錠」がかかせないし、ウェルガのような戦闘系の職務に従事するものには「加速錠」や「回復錠」が欠かせない。

そういった薬のデザインに対して投資する、「ファンダー」と呼ばれる大富豪を警備する任務についていたウェルガ、目の前で警備対象を殺されてしまいます。

襲撃者は人間のようで人間ではない。

この体には……おいおい、いったいなにが入ってるんだ?(中略)ピンクと紫の腸が――予想どおり――あふれでたが、その横で、ブロックスのように見えるものの塊がいくつものたくっていた。健康な肺の横に無傷な金属製の物体がおさまっていた。 (上巻P62 ※「ブロックス」というのは動的素材のこと)

ふたつめの肺があるべきところには機械部品が詰まっていた。血管と神経が、その……なんだかわからないものの表面につながっている。こんなものを見るのははじめてだ。 (上巻P63)

そして襲撃者は自爆。

ウェルガの視界内に“〈マシンフッド〉からの祝福”という文字が表示された。 (上巻P63)

世界中のネットワークに流された人類への要求、それは「ピルの撤廃」でした。

〈マシンフッド〉からの祝福。三月十九日までにピルとドラッグの製造を完全に停止せよ。さもなければわれわれが停止させる。人類の新時代が到来する (上巻P69)

有機知能と無機知能の区別を撤廃すべき時が来た。われわれはみな、知能を持つ機械である。われわれはみな、人格権を有するに値する。
われわれは、われわれ以外の人類に、以下に述べる原則に従うよう求める。われわれは平和的な権力委譲を望んでいるが、人間が他の知性の所有権を放棄しようとしないことは歴史が証明している。機械格権は実力で奪取するほかないとわれわれは考えている。 (上巻P69)

人格権ならぬ「機械格権」を求める謎の組織〈マシンフッド〉。果たしてその正体は何なのか。世界のどこかに、それほどまでに高度に進化した「意識を持ったAI」が存在しているというのか。ウェルガが目にした襲撃者の体は確かに半分機械のようではあったが、〈マシンフッド〉はいわゆる“アンドロイド”が興した結社なのか。

「機械知性」を認めよ、という主張はともかく、それが「ピルを撤廃する」こととどう繋がるのか。もちろん各国政府はその要求に従おうなどとはしない。調査を進めていくウェルガの前に再び現れる謎の襲撃者、そして。

上巻の最後で、「ステラ」と呼ばれる通信衛星がことごとく破壊され、ネットワークがダウン。人々が慣れ親しんでいた個々のエージェントは沈黙し、空調もキッチンも止まり、「動的素材」は形態を変えることができなくなり、また、家庭でピルを製造することもできなくなった。離れている友人や家族とは連絡がつかなくなり、掃除も炊事も洗濯も、すべて自らの手で行わなければならない。

……この辺も面白いですねぇ。「昔はみんなそうだった、今でも極貧だったり片田舎に住んでいる人はそうなのだ」っていう記述が出てくるんですけど、私たちも「薪で料理する」とか「いちいち井戸に水を汲みに行く」とか、「昔そうしてたのはわかるけど、もう無理よ!?」って思いますもんねぇ。

視界の片隅に常に家族の今の映像が映っていて、AIエージェントに「○○に繋いで」と言えばすぐに会話できる。ネットワークがダウンしてそれができなくなり、不安に駆られる登場人物たち。家の中にまでドローンがいる状況はさすがに、と思うのだけど、「モバイル通信がダウンしてスマホが役立たずになり連絡がつかない状況」だと言われれば、その不安はよくわかる。

「ケータイ以前、人々はどうやって待ち合わせをしていたの?」

繋がっていることが当たり前になった世界。「OK, Google!」の代わりに個別に最適化されたAIエージェントから情報を得、ネットワーク機器を操作する。この作品で描かれる世界は“現代”が少しバージョンアップしただけ。

ウェルガの弟の妻で、もう一人のヒロインたるニティヤが、妊娠中絶をめぐって夫と仲違いするくだりには、「ナノマシンで病気が予防できる未来なのに、やっぱり出産は女性にだけ過度な負担を与えているのかぁ」と思ってしまいます。

夫ルイスは敬虔なキリスト教徒で、妊娠中絶なんてありえない、神への冒瀆だ、そんなことをするならもう離婚だ……ってなるんですよね。まぁ2095年なら、まだまだそこは変わらないのかなぁ。
研究者であるニティヤ、仕事の成果を上げるには「集中錠」が不可欠。でも妊娠するとそれが使えなくなる。すでに1人子どもがいることもあって、妻や母であることと、仕事との間で悩むニティヤの姿は、ごく普通に“現代”です。

「わたしなら世界を修復する手助けができる。人の命にそれ以上の価値なんかないんだ」 (下巻P76)

そう言って果敢に敵の本拠へ乗り込んで行くウェルガ。
家庭と仕事の間で悩みながらも自分にできることを続け、最終的にはウェルガに負けずとも劣らない勇気で世界を救う一助となるニティヤ。
ヒロイン2人の描写が実に魅力的ですし、

10 長い歴史のなかで、人類は多くの知的存在を搾取してきた。馬も牛も羊も、法的合意ができないからといって、人類に彼らを搾取する権利が与えられるわけではない。生命倫理学が進歩し、人工知能の勃興に対する関心が高まったにもかかわらず、人類は長きにわたってそれを見過ごし、ついには忘れてしまったのだ。――〈機械は同胞(マシンフッド)〉宣言(二〇九五年三月二十日) (上巻P263)

といった〈マシンフッド宣言〉の中身はどれも考えさせられるものばかりです。

「多くのWAIが、動物と同レベルの意識を獲得しています。それはWAIを働かせるためですが、壊れたら廃棄処分しています――それは、病気になった馬を畑で野垂れ死にさせているに等しいのです」 (下巻P48)

ネットワークがダウンし、「機械は同胞だ」とその権利を主張する〈マシンフッド〉が現れたら、それまでその恩恵にあずかっていた掃除ボットだの何だのを窓から放り捨て、ボコボコに破壊する人々。
「ボットたちが牙を剥いてくるかもしれない」「何をしてくるかわからない」とパニックになるのは仕方のないことではあるけど、動物にしても機械知性にしても、「こちらが生殺与奪を握っている」と思っているから可愛がったり便利に使っていられるわけで。

かつては「同じ人間」に対しても同様の扱いをしていた。肌の色その他で「それは同等の知的生命ではない」というレッテルを貼り、その人格を――権利を認めなかった。

「知性を持った機械」に対して、人間はどのように向き合うべきなのか。


上巻は非常に面白かったんだけど、下巻というか、「決着の付き方」に対してはちょっと、「え~、そういうオチなの」と思ってしまいました。
「有機知能と無機知能の区別を撤廃すべき時が来た」という〈マシンフッド〉の主張からすれば、なるほどそうなるのかなぁ。そういう「新しい時代」に足を踏み出すなら、有機知能と無機知能は融合し、一体化すべきなのか。

うーん。

ネタバレになってしまうので詳しくは書きませんけど、別の存在であるままで互いを尊重し認め合うことはできないのかな、とか、「脳だけが保存されていれば“私”なのか」とか……。
「滅亡迅雷.net」とはだいぶ違うお話でした(当たり前)。

著者のディヴィヤさんはインド出身の方で、〈マシンフッド〉のバックボーンとなる思想は仏教。たびたび「八正道」という言葉が出てきて、いわゆるアンドロイドというかサイボーグにあたる存在の呼び名も「ダキニ(荼枳尼)」となっています。『鬼灯の冷徹』の荼吉尼姉さんを思い出してしまいますが、この作品では

「“荼枳尼(ダキニ)という言葉は、もともと、すぐれた女性修行者にして尊者の配偶者を意味し、非二元論という、ジェンダーを超越して悟りにまで達した女性原理をあらわしていた”」 (下巻P248)

と説明されています。

興味深い作品ではあったけどなー、うーん。