おととい、第二夜「孤高のヒーロー編」。
3時間半ぐらいあったので、ビデオ見るのも大変でした。
見始めるとやめられないのでもっと大変です。

特撮版「キカイダー」は2話も放送してくれましたが、あそこまで見せといて最終回をやってくれないなんて殺生な!
続きめっちゃ気になるや〜ん。

「キカイダー」の本放送の時、私はまだたったの4歳くらいで、しかも放送時間が夜の8時!
「よい子は8時に寝ましょう」だった時代、リアルタイムではなく再放送で見たんでしょうね、やっぱり。
「キューティーハニー」がドリフの「全員集合」の裏番組だということは覚えてたんですけど(隣のお兄ちゃんが「両方見る!」と言って自分ちと我が家とを往復していたので覚えている)、「キカイダー」も同じ時間帯。そして8時半からは「デビルマン」だったのだとか。

へぇぇぇ。
こゆい時間帯やなぁ(笑)。

それはともかく。
やっぱり「キカイダー」はすごいな、と改めて思いました。
自分が機械であることに苦悩するジロー。「不完全な良心回路」という絶妙な設定。
誤解から警察に捕まって、警察が「機械に弁護士なんかつける必要ない」って言うところとか、すごく面白かった。「この時計とおんなじただの機械じゃないか」って。
一方ジローの理解者であるミツコ達は、「キカイダー」に変身してからも、バラバラに壊れてしまってさえも「ジロー」と呼びかけていて、「心を持った対等の存在」として扱ってるんだよね。

「自分は何者か?」と問い、自分を作り出したものを憎むハカイダーのキャラクターも本当に素晴らしい。
機械に「心」は存在するのか。
「心」とは何なのか。
何が正しくて何が間違っているのか。
ロボットを描くことは人間を描くことなんだよねぇ。
何をもって「人間」と定義するのかということ。
「人間」は本当に正しくて、守るに値するものなのか。

第二夜のテーマは「孤高のヒーロー」だったけど、「ヒーロー」というのは特殊な能力を持つゆえに「異質」で、「普通の人間達」からは排除される存在なんだよね。
「普通の人間達」のために戦っているのに、「普通の人間達」は決して彼らを受け入れない。

「キャシャーン」とか「ザンボット3」でもそうだし、「ガンダム」のアムロだってその能力を恐れられて軟禁状態。
日本の「ヒーロー物」って、ただ「憧れの存在」「スター」っていうのじゃないんだよね。

私が「仮面ライダー」だの「キカイダー」だの「イナズマン」だの「ロボット刑事」だのを見ていたのは幼稚園から小学校ぐらいの時で、その時期にどれだけのことを理解して見ていたのかわからないけど、でも幼少の頃にこういう「物語」をシャワーのように浴びて育ったっていうのはきっと大きいと思う。

今見てやっぱり感動するっていうのは、それに感動するための素地を幼い頃に植え付けられてるんだろうと。
世界観っていうのかな。
中学になって「ガンダム」になると自覚的に富野ワールドを吸収するけれど、それ以前に特撮モノから吸収した「物語」は絶対に多い。
「正義とは何か」「私の存在とは何か」と考える時に、自分で考えてるつもりで実はあの時代の「物語」にすごく影響を受けているんだな、と改めて感じる。

アニメの「ギターを持った少年 キカイダー対イナズマン」には感動しましたね、ほんとに。
拍手しちゃった(笑)。
いいもの見させてもらいました、みたいな。

あと、ゲストの名越先生のあのやわらかい大阪弁の語り口!
惚れましたよ、先生!(爆)
おっしゃる内容も実に「うんうん」とうなずける話ばかりで、聞き惚れてしまう。
名越先生、「009」の回も出られるんですよね。やっぱり「009」も録画せねば……。
今夜も出られるけど、今夜は「SASUKE」録画しないといけないし。

なんせ、録ったもの見るのが大変。
でも幸せ。
この年になって「ロボット刑事」が見られるとは思わなかったもんねぇ。ダイジェストすぎて魅力がちっとも伝わらなかったけど。
「ロボット刑事」も4歳ですけどね、私。
これはリアルで見てて、最終回にいたく感動したんです。
どーゆー4歳児だ、まったく。
でも子どもって大人が思う以上に色々なことを感じ、考えているものなんです。
だから幼少期にこーゆーキラ星のごとき物語を大量に浴びられたことは本当に幸せだったと思う。

ありがとう、石ノ森章太郎さん。
ありがとう、テレビ見放題にさせてくれたお父さんお母さん!