この間(と言ってももう1か月くらい前)
ラジオで山下達郎さんがこんなようなことを
言っていた。
「ぼくの歌は全部言葉数が少ない。
あんまり言葉でしゃべりすぎると、
曲が語る部分がなくなってしまうから」

録音してたわけじゃないので、正確では
ないし、ひょっとして達郎さんの意図を
曲げていたらごめんなさい。
私にはそういうふうに聞こえて、ああ、
なるなどな、と印象に残ったんです。

なんか、たとえ歌詞が「ドラえもんの歌」
みたいのでも、達郎さんのあの声とメロ
ディーがあればそれで「達郎の世界」を
構築できるだろうなぁ、と思ったの。
「あの声」は重要だけど、歌詞の中身は
さほど問題じゃないっていうか。
(達郎ファンの皆さん、怒らないでね)

そのラジオを聞いた後、中古で買った
BONNIE PINKのアルバム
『Even So』を聞いてて、また
思ったんだ。
「Heaven’s Kitchen」から
けっこう好きで、よく聞くアーティスト
の一人なんだけど、彼女の歌は洋楽みた
いで、心地いいんだけど詞の中身はさっ
ぱりわからない。強く主張して聞こえて
くるわけじゃないし、聞きとる必要も感
じない。
正直な話、どれがどの曲か、っていうのも
あんまり覚えられなかったりする。

でも好きなのよ。
『Even So』も買って良かったって
思ってる。

5曲目の『The Answer』って
いう曲だけはなんかサビが耳に残って、
それだけ歌詞カードで詞を確かめた。
そしたらけっこういい詞(というか好きな
タイプの話)で、「曲の雰囲気だけじゃ
なくて、やっぱり知らないうちに詞の世界
も感じてるのかな」と思ったりした。

曲と声(歌い方)だけで十分彼女の世界が
構築できてると言っても、やっぱり
全部「ラララ…」とか「フフフ……」の
ハミングだったら曲のイメージ変わっちゃう
だろうしなぁ。
言葉の持つ響きも、やっぱり「音」として
音楽を構成しているんだろう。

そういえばGacktさんのアルバム
『MOON』には歌詞カードがついて
なかった。目で言葉を追うんじゃなくて、
耳で聞いて世界を感じてほしい、
というような趣旨だった。
先に歌詞カードを読んじゃうと、言葉の
意味に囚われすぎて、曲が語る部分を
感じられなくなってしまうかもしれないから。

メロディだけでも、言葉だけでもない。
歌って不思議なものだ。