昨日、内田先生のおかげで妄想癖に自信がついたら、早速夢で内田先生と歓談してしまった(笑)。

何か、大学のようなところで、私は内田先生の講義を受けていたらしい。
そして、忘れ物だか預かり物だかを内田先生に渡しに行くことになって、その際になぜか親しくお話をしてしまうのだった。
生意気にもドストエフスキーについて意見を交わしていた。
わはは。

夢も妄想のうちなら、将来本当に内田先生とお話する機会が持てるかも!?

できれば「妄想のすすめ」がなぜ「身体の教育」に繋がるのか、というお話を聞かせていただきたかったけれど、さすがに自分が語れないことは夢にも出てこないらしい。
京都新聞を読むしかないか。

しかし子どもの頃から空想世界にトリップしまくりだった私は、自分のことを「身体性がない」と思っていた。
何しろ運動オンチだし、外遊びなんてまったく好きじゃないし、学校の体育以外で体を動かすことがなかった。
まぁ、それでも「あの時代の子ども」だから、幼稚園以前は外で「かごめかごめ」だの「鬼ごっこ」だの「石蹴り」だの、一応のことはしていたわけだけど。

昨日紹介したblogの中では「身体の教育(呼吸法や瞑想法や錬丹法)」と書かれてあって、そうすると昔の子どもは外でテキトーに体を動かしているだけで、「呼吸法」を会得していたんだろうか?とも思う。

ううむ。やはり京都新聞か。