例によって例のごとく、移動のおともにと思って借りた短編集です。
裏表紙には「重厚長大なリアリズム文学重視の陰で忘れ去られていた豊穣なロシアンホラーの魅力を発掘!」と書かれてあるのですが、「ホラー」という印象ではなかったです。怖くはない。
タイトル通り、「奇譚」という言葉でしか表現できない、不思議な話、奇妙な話が7篇。どれも「え?これで終わりなの!?」という感じで、謎は謎のまま、種明かしなく終わってしまって、物足りないような、味わい深いような。

収録順に作品をご紹介していきましょう。


・『アルテーミー・セミョーノヴィチ・ベルヴェンコーフスキー』/アレクセイ・トルストイ

著者は『戦争と平和』等でおなじみのレフ・トルストイとは別の人。ポゴレーリスキーという作家(※代表作として『分身』という幻想短編集があるらしい)の甥で、『吸血鬼』をモチーフにした幻想小説をいくつも書いた人。

でも表題となっているアルテーミーなんちゃら氏は吸血鬼ではなく、いわゆるマッドサイエンティストの部類。旅の途中、馬車が故障してとある屋敷に一夜の宿を借りることになった語り手。
屋敷の主人アルテーミー氏は「色々な永久機関を開発」していて、健康のため素っ裸で散歩したり、30分間にわたって雄叫びをあげたり、「変人」としかいいようのない人物。旅路を急ぐ語り手はさっさとおいとましたいのだけど、アルテーミー氏はなかなか彼を手放してくれず、あげくには自作の迷路に招き入れて、「やーい!そこから出られるかな!」と手を叩いて喜ぶ始末。

「いや、えらい目に遭った」というだけのお話なんですけど、キレずに比較的穏やかにアルテーミー氏に付き合ってあげる語り手さん、心が広い。

分量は20頁ほど。


・『指輪』/エヴゲーニー・バラトゥインスキー

著者はロシア詩の黄金時代を代表する詩人で、この『指輪』という短編は著者が残した唯一の小説なのだそう。

タイトル通り不思議な指輪の因縁を巡る、ちょっとせつない物語です。
ドゥヴローヴィンという貧しい貴族がお金に困り、変わり者として有名な隣人オパーリスキーのもとを訪ねます。これまでまったく交流がなかったにも関わらず、オパーリスキーはドゥヴローヴィンの持つ指輪を目にしたとたん、金の工面を承知。「この指輪の持ち主は、私に対して絶大な力を行使しうるのです」と言って。
果たして指輪の秘密とは……。

これは「種明かし」があるお話なんだけど、ちょっとしたいたずらがこんな因果を生んでしまう。最後は大団円風にまとまるけど、オパーリスキー氏が可哀相でした。

分量は25頁ほど。


・『家じゃない、おもちゃだ!』/アレクサンドル・ヴェリトマン

これはちょっと長くて、80頁ほどあります。
著者はドストエフスキーの先駆として評価されているそう。

『冬の王』シリーズでお近づきになったドモヴォイ(家霊)が活躍するお話です。
まだドモヴォイが存在する隣り合った二つのお屋敷。片方には老婆と孫息子が、そしてもう片方には老爺と孫娘が住んでいました。どちらの年寄りも孫を溺愛、老婆は「風邪を引いては大変」と十代の若者に女物のショールをかぶせ、老爺の方は「悪い虫がついては大変」と愛らしい少女に男の子の格好をさせる。

窓越しに、互いに互いを「自分と同じ男の子」「自分と同じ女の子」と思って出逢い、惹かれていく二人。

昭和の少女漫画にありそうな幕開きなんですが、お話は私の予想とはちょっと違った方に転がっていき……。

冒頭、フランス軍が攻めてきてモスクワが炎上、ドモヴォイも消えてしまった、という描写が心に残りました。

なんだってこうなったのか。モスクワでは屋敷や家財だけではなく、昔ながらのドモヴォイも焼けてしまったからだ。
今となってはどんなに奇怪に見えようとも、昔は紛うかたない真実だった。往古のドモヴォイ爺さんは幻なんかでも幽霊なんかでもなく、はたまた変ちくりんな案山子なんかでもない。それどころか!
 (P64)

モスクワの街が美しく再建されても、もうドモヴォイはいない――。


・『白鷺――幻想的な物語』/ニコライ・レスコフ

50頁ほどの作品。
著者は多くの小説を著した物語作家。

「クリスマスの怪談」に分類される作品で、「自分の人生で体験した幻想的な出来事を話す」サークル(日本で言うところの“百物語会”?)で、ガラクチオン・イリイチという高官が語った話、という体(てい)になっています。

とある県知事の職権乱用調査のため、現地へ派遣されることになったイリイチ氏。無事任務を遂行した暁には、「白鷺勲章」が与えられることになっていました。
知事側はもちろん「中央から自分の素行を調べに来た役人」に対して、あれやこれやの策を弄してきます。なんとかしてイリイチ氏の弱みを握り、味方につけようと考えるのですが、イリイチ氏、女にも金にも美食にも興味がない。

唯一好物があるとすれば、それは「健康」だ――と答えたことで、イリイチ氏のもとにイワン・ペトローヴィチという若者が遣わされてきます。
健康美に溢れた美丈夫、その男ぶりのよさから「白鷺」と渾名されるほどのイワンに、イリイチ氏もすっかり興をそそられてしまうのですが……。

「えーっ、そうなるの?」という展開でしたねぇ。そもそも「イリイチ氏が“体験談として語った”」形なので、「どこまでが本当か嘘かわからないよ?」という含みもあるんですけど、イリイチ氏が災難すぎるというか、“邪眼”ってどういうことよ、ええええ。


・『どこから?』/フセヴォロド・ソロヴィヨフ

これも「クリスマス物語」に属する作品。たったの8頁しかない短い一篇です。
著者は幻想的な歴史小説の分野で活躍した流行作家だそう。

8頁しかないので、要約が難しいんですけど、とても好きなタイプのお話でした。
衝動に導かれて「彼の部屋」を訪ねる語り手。久しぶりに会う彼の手には奇妙な、何語で書かれているのかわからない本があり――。
 

・『乗り合わせた男』/アレクサンドル・アンフィテアトロフ

著者はジャーナリストで作家、みずから雑誌を興して健筆をふるった方だそう。
10頁ほどの短いコミカルな怪談。

語り手の男が列車内で遭遇したのはなんと幽霊。「この列車はこの先モスクワから二一七キロの地点で事故に遭う。だからその手前で降りなさい」と親切に忠告してくれる幽霊の真意は――。

このお話のキモは地獄の門に掲げられたお触れ。
『国籍、年齢、性別にかかわりなく、あらゆる死者に告げる。このほど詐称が横行していることを憂慮し、これ以後、天国であると地獄であるとを問わず、文書を以て本人証明の可能な霊魂、もしくは、少なくとも頭および肉体の三分の二を登録審査に届け出ることの可能な霊魂のみを受理することとする』 (P221-P222)

地獄に行くにも本人確認が必要、っていう発想が面白いですよねぇ。1886年に書かれた作品なのに、すごく今どきな感じ。


・『クララ・ミーリチ――死後――』/イワン・トゥルゲーネフ

『父と子』等で有名なトゥルゲーネフ(※ツルゲーネフ表記の方が馴染みがあるかも)の中編。最晩年――というか、亡くなる年に書かれた作品です。これだけ100頁以上ある。

叔母と二人暮らしの引きこもり気味の青年ヤーコフ・アラートフは、友人に連れられて出かけた音楽会で、クララ・ミーリチという女性と出会う。彼女はなぜかアラートフを凝視し、アラートフの方も彼女のことが気にかかって仕方ない。そこへ女の手で書かれた手紙が届く。「明日、トヴェルスコイ大通りに来てほしい」と。署名はないにも関わらず、「きっとクララだ」と思うアラートフは葛藤の末、指定された場所に出かけるが……。

『白鷺』と似た印象で、肝心なことが語られないというか、クララの言動は謎めいていて、でもだからこそアラートフの心はかき乱され、執着せざるを得なくなっていく。彼女の真意がわからないままになってしまったからこそ、ああでもないこうでもないと自分で考えを巡らすほかなく、妄執の中に取りこまれていく。
そこはすごく面白いなと思うんだけど、でもクララの真意が気になりすぎる。一体なんだって彼女は……???


巻末には丁寧な解説と年譜があり、『カラマーゾフ』の完結と『白鷺』の発表が同じ年、などということがわかって興味深い。

面白い一冊でした。