『罪と罰』〈上〉巻をさっさと読み終わり、中巻ももう半分近くまで来てしまいました。
いや〜、面白い。
なんで昔『カラマーゾフ』を読んだ時、こっちには手を出さなかったんだろう。先に『悪霊』を手にとって挫折したんだけど、先に『罪と罰』を読むべきだったな、絶対。
『カラマーゾフ』は1巻の半分くらいまではけっこうめんどくさいというか、読むのがうっとうしい感じがあるんだけど、『罪と罰』は最初っからとっつきやすくて、どんどん読める。
まぁそれは、「主人公ラスコーリニコフが金貸しの婆さんを殺す」というあらすじを読む前から知っているせいもあると思うけれど。
「それ」が起こることはわかっているんだから、「いつ」「どんなふうに」起こるのか、最初からドキドキして読んでしまう。
でもホントにこう、「それ」がついに起こってしまうまでの描写もスリリングだし、起こった後がまた実にスリリングで……。
上巻の半分より少し手前のところで「それ」は起こってしまって、その後は「それ」がばれるかばれないか。
もちろんそこには、単に「捕まるか捕まらないか」というだけでない、色々な葛藤とか深い哲学的な思索とかあるんだけども、そんな難しいことはとりあえず抜きにして、ミステリーとしても十分に楽しめます。
江川卓先生の訳文はやっぱり古めかしい感じがするものの、十分読みやすい。さくさく読める。
「〜と違うか」とか「よう〜しない」というような言い回しがけっこう出てくるので、江川先生は関西の人かと思ったら東京出身の方らしく。
かつては関東でも(標準語でも?)「〜ではないか?」の片方の意味を「〜と違うか?」と言っていたのかしら。
「ではないか」には二つの用法があって、関西だとそれは「ちゃうか」と「やんか」で使い分けられるんだけど、標準語では「ではないか」の一つで両方の意味を担う……。
文中で「〜と違うか」と出てくると、ついそこだけ関西アクセントで読んでしまって、なんかむずむずします。
あと、やたらに「ぺっぺ」っていうのが出てくる。
「〜なんてぺっぺだ!」――つまり「唾吐いてる」んだけど。ロシア語の原文ではなんて書いてあるのかなぁ。「糞食らえ」ならぬ「唾食らえ」みたいな感じの原語なのかしら。日本語ではあまり、腹が立ったり何かを貶めたい時に、「ぺっぺ!」と唾を吐く擬音を使わないような気がするけど、使う人もいるのかな。
まだ全部読んでないうちから言うのもなんだけど、これ終わったら『悪霊』も読み返してみなくっちゃ。
ドストエフスキー
2 Comments
「ぺっぺ!」は微妙な訳ですねぇ。ピンとくるような、こないような(^^;)ロシア語といえば・・・故・米原万里さんのエッセイが好きでよく読むのですが、同時通訳の苦労話として(これは米原さんご本人の体験談ではないのだけど)、とある国際会議である日本人が「社会民主主義と民主社会主義がどう違うのか、わたしにはよくわかりません。つまりカレーライスとライスカレーがどう違うのか、あるいはクソと味噌がどう違うのかという感じで・・・」と発言し、同時通訳をしていた方が大いに焦って咄嗟に「ハム&エッグか、エッグ&ハムか」と訳したという逸話が載っておりました(笑)翻訳や通訳って100%を目指そうとすればするほど難しいですね〜。
返信削除��an-an様わはは。そりゃ通訳の方は困ったでしょうねぇ。国際会議の場で「クソと味噌がどう違うか」とか言い出すなよ、おっさん(当然おっさんでしょ、それ?)。でも咄嗟に「ハム&エッグかエッグ&ハムか」って出てくるところがさすがよねぇ。文章の翻訳だと色々ああかな、こうかな、と推敲できるけど、通訳はその場でどんどんと訳していかなきゃならないんだから、ホントにこう、ただ「その言語が堪能」というだけでなく、「何が言いたいのか」っていうことがわかってなくちゃいけないし、機転がきかないとできないよね。尊敬します。『カラマーゾフ』の亀山先生も、この間週刊誌か何かの見出しに「誤訳だ!」みたいに書かれてました。言語のみならず、文化的な背景その他が違う以上、ある程度割り切らないと翻訳ってできないだろうと思うし、難しいよねぇ。ドストエフスキー本人に「ここはこんなふうに訳したんですけど」とお伺いを立てるわけにもいかないしね。
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