『熊と小夜鳴鳥』をAmazonで購入


図書館の新刊の棚にあったので、手に取ってみました。新刊と言っても刊行は昨年の11月、すでに数か月経っていますね。

ローカス賞最終候補作、世界20か国で出版、表紙イラストが可愛かったのと、舞台が14世紀半ばのロシア(ルーシ)ということに惹かれたのですが、古い精霊信仰とキリスト教との相克というテーマも好みで、面白かったです。

主人公ワーシャは北の辺境レスナーヤ・ゼムリャの領主ピョートルの末娘。上に兄が3人、姉が1人います。彼女には幼い頃から「チョルト」と呼ばれる精霊たちの姿が見え、会話すらできる能力がありました。

実は彼女の母マリーナにもその力があり、マリーナの母にあたる女性は「魔女」と呼ばれるほどその力が強かったらしいのです。
マリーナは「魔女」と先代モスクワ大公の間に生まれた娘であり、現在のモスクワ大公はマリーナの腹違いの兄イワン。つまり、ワーシャ達兄弟は辺境の領主の子どもでありながら、血筋上は大公の甥姪にあたるわけです。

マリーナは早くに亡くなり、ワーシャ達は乳母ドゥーニャから精霊たちのお伽話を聞いて育ちます。家を守る精霊ドモヴォイにはパンや水を捧げるのが古くからの習わし、けれどもさすがにこの頃にはその実在を信じる者は少なく、「実際に精霊の姿が見える」ワーシャは「変わった子ども」「ちょっと頭のおかしい子ども」のような扱いを受けていました。女の子なのに森を駆け回るのが大好きなおてんばだったことも周囲の眉をひそめさせる一因に。

とはいえ家族やドゥーニャから愛され、平穏に過ごしていたワーシャ。父ピョートルがイワン大公の娘アンナを後妻として迎え、また、キリスト教の布教に熱心なコンスタンチン神父がやってきたことから、徐々に居場所をなくしていきます。

ワーシャにとっては天敵のアンナなんですが、むしろ彼女、非常に可哀想な女性なんですよね。実は彼女にも「精霊の姿を見る力」があって、そこかしこに(部屋の隅から風呂場の中まで)“悪魔”が見えてしまうんです。
なので彼女もまた、「頭のおかしい娘」だと思われてきた。
ワーシャと違って見えるものを「悪魔」「恐ろしい化け物」だと感じる彼女は常にその存在に怯え、それらを遮断できる教会の中でしか安らぐことができない。なので修道院に入ることだけを夢見て生きてきたのですが、親ほど年の離れた辺境の領主の後妻として嫁がされることになってしまう。

なんせ大公の娘ですからね。
大公にとっては手駒なわけですよ。
「頭おかしい」って言われてるからモスクワ近郊の貴族には嫁がせられないけど、辺境なら大丈夫、しかもピョートルの先妻は大公の妹、その子ども達は大公の甥姪、つまりは身内。これ以上はない「片付け先」だったのです。

ピョートルとしてはまだ幼いアリョーシャ(ワーシャのすぐ上の兄)やワーシャの面倒を見てくれる母親が必要だ、という気持ちで再婚を考えたのに、押しつけられたのは子ども達とさして年の違わない少女だった。
でも若い女、いいよね、というのはもちろんあったりして、ほんとアンナ可哀想ではあるんです。辺境への旅の間もおっさんの夜の相手をさせられて、やっとたどり着いた「家」には悪魔がうようよ、しかも「子」として育てなければならない末娘はどうやら悪魔たちと親しく会話しているようで。

アンナにとっては地獄でしかないレスナーヤ・ゼムリャ。終盤、「ワーシャを殺してくれ」とまで言っちゃうのも、彼女としては仕方のないことではあるんだよなぁ。

で、アンナにとっては救いの主になるかと思われたコンスタンチン神父がまた、最低最悪の奴なんですよね。
モスクワでぶいぶい言わしてたのが、ぶいぶい言わしすぎて「あいつウザくない?」と辺境に左遷され、「くそっ、俺がなんでこんな田舎に」と思いながら赴任してきて、「かくなる上はこの田舎者たちの魂を救いあげるのだ、それが俺の使命だ!」と謎に盛り上がって、村人たちの感化に励む。

一神教を広めるわけですから、古い精霊たちは邪魔です。
というか、端的にコンスタンチン神父にとって「精霊=悪魔」です。
唯一の神を持ちあげるために、コンスタンチン神父は悪魔や地獄の話をしきりに持ち出し、「ひどい目に遭いたくなければ神を崇めよ」と村人たちを脅します。

レスナーヤ・ゼムリャは、地獄や悪魔の話でもちきりになった。 (P177)

なんか、「先祖の祟りが」と言って高価な壷を売りつけるのとどう違うんだ?みたいに思ってしまうんですが、このコンスタンチン神父のもろもろの描写、キリスト教圏ではどういうふうに受け止められてるのか気になります。
昔の話だし、コンスタンチン神父が悪いだけで、キリスト教の布教が悪いわけではない、というふうに読まれるのかしら……。

神父や継母が「悪魔」と呼ぶものが、ワーシャには見えます。のみならず、彼らから馬の扱い方を教えてもらったりするのです。人々が捧げ物をしなくなったせいで痩せ細っていく精霊たちに、自分の食べ物や血を分け与えるワーシャ。

怖いのは司祭でも悪魔でもなく、地獄の火でもない。ワーシャには司祭が悪魔と呼ぶ精霊、チョルトがみえている。毎日みている。意地悪なものもいれば、やさしいもの、いたずらなものもいる。みんな人間によく似ていて、自分たちとよく似た人間を守っている。ワーシャが怖いのはまわりの人間のほうだった。みんな、教会にいく途中で冗談をいわなくなった。 (P177)

ワーシャはコンスタンチン神父に面と向かって「わたしたちは救いなど必要としていない」と言います。さらに、

「ご自分で課せられた仕事でしょう。ご自分の自尊心を満足させるために、神様が望まれていることがどうしてあなたにわかるのですか? 人々があなたをこれほどまでにあがめるのは、あなたが怖がらせているからです」 (P253)

「わたしたちは人間です」ワーシャは言い返した。「仕事ではありません。モスクワにおもどりになって、モスクワの人たちを救ってください」 (P254)

とまで言います。
ワーシャはまだ14歳なんですが、いやー、素晴らしいですね。
コンスタンチン神父は「この生意気な小娘が」と思いながらワーシャのその物怖じしない、野性味あふれる魅力に惹かれ、「抱きしめたいキスしたい」などと思います。そしてそう思ってしまう自分への後ろめたさから、いっそう「あの娘は悪魔だ!」という確信を強めるのです。

アホか(´・ω・`)

この辺りのコンスタンチン神父の性格描写、本当に見事です。ワーシャへの想いに混乱しながら神の声を求め、逆に悪魔の声を聞いてしまうという展開も巧い。

サブタイトルになっている「熊」。これ、「悪魔」のことなんですよね。「悪魔」というか、古い精霊たちの一種(?)なんだけど。

本編の最初からずっと重要な存在として出てくる「冬の王マロースカ」

「わたしは死だ」マロースカはゆっくりいった。「いまもそうだし、はじめからそうだった。遠い昔、わたしは人間の心の中に生まれた。だが生まれたのはわたしひとりではなかった。(中略)双子の弟だ」 (P421)

精霊たちの中でももっとも強力と思われる、「死」を司るもの。けれども彼は人間たちの「敵」ではなく、むしろ人間たちを「弟」の手から救おうとしているらしい。

「わたしは人間の顔をしていた。だが弟は熊の顔をしていた。人間にとって、熊はとても恐ろしいものだからだ。それが弟の役割だった。人間をおびえさせること」 (P421)

長い間縛られていた「熊」が目を覚まし、人間たちに災厄をもたらそうとしている。キリスト教の浸透のせいで見捨てられた精霊たちも「熊」側に付こうとしていて、マロースカは魔女の力を――ワーシャの力を使ってそれを食い止めようとしているようなのです。

マロースカは「死」ではあるけれども、「笑うととたんに魅力的になった」と書かれていたり、ワーシャにキスをしたり、謎めいたあしながおじさんのような雰囲気。挿絵などはありませんが、冷たく暗い氷のような美男子でありながら実は人間を愛し、情熱を秘めている……みたいなイメージを抱いてしまいます。

「熊」にそそのかされるコンスタンチン神父。精霊たちや村のみんなを救おうと奮闘しながら、「おまえのせいだ!魔女め!」とかえって敵視されるワーシャ。

「わたしはだれも傷つけていません。みんなを救おうとしてきただけです!」 
「あなたが?」「追い払ったですって? 悪魔の仲間を引き入れたくせに! わたしたちに降りかかった災難は、すべてあなたが呼び寄せたのよ」 (P365)

まだ14歳の少女でありながら鞍もつけずに馬を乗りこなしたり、継母だけでなく村人たちからも奇異の目で見られているワーシャ。
英雄は怪物を倒す力を持っているがゆえに怪物と同一視される。怪物の姿が見えるがゆえに「おまえが奴らを連れてきたんだろう」「おまえも連中の仲間なんだろう」と言われる。ああ、ザンボット3だ…。

最終盤、ワーシャの父親ピョートルの犠牲によって「熊」は再び縛られます。ここのピョートルは本当に格好いい。それまでピョートルもワーシャの扱いにはかなり困っていて、彼女を守るためとはいえ意に沿わぬ結婚をさせようとしたり、ワーシャからすれば「どうしてわかってくれないの」という部分もあったんだけど、

「わたしの娘だ。男は自分以外の者の命を身代わりに差し出したりしない。わが子の命ならなおさらだ」 (P459)

と言って熊に向かって行くの、本当にすごい。マロースカをして「人間の力が勝った」「おまえの父親は勇気を知っていた」と言わしめる。

「熊」は再び縛られたものの、村人たちから「魔女」と思われていることは変わらないワーシャ。彼女が村を出て行くところで1巻目は終了。

2巻目『塔の少女』は4月末に刊行されています。図書館にはいつ頃入るかなぁ。

『塔の少女』をAmazonで購入

そうそう、タイトルの「小夜鳴鳥」の方は馬の名前。マロースカからワーシャに贈られた馬が「ソロヴェイ(小夜鳴鳥)」という名なのです。

「馬なのにどうして小さな鳥の名前なの」「どこで生まれたの」などとワーシャはソロヴェイを質問攻めにするのですが、ソロヴェイは答えてくれません。
他のことでは普通に会話してくれるんですけどね、ソロヴェイ。馬だけど人語を解する。というか、ワーシャの方に精霊と会話する力があるからかもしれない。

ソロヴェイはマロースカの乗る雌馬の子どもらしいのだけど、本当に“馬”なのか?という記述もあって。

「小鳥よ、わたしといっしょにもどってくれないか?」
「生きるのだ、おまえのきょうだいが生きたように」 (P391)

とマロースカが語りかけているシーンがあるのです。単に名前が小夜啼鳥なだけでなく、「ここで永遠に歌い続けている方がいいのか?」とも聞かれているから、この場面では実際に「鳥」のような気がする。
マロースカはわらをブラシにしたり、

「ものが自分の目的にいちばんかなう形になるのを待つのだ。そうすれば、本当にそうなる」 (P419)
「おまえやわたしにも多くの面があり、わたしの家にも多くの面がある。」 (P397)

と言ったりもしていて、本質は馬ではなく小夜啼鳥なのかもしれないし、そもそもそのように「どっちなのか」を問うことに意味がないのかもしれない。

「3部作」ということで、おそらく邦訳も全3巻なのだと思いますが、ワーシャの行く末、そしてキリスト教が広まる世界で古い精霊達が――冬の王と熊がどうなるのか。
続きを読むのが楽しみです。

【関連記事】

『冬の王2 塔の少女』/キャサリン・アーデン
『冬の王3 魔女の冬』/キャサリン・アーデン