以前ハヤカワ文庫版で読んだ『日本庭園の秘密』の新訳版です!
越前敏弥さんによる角川文庫の国名シリーズ新訳、この『日本庭園の秘密』は厳密には「国名シリーズ」には入っていないため、新訳されずに終わるのかなと思っていたら、ついに!

『中途の家』新訳から9年経ってるんですよねぇ。2024年6月の刊行。

出版から半年以上経ってるんですが、図書館の新刊の棚に並んでいて、懐かしい若きエラリーがこちらを向いて微笑んでいる!!! うぉぉぉ!!!!! ソッコーで借りました、ありがとう図書館!

しかしやっぱこの竹中さんのイラストいいですよねぇ。すべてのクイーンシリーズをこのイラストにしてほしい。

旧訳を読んだのはもう8年近く前、細かいところは当然すっかり忘れているので、新鮮に、面白く読みました。

日本育ちで日本式の庭園のある屋敷に住み、着物を着てパーティに出席する女性作家カレン・リース。
彼女が寝室で、何者かに喉を切り裂かれて死んだ時、寝室に続く居間にはエヴァという若い娘がいた。カレンの婚約者であるマクルーア博士の娘、エヴァ。居間を通らなければ誰も事件現場から出て行くことはできない。犯行が可能だったのは唯一エヴァ一人。
密室の謎を解き明かし、エラリーはエヴァを救うことができるのか――。

でもエラリーの推理よりも、「犯罪に巻きこまれたヒロイン」の物語を楽しむお話のような気がします。
最初のパーティの夜、庭園でのエヴァとスコット医師とのやりとりからして、「俺は何を読まされてるんだ?」って思うもの。
美形のスコット医師に声をかけられ、腹立たしさと羞恥とときめきを感じてしまうエヴァ。スコット医師、突然「靴とストッキングを脱いで」とか言い出すし、「なんだこの男!?」感がすごい。

その後エヴァとスコット医師は急速に接近、婚約するまでになるんだけど、結婚を目前にエヴァがカレン殺害の容疑者になってしまう。
そしてその事件現場でエヴァが遭遇する「褐色の男」。
血だまりの中にカレンの死体を見つけ、動転するエヴァのもとに、突然現れる謎の人物。誰とも知らないその男に「さあ、答えろ、嬢ちゃん」と尋問され、あげく「あんたは一巻の終わりだ」と言われる。

この場面の緊張感、切迫感、エヴァ側の「わけのわからなさ」の描写がすごいんですよ。カレンが死んでいるというそのことだけでいっぱいいっぱいで、最初は「自分が疑われるかもしれない」ということにまで思い至れないエヴァ。エヴァにしてみれば、「褐色の男」が犯人かと思えるぐらいなのに、その男は自分のことを一切説明せず、高飛車に、乱暴に、彼女を質問攻めにする。
さらに、「血のついたハンカチを燃やせ」とか言って、「そんなことしたらかえって疑われるじゃーん!」と読んでいてハラハラしどおし。

この「褐色の男」、テリー・リングという私立探偵で、クイーン父子とは旧知の仲。
現場の状況から見て「犯人はエヴァしかありえない」とするクイーン警視。無実を訴えるエヴァの味方につくエラリーとテリー。
そしてエヴァが容疑者になったとたん、すっかり自分のことしか考えられなくなるスコット医師。

スコットがほしいのは婚約者であって被害者ではなく、将来の妻であって将来の見出しではない。 (P302)

スコット医師の“小物”感、造型がうまい。

新訳によってエヴァとテリーのやりとりなど、いっそう活き活きと、息詰まる感じになっている気がします。

旧訳感想記事で紹介していた部分の訳の違いを少し見てみると。

「どうやら」エラリイがドライな調子でエヴァに言った。「あなたは、あの男を征服したようですね。わたしが知る限り、あの男がまいったのは、はじめてですよ」 (旧訳P151)

「どうやら」エラリーは冷ややかにエヴァに言った。「あなたはあの男を征服してしまったようだ。ぼくが知るかぎり、その快挙が成しとげられたのは、これがはじめてですよ」 (新訳P147)

「女にほれたのは、はじめてだ。おれには女は毒だと思っていた。だが、きみにはまいった。眠ることも、なにをすることもできない。しょっちゅう、きみの姿が目の前にちらつくんだ!」 (旧訳P300)

「おれは生まれてはじめて女に惚れたんだ! これまでずっと、女はおれにとっちゃ毒だった。でも、あんたにはすっかりまいっちまったよ。いまじゃ眠ることも何もできない。あんたがずっと目に浮かんだままなんだ!」 (新訳P294)

クイーン家のなんでも屋、若き有能な執事ジューナが登場するのも確かこの作品が最後。ジューナくん登場箇所の新旧。

黒い目をしたジューナは自分の偶像の海外からの帰国を迎える喜びを、充分に表現するのを控えなければならなかった。 (旧訳P141)

クイーン家のなんでも屋で、黒い瞳を持つ少年ジューナは、崇拝する人物が外国から帰った喜びを思いっきり表現したいのを我慢させられることになった。 (新訳P137)

エラリイはキッチンへ行った。「ジューナ」ジューナは、たちまち姿を現わした。
「映画を見に行きたくないか?」
「そうだね」ジューナは迷いながら言った。「近所の映画館にかかってるのは、みんな見ましたよ」
「なにかあるはずだ」エラリイは紙幣を少年の手に押しつけた。ジューナは彼を見あげた。二人の目が合った。
すると、ジューナは答えた。「ええ、そうですね」そう言うと、急いで押入れへ行って帽子を取り出し、アパートメントから出て行った。 (旧訳P391)

エラリーは台所へ行った。「ジューナ」と呼ぶと、びっくり箱のようにジューナが飛びだしてきた。「映画を観にいきたくはないか」
「どうでしょう」腑に落ちない様子で答える。「このあたりでやってるのは全部観ちゃったんですよ」
「きっといいのが見つかるさ」エラリーは少年の手に紙幣を一枚押しつけた。ジューナが見あげる。ふたりの目が合った。
それからジューナは「そうですね。たぶんあるでしょう」と言って、クロゼットへ飛んでいき、帽子をつかんでアパートメントを出ていった。
 (新訳P382)

「びっくり箱のように」って表現がいいですね。崇拝するエラリーに呼ばれたら、間髪入れず飛びだしてきて、そして「目が合った」ですべてを察する。
この時、エラリーのもとには事件の関係者が訪れていて、エラリーはその人物と二人きりになるために、ジューナを外に出すのです。
呼び鈴に応じてドアを開けた時点で、そこそこ勘づいているようなジューナ君。

ジューナがドアをあけ、まず驚きの表情、つぎに怒りの表情を浮かべたあと、最後は悟りきった表情になった。事件が解決したあとに帽子を手にして尋ねてくる人々には、ジューナも慣れていた。 (P378)

「怒りの表情」なのは、「ああ、せっかくエラリー様と二人で過ごしているのに」っていう感情なのでしょうか。
このあとエラリーは訪問者を相手に「あたかも神の役を演じているかのように」振る舞います。
本当の真犯人はあなた、あなたこそが彼女を死に至らしめたのだと。

旧訳を読んだ時と同じく、今回も「うーん、エラリー、それは必要なの」と思ってしまいました。エラリーにとってみれば、とてもうやむやにできない、自分の胸ひとつに納めてはおけないことだったのでしょうけど、死んでしまったカレン・リースが「本当のこと」を言えない以上、“真犯人”が自らの罪を認めたとしても、それは憶測にすぎないんじゃないかなぁ。

長年にわたり大きな秘密を抱えながら、「文壇の寵児」として素知らぬ顔で周囲を欺いていたカレン。「肝が据わった」どころじゃない彼女が、本当にそんな理由で……?


あと、「境界の扉(The Door Between)」という原題について。
解説には
「この題名は、具体的な物としては、日本の「遮蔽する為の建具」の総称としての「障子」であり、日本の文化風俗や倫理の敷居にある遮蔽するものを隠喩する表現、と捉えるのが妥当であろうと考える」 (P419)
という酔眼俊一郎氏の説が紹介されています。

事件現場には「屏風」があって、その屏風の背後には隠された「扉」がある。そしてさらにその扉の向こうには、カレン・リースの大いなる秘密が……。
わざわざ「Between」と言わなくても、「Door」というのは常に「間にあるもの」、「間」を繋ぐものであり、分けるものであり。

最後にエラリーが「神の領域」に足を踏みこもうとすることも示唆しているんでしょうか。探偵はその敷居を踏み越えるべきなのか――。



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