昨日やっと、息子の3年生の教科書&プリント等を片付けた。って、いい加減自分でやれよぉ、おまえ〜!
今日も古い「1年の科学」「2年の科学」の教材をぽいぽいとゴミ袋に投げ入れた。本当は息子にやらせるつもりだったが、待っているともう新学期が始まりそうなので、「捨てるで〜」と言って私の手でゴミ袋に。

「親が先回りしてやってはいけない」と思うのだが、きっと放っておくと彼は片付けない。
なぜなら。
私と同じで「散らかっている」ことが苦にならないからだ。「何がいけないの?」と言ってどんどん積んでいく。その結果机が使えないので平気で床で宿題をする。
そこに問題を発見しない人間に、「そのうち自分で解決するだろう」と待っていてもらちがあかないではないか。

しかも人のことが言えない母親だから一層困る。

教科書類はまだしも、「1年の科学」なんて2年もほったらかしだったので、動かすだけですごい埃。
もっと早く片付けておけよ、おまえ。
『14歳の子を持つ親たちへ』の中に、「日本人は行き着くとこまで行ってからじゃないと何もしない」というような話があったのだけど、きっと私はとても日本人的なメンタリティーの持ち主なのだろう。

行き着くところまで行かないと片付ける気にならん。

で、また内田先生の話なんだけども、4月2日付けの内田先生のblogで、「国際マンガミュージアムで養老先生と会談」という話が載っている。
そういえば、あそこの館長さんって、養老孟司先生なんだよね〜。養老先生って、マンガ読まはるのかな。
前に書評欄か何かで、「ファンタジーが好き」というのは読んだんだけど。「なんでフィクションでまで現実のめんどくさい問題にかかずらわなきゃならないんだ。そんなの現実でたくさんだから、読むのはファンタジーがいい」というような話だった(うろ覚えなので曲解していたらすいません)。
「そうそう、私もそうなんです!」と大いに親近感を持ったものだけれど。

内田先生は、マンガミュージアムの次期館長の座を狙っていらっしゃるらしい。
青年期に竹宮恵子のマンガを読んでいた、という話が出てくる。
おおっ、またもや親近感!(笑)。

賢い人はマンガを読んでいるのだわ、きっと。
橋本治さんにも『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』という少女漫画論があるし。
(大島弓子、萩尾望都、山岸涼子、陸奥A子さん等について語っていらっしゃいます。文庫版の表紙は大島弓子さんの絵)

幼稚園の頃からマンガを読んでいたマンガっ子としては、すごく嬉しい話です。
ありがたいことに、私の親は「マンガ禁止!」なんてうるさいことは言わなかったし、テレビも原則見放題。
おかげさまでマンガっ子でテレビっ子で、「一体あんたはいつ勉強するんだ」という子供時代を過ごしました。
もちろん、勉強はテレビを見ながらやるんです。

今、うちの子もテレビ見放題。
マンガも幼稚園から読んでる。
幼稚園で『るろうに剣心』や『ドカベンプロ野球編』を読んで、小学校で『のだめ』を読んで。
ゲームは「1日1時間」と言ってあるけど、マンガとテレビに関しては規制を敷いていない。
もちろん彼も「超ながら族」で、テレビ見ながら宿題して、カードゲームして、本も読んでるんだけど(テレビは「聞きながら」が正しいかもしれん)。

まぁマンガもテレビも玉石混淆で、「教育上よろしくない」ってものもあるんだけれども、自分がマンガとアニメと特撮で育って、その影響を「ありがたいもの」と思っているものだから、制限しようというふうには思わない。

中学校や高校の時、「マンガ禁止」で育った友達というのもちらほらいた。
でもその子が特に勉強がよくできて優等生、ってわけでもなかった。めちゃくちゃマンガ読んでても成績いい子はいるし、残念なことに「頭のいい奴は何をしてても頭がいい」だったりはする。
マンガもテレビもゲームも全部制限して、親から「教育上よろしかるべきもの」ばかり与えられて育った子どもが「出来のいい子」になるかどうかはまったくわからない。
むしろある意味「偏った人間」になるんじゃないのかな。

結局何事も「バランス」ではあるし。

色々な「物語」に触れる、というのは大事なことだと思いますね。それが小説でもマンガでもアニメでも特撮ヒーローでも。
自分の周りの狭い世界以外にも「世界」があって、色々な「ものの見方」があるということ。「虚構」であることの力。

マンガミュージアム、いっぺん行かな〜。