SF
『ナ・バ・テア』/森博嗣
「わかるけどわかりたくない」と言うのか、「でも、そんなこと言ったって」と反発したくなるような感じで。
だから2作目の『ナ・バ・テア』を開くまでにだいぶ時間がかかったのだけど、読みはじめたらすっと入っていけて、1作目よりも俄然面白くて、今度は「ああ、わかる!」だった。
『ナ・バ・テア』というのは「none but air」=「空気しかない」ってこと。
戦闘機に乗って戦うことを生業とする、子どものまま(おそらくは10代後半ぐらい)肉体的には年を取ることのない「キルドレ」と呼ばれる少年少女たちの物語。
1作目では「相手役」のような立場だった人物の、若い時の話(と言っても、肉体的にはずっと若いわけだが)。
どっちも主人公の一人称で語られるから、1作目ではよくわからない人物だったのが、今作では「ああ、そうなんだ」って納得できて、とても好きになれた。
でも、この話に感情移入できたり、「わかった」りするのは、実は「やばい」ことかもしれない。
主人公は、「1人がいい」を公然とさせている。
地上に這いつくばっている人間達(大人)を嫌っている。
放っておいてくれ、と思っている。
そうだったな、と思う。
すっと、「大人になんかなりたくない」と思ってた。
「大人なんかみんなバカだ」と思ってた。
自分のこともよくわからないのに、他人のことなんかわかるものか。
自分のことを、わかられてたまるものか。
「僕にとっては、思いやりや優しさというのは、他人から自分を切り離すためのもので、つまり、相手も自分も、お互いに自由にしてあげる、拘束しない、邪魔をしない、そういう状態にするためのものだ」
「みんな、自分が満足したい、自分のエゴを通したいのだ。ただし、そのままの姿では醜いから社会では生きていけない、けれど、ちょっとそれを隠すだけで、たちまちその醜さが善となる。客観的に見れば大差がないことなのに、ある一線から善になる。そういうのが、大人の社会の常識なのだ」
辛辣で、容赦がない。
癒しとか、甘っちょろい夢とか、なれ合いとか、そういうものとは無縁の世界だ。
孤独だけど、寂しいわけじゃない。
憐れみなんか、欲しいはずもない。
昔、子どもだった時の自分が自分の中で疼いて、「馬鹿野郎!」と叫び出す気がする。
大人になって、丸くなってしまった自分に向かって。
本当は全部どうでもいいくせに、“いい人”のふりをして生きてる自分に向かって。
森さんの本がよく売れてるってことは、意外にみんな、自分の中に「キルドレ」を飼ってるってことなのかな。
「このシリーズは自分の本質に一番近いから、一番売れないだろう」みたいなことを、森さんは書いていたけど。
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