私が図書館で借りたのは集英社の名作集、単行本版。現在も文庫版で入手可能なようです。
ドラマ『君ゆき』はまだ2話目までしか進んでいないのですが、やはりドラマとの違いをメインに読み進んでしまいました。
ドラマでは斎藤一や原田左之介も出てきますが、原作の方で「新選組隊士」として出てくるのは近藤勇、土方歳三、沖田総司、そして芹沢鴨だけです。
エース様こと簡秀吉くん扮する渋川喜平など、影も形もありません。
主人公・深草丘十郎が長州藩士に父を殺され、その仇討ちのために新選組に入隊し、そこで謎の剣士・鎌切大作と友情を育む――という大筋はドラマと同じ。
丘十郎はめきめきと腕を上げ、芹沢鴨にも見込まれて「人を斬ってみないか」と「長州の間者」を討つ仕事を与えられる。そこで松永という男を斬ったがために、松永の娘・八重から「仇」と狙われることに。
もとは町人でありながら、「仇討ち」のために剣の道に進んだ丘十郎が、そのことで自身も「仇」として命を狙われる身になる。そこがひとつ、このお話のテーマになっていると感じます。
「今度生まれ変わったときには仇討ちなんてない時代に生まれようね」という丘十郎の言葉、そして最後には「あなたは今死ぬには惜しい気がする」と言って丘十郎を助ける八重。
で、八重の手助けをする松永の友人が仏南無之介。
南無之介は八重のことを好いていて、丘十郎と一騎打ちの末、命を落とします。
「なぜ恨みも憎しみもないこの男と斬り合わなくてはいけないのか。これが武士の意地だというなら、なんてくだらない」と思う丘十郎。
さらに丘十郎は「親友」だと思っていた大作をも斬る羽目になり、いよいよ剣を捨て、アメリカへと渡る。「今度帰ってくる時には、新選組はまだあるだろうか」と思いながら――。
ドラマ『君ゆき』では南無之介は新選組隊士になっていて、原作とはまったく違います。ただ、彼がもともと仕えていたのが「松永家」で、その次男坊・松永新之丞と再会するということで、松永八重と仏南無之介の関係性が極めてほんのり残ってますね。
ドラマ版では丘十郎が誰かに「仇と狙われる」展開は来ないのかしら。
そしてドラマではアンクちゃんこと三浦涼介くんが「美しすぎる芹沢鴨」を演じていますが、原作の芹沢鴨はでっぷりとしたマントヒヒ顔(?)のイヤ~な男。丘十郎に討たれます。
すでにドラマでもちらっと描かれている、丘十郎と大作が斬り結ぶ「花火の夜」。ここは原作通りだけど、出逢いの時に「一緒に桜を見た」ようなシーンはありませんでした。
原作は『少年ブック』昭和38年1~10月号に掲載されたそう。昭和38年というとえーと1963年、かれこれ60年前の作品ということになりますね。当時はあまり人気が出ず、途中で打ち切りになったのだとか。
大作の方の事情があまり描かれずに終わってしまったのは打ち切りの影響なのか、もともとの構想なのか。
冒頭、新選組入隊時の受付係が手塚治虫本人ぽいキャラだったり、芹沢鴨が肩で風切って市中を歩く場面が「ウエストサイドストーリー」になっていたり(ミュージカルというかダンス風の演出で、「WESTSIDE STORY」とちゃんと書いてある)するのが面白かった。
併録されている『新・聊斎志異』2篇もなかなか良かったです。むしろ『新選組』より面白かった。
「ぼくはいろんなふしぎ話を集めました。現代の聊斎志異をつくろうと思ったのです」ということで、『女郎蜘蛛』は殺された娘が蜘蛛の妖怪(?)となって恋人の手助けをする話。『お常』は実験動物のキツネが世話をしてくれた身寄りのない少年の仇をとる話。
どちらも戦争の影と人間の強欲が悲劇を生み、その悲しみが「怪異」を呼ぶ。「ふしぎな話」「怖い話」というよりは、せつない話でした。
『新・聊斎志異 女郎蜘蛛』は『週刊少年キング』昭和46年1月17日号に、『新・聊斎志異 お常』は昭和46年5月23日号に掲載。手塚治虫公式サイトによると、シリーズにはもう1篇『叩建異譚』という作品があるそう。
公式サイトの「新選組」の項には「五稜郭までを描く構想があった」と書かれています。その場合、丘十郎と大作の結末はどうなっていたんでしょうね。
公式サイトの「新選組」の項には「五稜郭までを描く構想があった」と書かれています。その場合、丘十郎と大作の結末はどうなっていたんでしょうね。
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