「子どもとめぐる本の旅」と銘打ちながら、すっかり自分の趣味だけに走ったカテゴリになっていましたが、久々に!
児童書です。

車椅子の天才物理学者ホーキング博士とその娘さんが児童向けに書き下ろした物語。
子ども達が宇宙物理学に親しめるように、という意図で作られた本ですが、「解説書」ではなく「物語」になっているところが憎いです。
主人公ジョージの冒険にわくわくはらはらしながら、自然に宇宙について学べるようになっています。

ところどころに惑星のデータや「質量」「素粒子」などに関する説明がコラム形式で入っていて、彗星や銀河のカラー写真もあり、物語を補います。
宇宙や星に興味のある子には本当に楽しい本じゃないでしょうか。
あんまり興味のない子も、「物語」がよくできてるので、読みやすいと思う。

主人公の少年ジョージのお隣に、宇宙を研究している科学者エリックと娘のアニーが住んでいて、エリックの持つ「世界一パワフルなコンピュータ」“コスモス”は宇宙空間へ人を送り出すことができるのです。

そう、パソコン版ドラえもんのように、宇宙に繋がる「どこでもドア」を出現させられちゃうのだ。
なんでコンピュータにそんなことが……という野暮は言いっこなしよ。エリックは実地に宇宙へ出かけていって宇宙を研究するというとんでもない科学者で、ジョージもアニーと一緒に本物の彗星に乗って宇宙を旅したりする。

後半、エリックの研究を邪魔しようとする敵が現れて大ピンチ。一人で解決しなくちゃいけなくなったジョージが奮闘するところはハラハラドキドキ、大人でもつい引き込まれて頁を繰ってしまいます。

それにジョージの家庭環境がふるってるんだよね。
ジョージの両親は環境活動家で、食べ物は自家菜園で採れた野菜だけ、家にはテレビも電話もなく、夜になるとろうそくの灯りで生活するという、徹底したエコ家庭なのだ。
まぁこんな家に生まれた子供は災難ですよ。
学校に行けば友達はケータイを持ってるのに、家には固定電話すらない。もちろんテレビの話題にはついていけない。お弁当も他の子のようにポテトチップや炭酸飲料は入ってないし、「変わった家」だというのでからかわれまくり。

「親が変わった生き方をするのはかまわない。だけど、それは、似たもの同士で付き合っているからできることだ。
お父さんもお母さんも、毎日学校に行かなくていいんだもん。学校には、リンゴ(いじめっ子の名前)と取り巻きみたいな子がいる。そして、変な服を着て、ふつうとは違うものを食べ、きのうのテレビで何をやっていたかを知らないと、そいつらがからかって笑うんだ」


そういうことをジョージがお父さんに説明すると、お父さんは「地球を救うために、わたしたちはみんなできるだけの貢献をしないと」などと言う。

「ジョージも、それはそうだと思う。でも、自分がしている貢献が学校で笑いものになったり、コンピュータを持てないことだったりするのは不公平だし、的はずれだと思うのだ」

いや、まったくね。
このジョージの気持ちを読んでうんうんとうなずく子どもは多いのでは。
ジョージのお父さんやお母さんはあまりにも極端だけど、でもどこの家庭でも多かれ少なかれあることでしょ。親が子どもに「自分たちの正しさ」を押しつけることって。

「ジョージはくやしくてたまらなかった。大人はいつも、自分たちの方が正しいと思わせようとして、物事をねじ曲げる」

そうなのよね。
わかるわ、その気持ち。
でもいざ自分が大人になると、同じように振る舞ってしまうのよね。
反省反省。

本筋の宇宙の話はもちろん、こういう「子どもの目線」がきちんと描かれているところが「良書」だと思います。

ジョージのお父さん達は「科学が地球をこんなふうに汚してしまった」と考えていて、いわゆる「文明の利器」を毛嫌いしている。
科学は色々なことを便利にしてくれる一方、使い方を誤れば我々自身に害をなす。
エリックがジョージに「科学者の誓い」をさせる場面や、「敵役」として登場する人物が「悪い科学者」であるところなど、これから「科学」を学ぼうとする子ども達への著者の強いメッセージを感じさせます。

3部作の予定ということで続きが楽しみだし、「ホーキング宇宙を語る」にも挑戦してみたくなりました。