(※第1巻の感想はこちら
※第2巻の感想前半「衆生を救うということ」はこちら
(※以下ネタバレあります。ご注意ください)


はい、2巻感想の続きです。
800年前の話を語る『第2巻 太子悦神』、もちろん例の、「落ちてきた少年を太子殿下がキャッチして助けた」くだりから話が始まります。表紙のこの、麗しい瞬間ですね。こんな綺麗な人に抱きとめられたら、三郎(サンラン)じゃなくても「一生ついていきます!!!」になるよねぇ、うん。

数年に一度、仙楽国の繁栄と安寧を祈って催される盛大なお祭り、上元祭天遊(じょうげんさいてんゆう)。首都の大通りを壮麗な隊列が練り歩き、曳き舞台の上で妖魔と悦神武者が戦いを繰り広げる。
今年の悦神武者は17歳の仙楽太子・謝憐(シエリェン)が務める。美しい衣装と黄金の仮面に身を包み、見事な剣を振るうその姿は長く後世に語り継がれ、仙楽国は百年の安寧を得る……はずだったのですが。

いきなり謝憐、「祭列の途中、空から悦神武者が飛び降りてくる」という予定外の登場をして、国主夫妻や国師をやきもきさせます。子どもが落ちてくる前に自身も落ちてくるという。
数年に一度の盛大な祭りなので、式次第は衣装のいちいちに至るまで細かく取り決められている。それをいきなり破った上に、祭の次第を無視して城壁から落ちてきた子どもをとっさに跳躍して救い、その子を抱えたまま妖魔との戦い(演武)を続けるという――。
しかも黄金の仮面が落ちて、仙楽太子の麗しい顔が衆目にさらされる。

観客の熱狂はこれ以上なく、「祭は大成功だった」と言いたいところですが、謝憐、国師にめっちゃ怒られるんですね。「すべてに意味がある式次第をハチャメチャに破った。これでは仙楽国の安寧は望むべくもない」と。

後に戚容(チーロン)が謝憐を「疫病神」呼ばわりしますが、まぁ確かにその後の水不足からの内乱は、謝憐が上元祭天遊をきちんと務めなかったせいなのかもしれない。そうは言ってもじゃあ子どもが落ちるに任せて、祭を血で汚した方が良かったのか。救われた一つの命は、式次第を破ったマイナスよりも大きくはないのか。

で。
その、落ちてきた子ども。
7~8歳に見える痩せこけたその子どもは顔中包帯だらけ。片方の目だけが覗いている。

(子供は)片方の大きな黒い瞳を光らせてじっと謝憐だけを見つめている。まるで鬼神に取り憑かれたかのような表情だ。 (P186) 

この子が三郎のはず、と思って読み進んでいるけど、まさか違ったりしないよね???
自分を受け止めてくれた美しい太子殿下に一目惚れ。顔の右半分を「醜いから
」と言って決して見せようとしないんだけど、生まれつき右目がなかったのか、怪我や火傷で右目を失ったのか、どうなんだろう。
名前を訊かれ、「紅(ホン)とだけ答えるのよね。「紅衣の少年」…ふふ。自分では「十歳」と答えているんだけど、そうは見えないぐらい痩せて小さい。

祭を台無しにして謝憐に恥をかかせた、ということで、彼は戚容に捕まってひどい目に遭わされる。この時のことを覚えていたなら戚容に対する800年後のあの仕打ちも当然だわね。 
でも麻袋に詰められ馬車でひきずり回されたのに、意識も失わずわりと平気にしている紅少年。皇宮の医者も驚いて、

「私はこれほど頑強な人間を見たことがございません。肋骨が五本と脚が一本折れていて、他にも大小様々な傷が重なっているというのに、異常なく意識がはっきりしていて、座って会話ができるとは」  (P226)

と言います。
もしかしてこの時すでに三郎(※以下めんどくさいので紅少年のことは三郎と呼びます)は人間ではなく「鬼」だったりするの??? それとも不死身の杉元よろしくすぐに傷が治る特異体質なのかしら。

謝憐は彼に優しく接するけれど、他の者たちにとっては彼は祭に水を差した元凶。その「不吉」を相殺するため、国師はなんと「贖罪としてあの子どもの感覚を一つ封じる」などと言い出します。 
もちろんそんなことは謝憐が許さない。国師もわかっているので「それならあなたが全国民の前で懺悔し、一か月面壁しなさい」と代案を出す。でも謝憐は「は?何も悪いことしてないのになんで謝らなきゃいけないの?」と一顧だにしない。

「正しかったかどうかが重要でしょう。もしどうしても選ばなければいけないのなら、私は第三の道を選びます」 (P244)

いや、もう、ほんまね、聖人君子でいらっしゃいますよね……。二人に一杯の水ならもう一杯水を持って来る、どちらも正しいと思えないから第三の道を選ぶ。
わかるんだけど。
子どもを見殺しにすることも、子どもに罪を問うことも許せない。自分が彼を助けたことがなぜ間違いなのかわからない。神がそれを「罪」として仙楽国を罰するなら、神の方が間違っている。そんな神は神ではない。 

気持ちはわかるけどぉぉ。

そして別に祭が台無しになったからその後の水不足や戦乱が起こるわけではない……と思いたいけれども。

国師によると三郎は

「この子供は大変な害毒です。破滅を招く命格の天煞孤星(非常に不吉で、常に周囲の者に不幸を招く生涯孤独の星)、邪悪なモノが最も好む類いで、関わる者は誰もが不運となり、親しくなった者は誰もが命を落とすことになります!」 (P251)

という存在だそう。ええっ、そんな。
どれくらい「大変」かというと、彼の“悪い運気”に誘われ、大蒼山全体の黒殿で鎮圧されていた怨霊が封印を破って飛び出し、寄り集まってくるぐらい。そのせいで仙楽宮は焼け焦げるし、そもそも祭の最中に城壁から落っこちてくるなんて、「害毒」以外の何物でもない。

「違う!そんなのじゃない!俺はそんなのじゃない!!」 (P252)

慟哭する三郎を優しく抱きしめ、「君のせいじゃないよ」と言ってあげる謝憐。ああぁぁ、三郎がすべてを謝憐に捧げるのも仕方ない。謝憐だけがきっと優しくしてくれたんだ。
母親に捨てられたらしい記述、周囲の子どもからいじめられている描写もあり、おそらくは幼い頃から「疫病神」「お前さえいなければ」みたいな言われ方をしてきたのでしょう。そこへ「国師」という立場からはっきりと「破滅の星に生まれた子」などというご託宣を受け、平気でいられるわけがない。
その嘆きは

心が壊れる寸前の大人が思いを吐き出す咆吼のようでもあり、(中略)断末魔の叫びのようでもある。 (P253)

みんなひどいよね…。好きでそんな星のもとに生まれてきたわけじゃないのに。どんなに努力しても、何をどう頑張っても、「おまえはそういう星に生まれた人間だ」と忌み嫌われるなんて。
そんな運命を背負わされた人間は、どう生きていけばいいのか。

その後、謝憐は飛昇、永安の水不足の件で地上に降りてきた三年後、小さな太子廟でせっせと花を供える少年を見つけます。もちろんそれはあの時の「落ちてきた子ども」、三郎!
すでに「神」となっている謝憐は姿を見せずにこっそりと三郎を助け、そのことに勘づいた三郎は見えない謝憐に向かって呼びかけます。

「俺はすごく苦しいんです!毎日死んだ方がましだって思って、世の中の人間を皆殺しにして、それから俺自身も殺してしまいたいって毎日思うんです!生きているのがすごく苦しいんです」 (P301)

祭の時が10歳だとすると、この時三郎は13歳になっているはずですが、3年の間、どんな生活を送ってきたのか。
でもこの切実な訴えを聞いて、「この世にはいくらでも苦しい思いをしている者がいる。殿下が気に留めることはない」などとあっさり退けようとする謝憐の側近・慕情(ムーチン)。(※慕情は後に西南を守護する武神・玄真将軍となります)。
「慕情」という名に反してなんて冷淡なんだ、と思いますが、「全員を救うことはできない」。神様だからっていちいちすべての者の苦しみに耳を傾けていたらキリがないのは確かでしょう。知らんぷりするのが「正しい振る舞い」。

一人の苦しみは、もう一人にとってはおそらくすべて取るに足らないごく小さな悩みにすぎないのだろう。(P301)

この辺の描写も作者さんすごいなぁ、と思います。
でも、 三郎は「大変な害毒」「破滅の星」と言われてしまった子どもなんですよ。永安人が水不足で苦しみ、家族を亡くして悲しんでいるのとはまた違う深い苦しみがあるじゃないですか。「子どもだから」とか「大人になれば自分に起きたことなんてたいしたことないとわかる」とか、そういう話じゃないでしょう、慕情!!

三郎はさらに訴えます。 

「俺はいったいなんのためにこの世で生きているんですか?生きることになんの意味があるんですか?」  (P302)

根源的な問いよね、これ。むしろ子どもだからこそ、真摯に悩み苦しむ気がする。
もとより答えが返ってくるとも思わず、ただただ心の裡を太子像に吐き出さずにはいられない――といった感じの問いかけだったのに、謝憐、答えちゃうんですよね。
例の、あの言葉を。

「なんのために生きればいいかわからないなら、私のために生きなさい」 
「君の問いには、私もどう答えればいいのかわからない。でも、もし生きる意味がわからないなら、ひとまず私をその意味だと思ってみるのはどうだろうか」 (P302)

側近の慕情と風信(フォンシン)(※後の南陽将軍)が「はぁ!?」となってるのが面白いんだけど、神官自らこんなふうに信徒に言葉を返すことが御法度な上に、「私のために生きろ」などというトンデモ発言。

800年後に本人も「なんであんなこと言っちゃったんだろ」と恥ずかしがってるけど、まぁこの時謝憐、弱冠二十歳だもんねぇ。若かったんだよね。
菩薺観で三郎にこの話をした時、謝憐は「その人がその後どうなったかわからない」と言っていたけど、13歳の三郎、この問答のあと、永安人との戦いの中で、首都側の兵士として戦っているのです。
謝憐の露払いとして先陣を切って戦っていた。そりゃあねぇ、「私のために生きなさい」って言われちゃったもん、太子殿下が戦場にあるなら、死ぬ気で守ろうとするよね。

で、謝憐に「君は剣よりも刀の方が合いそうだ」と言われる。後に三郎が湾刀厄命の使い手になるのは、13歳の時に謝憐に刀を勧められたからだったんだなぁ。すべてが謝憐に繋がっている…!

さらに謝憐が「温柔郷(おんじゅうきょう)」と呼ばれる花の妖怪に襲われて大ピンチの時にも、ただ一人そばにいて。
いやぁ、ちょっと、このシーンは///
他の誰も見たことがない謝憐の姿を三郎だけが目撃してるってことよね…。今後謝憐が三郎の正体を知った時に「えー、あの時の君なの!?まさか覚えてないよね、あんなこと」ってなりそう(^^;)

その後、三郎は軍を追い出されてしまうんだけど、それでもまた謝憐に再会して、さて、というところで恐ろしい人面疫が発生、その元凶である白衣禍世を追いつめるところで第2巻はおしまい。

謝憐が気づいた、人面疫にかかる者とかからない者の違いは明かされないままだし、白衣禍世の正体どういうこと!?という衝撃だけ残して「ここで終わるんかい!!!」という最終頁。
うぉぉぉ、早く日本語訳3巻目来て。一刻も早く来て。

「白衣禍世」については確か、帝君自らが退治したと書かれていたはずなんだけど、このあとの展開ほんとにどうなるんだろう。2度目の飛昇の時に謝憐が帝君を刺したって話も超気になるし。
もちろん三郎――というかあの少年がどんなふうに「絶境鬼王・花城」へと育っていったのか、そこも読みたい。太子殿下のために生きることを選んだ結果「鬼王」となった、その正体を知った時、謝憐はどう思うんだろう。そして二人の未来はどうなるのか。

神官と鬼。
帝君は「君の交友関係に口出しするつもりはない」と言ってるし、周囲の目がどうあろうと、気にする二人ではないだろうけど、お互いがお互いのまま、幸せになれるのかなぁ。またあの粗末な菩薺観で、二人静かな時間を過ごすことができるのかしら。


フロンティアワークス様、続きを、どうか続きをパパパーンと一気に刊行してください。早く読ませて……。



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