おととい、カセットテープの話を書いてからレンタルCDショップに行ったら、カセットテープもMDもそれなりの数が積んであった。
そうかぁ、電気屋にはあんまり置いてないだけで、ちゃんと生産はされてるんだよな。

たまたま家族の誰かがもらってきたPanasonicの音楽機器カタログにも「ポータブルカセットデッキ(いわゆるウォークマン)」が載っていたし。
ラジオとカセットだけの正当派ラジカセも健在。
元祖ウォークマン、SONYもまだ「カセットデッキ」を出していた。

楽天Shopのうたい文句に「敬老の日のプレゼントにも」と書いてあるのに苦笑してしまったが、カセットテープを必要とする世代はもはや高齢者なのかしらん(笑)。
録音して再生して、あとはがーっと早送りか巻き戻し。
それだけしかできないというのは、逆にシンプルで使い勝手が良かったりもするのに。

ともあれ、家にあるカセットテープの山をどうこうする必要はないのだなと勇気づけられた。きっと私が生きている間くらいは、カセットデッキは生産され続けるだろう。
もちろん音質は劣化していくだろうし、いざ久しぶりに聞こうと思ったらもう全然テープが傷んじゃってダメという事態も起こるだろうけど、CD-RやDVD-Rも「何年かおきにCOPYしなおさないとダメ」と言われてるぐらいだもの。カセットテープだけが特別に「保存に耐えない」わけではない。

それに。
音が悪くなってたり、「あちゃー、全然聞けないや」ということもまた、それはそれで価値のあることだと思う。
だって、それは「昔のもの」なんだから。
何十年も経って、まったく変化していないというのは、逆に気持ちが悪い。

もちろん、写真でもビデオでも音楽でも、きれいでクリアなままにこしたことはないけれども、子どもの頃の写真は色褪せたり汚れたりしていてこそ、「過ぎし年月の長さ」を思えて貴重なような気がする。
もしも、「今撮りました」というくらいクリアで鮮やかな写真だったら、「懐かしさ」という感慨が減ってしまうんじゃないかな。

いくら見かけ上「時間の経過をないもの」としても、実際にそこに時間は流れていて、取り返しがつかない。

古い神社や仏閣の建物を修復して、「創建当時と同じように」けばけばしく朱塗りにしてしまうこととかあるけど、「新しく塗り直して元通りになったもの」と「色もはげて傷もいったままのもの」と、どっちが美しいかといったら、「古いまんま」の方が美しいと思う。
というか、私はそっちの方が好きだ。

そういえばこの間、玉虫厨子を再現したというニュースがあった。わざわざ外国から玉虫を集めて往時の美しさを再現したと。
玉虫も災難だよな、と思うけど、そういう「当時を再現する」っていうのは学術的には意味があるのかもしれないけど、「愛でる」「鑑賞する」という意味では無駄なことのような気がする。

すっかり色褪せて、往時の輝きの失せたものを見て、「作られた当時はどんなにか派手だったんだろう」と想像を働かせるのは、古いものを見る楽しみの一つだ。
そこに降り積もった時を思えばこそ、より感慨は深くなる。

「劣化しない」「変質しない」ということは、そんなにもめでたいことではないのかもしれない。