「新しい太陽の書」第2巻、『調停者の鉤爪』を読み終わりました。
もちろん、半分くらいはこの間の「無駄な心電図精密検査」の待ち時間で読んだわけです。読書がはかどって喜ぶべきでしょうか。

さて、拷問者セヴェリアンくんの冒険第2巻。
のっけから、ついていけませんでした。
1巻は、街の門を出て行くところで終わっていて、当然その続きから始まるだろうと思って頁をめくると、続いていない。
なんだか知らない名前がいきなり出てきて、状況がさっぱりわからない。

門を出るまでセヴェリアンと一緒にいた人たちはどうなったの? 今セヴェリアンは一体どこにいるの?

門を出てすぐに、セヴェリアンは連れとはぐれてしまったらしいのだけど、それがわかるまでにだいぶかかった。
しかも、今セヴェリアンと一緒にいるジョナスという人が一体誰なのか理解するのにも、かなり時間がかかってしまった。
1巻の最後のところを読み返すと、確かに「ジョナス」という名前がちゃんと1回だけ出てきていたのだけど、そんなん覚えてへんがな。

そんなわけでとっつきの悪かった2巻目冒頭ですが、もちろん読み進んでいくうちに面白くなってきます。
特にこの「ジョナス」という人がね。
面白かった。
おおおおっっっ、って(笑)。
ネタバレになるので言わないけど、SFっぽくなってきました。

1巻もそうだったけど、2巻はさらに「これはどういう意味だろう?」「んんん?」と考えなければいけないところが増えた気がする。
セヴェリアンの持っている『ウールスと天空の脅威』という本の中の話が延々と紹介されたり、セヴェリアンが役者として演じるお芝居『天地終末と創造』の脚本が延々と載っていたり。
またこの二つの話が非常に象徴的で、わかったようなわからないような、「んんんんん?」なんだな。

「ウールス(Urth)」というのは、セヴェリアンのいる「世界」の名称で、これが「Earth」であるのはまぁ、間違いのないところでしょう。
太陽がもう年老いて、昼間でも赤い光しか降り注がなくなった地球……それが、このお話の舞台であるらしい。
そして人々は、病み衰えた「古い太陽」に代わり、「新しい太陽」が昇る日を待っている。最後の審判を待つように。神の国の到来を待つように。

2巻のタイトルになっている「調停者の鉤爪」というのは、偶然セヴェリアンが手にすることになった(と言っても、それもまた必然であった、ということになりそうな感じだけれど)宝石のようなもので、不思議な力を持っている。それが本当はどういうものなのかも、まだまだ明らかにされていない。

解説の方が、「この2巻の終わりのところのシーンはこの先何度も言及される大事なところだから、よく覚えておこう」と書いてくれているのだけど……うーん、そのシーンがまた、なんだかよくわからん。
「4巻の最後でなされる説明によって、読者はまた混乱させられる」なんて書いてあるし。
最後まで行っても「謎はすべて解けた!」にはならないらしい。楽しみというかなんというか。

3巻は今月末、4巻は来月。そして初訳の5巻が8月に出る。待ちきれないなぁ。もっといっぺんに出してほしいもんだ(でないと読んだところを忘れてしまう)。

ちなみに2巻の解説は中野善夫さんが書いてらっしゃるのだけど、SFとファンタジィを比較するところで、「『ナルニア国物語』では……、どうにも収拾がつかなくなるとすべてご破算にしてやりなおしてしまう」とあって、思わず笑ってしまった。
私は『ナルニア』のあの終わり方に愕然として、「キリスト教徒的にはこれでOKなのか。これで感動できるのか」と思ったのだ。
この「新しい太陽の書」にもキリスト教的なところが見え隠れしているけど、果たしてどういう終わり方をするのか……。クリスチャンじゃないアジア人をあっといわせてくれることを楽しみに、続きを待ちます。