そんなわけで、「キカイダー」や「サイボーグ009」について熱く語っていらした名越先生と、内田樹先生の対談本です。
図書館で借りてみました。
新書で204ページ。あっという間に読めました。

お2人の考え方が好きだから読んでみた、という私には予想通り面白い読み物でしたが、「14歳の子を持つ親たちへ」というタイトルに惹かれて手に取った方々には肩すかしの内容かもしれません。
だってこのタイトルだと、なんか「こう育てれば思春期の子どもも怖くありませんよ」とか、「子どもがこう来たらこう出なさい」というマニュアルっぽいことが書いてあるような感じがするでしょう。

そーゆー本じゃないです。

むしろ、「子育てにマニュアルなんかないんだから」「答えがあると思ってるうちはダメだよ」という本です。
「義務教育は13歳までに?」という章もあるけど、そんなん「14歳の子の親」に言われてもそれこそどーしよーもないことだしねぇ。文科省に言ってくれって話でしょ。うちの子はもう14歳になっちゃってるよ、って。
もちろんこの「義務教育13歳まで論」、面白いんですけどね。確かにそうした方がいいんだろうな、って思わされます。

名越先生は精神科医でらして、しかも「思春期外来」をやってらっしゃるそうです。
それはまた大変なことを、って思ってしまいますけど、「思春期の子ども」の相手以上に、「その親」の相手の方が大変だそうです。
第2章のタイトルがずばり「病気なのは親の方?」。
これも「そーだろーなー」と思います。
子どもがおかしくなるのはそりゃやっぱり大人がおかしいんですよ。大人の子供に対する態度もおかしいし、大人社会自体がもう、ぐちゃぐちゃですもんね。「今の若いもんは」なんてもう全然言えない。いい年をしたおじさんが注意されてキレて人を殺すし、立派な企業と思っているところで平然と馬鹿な偽装やなんかが行われてて、「社会的責務」とか「公共性」というものが音を立てて崩壊している。

こういう時代に生まれ合わせた子どもこそ不幸っていうか。
ねぇ。

まえがきで内田先生が、

「子どもが何を考えているのかわからなくて当たり前」「どう対処していいかわからなくて当たり前」という仕方で、「腹を括る」ことである。

と書かれています。
ここをちゃんと読んで手に取られた方は、「なんだ、結局どうすればいいかちっとも教えてくれないじゃん」と肩すかしを食うことはないでしょう。

この間の「家族は謎ベース」という話と同じですね。
配偶者でも子どもでも、しょせん「自分とは別の生き物」で、「100%わかる」なんてことはありえない。
「子ども」というのは「血を分けたもの」で、生まれ落ちた時から自分が育てていて、だから「自分にわかるように育つ」「自分のコントロールの範囲内にある」とつい思ってしまうけれども、そんなわけはない。

「別の人間」なんだもの。

「わからなくてもなんとかなる」という考えが不足しているんでしょうね。
この本の最初のところに、「少子化の理由は“子どもというわけのわからないものを持つことの恐怖感”だ」というような話が出てくるんだけど、まったくその通りだろうと思います。
「結婚しない」っていうのも似たような理由じゃないかな。
わざわざ「わけのわからない他人」と一緒に暮らさなきゃならない理由がない。
昔なんて、写真すら見たこともない他人といきなり結婚してたんだから、すごいですよね。「結婚して一人前」「子ども生んで一人前」みたいな社会のしきたりがあって、「わけわかんないけどそーゆーもんだからしょーがない」みたいなところで「家族」が営まれていたんでしょう、たぶん。

「結婚しなくても不都合がない」というふうになったら、そりゃ誰もそんなめんどくさいことはしないよ、と。

名越先生が「恋愛依存」というケースについてちょっと話していらして、「今どきの若者の恋愛はそうなの!?」とかなりびっくりしました。
「わけのわからない他人」と付き合うのはすごくめんどくさい。でも「つながりたい」「恋愛をしたい」という欲求というか渇望だけはある。
「週に一度は相手の頭をハイヒールで殴る」関係って、「恋愛」なのか??? 「週に6日は我慢してるんだから」って……。

「わからない」ということに対するキャパシティがすごく小さくなって、その結果全部が「我慢を必要とする」になってしまっているんだろうなぁ。
「相手のことが全部わかったら恋愛は終わる」って、私なんかは思うけど。

子どもや若者をめぐる危機的な状況が色々語られています。
この本は2005年の4月に出ているので、きっと2008年4月である現在はもっと病状が進行しているんでしょう。
大人が変わらないとね……。