昨日のアンドロイドネタの続き。
将来的に、「自我」とか「心」を持ったアンドロイドを、人間は造り出せるだろうか。
もしもそのようなアンドロイドが出現したら、人間は彼らに対してどういう振る舞いをするのだろう?
本当に恋に落ちるだろうか?
親しいものとして受け入れるだろうか?
それとも気味悪がる?
しょせんは機械と蔑み、彼らが自分達の領域に入ってきたら、脅威を感じて排除し始めるのではないだろうか?
こーゆーことは、SF小説やアニメではもうずいぶん昔から描かれてることだと思う。
「ロボット」という言葉を生み出したチャペックの『R.U.R』自体がもう、「人間と、人間が作り出した擬似的人間との間に起こる色々な問題」を描き出してしまっているし。
人間の労働を肩代わりさせられている『R.U.R』の「ロボット」達は、反乱を起こして人間を抹殺しようとする。
「作った者」と、「作られた者」との闘い。
前に、「とことん石ノ森章太郎」を見た時に、「『サイボーグ009』のサイボーグ戦士達は、まず自分達を作った組織と対決する。それはいわば、造物主との闘いである」というようなことが出てきた。
最初から「造物主との闘い」を運命づけられた『サイボーグ009』は「神との闘い」へと進んでいく。
もしもこの世に「造物主=神」がいて、それが人間を作ったのだとしたら、神は人間のことを、どう思っているのだろう?
「あんなもの、所詮私が作った人形にすぎない」と思っているんじゃないだろうか。
「できそこない」だと思ってはいないだろうか。
「人間を作り出した何ものか」が、「人間は失敗作だったので作り直そう」と試みる話、というのもSFの世界ではおなじみのモチーフである。
私があんまり神様というものを信じられない理由の一つは、そのように、「存在したとしても、それが人間を愛しているかどうかはわからない」と思うから。
神様が与えた戒めを守ろうと守るまいと、神様はそんなに人間のことなんか考えていないかもしれない。
戒めを守っている間は愛してくれるとしても、それは人間が、ロボットやアンドロイドに対して、「自分達を脅かさない程度に役立っている間は大いに歓迎するが、そうでなくなったとたん憎み出す」のと変わらない。
自分でそのように作っておいて、手に負えなくなると排除しようとするのは、とても身勝手なことのように思える。
もしも人間が「自分が作ったものなんだからどうしようと勝手」だと考えてロボットを壊すのなら、神様が同じことをしても文句は言えない。
できそこないだと言って消去されてもしかたがない。
もちろん私は消去されたくないので、「そんな神様なんか神様じゃないや」と言って反旗を翻すだろう。
そしてますます神様に嫌われる。
あるいは神様は人間のようなせせこましい感情の持ち主ではなく、人間ができそこないでも見逃してくれるかもしれない。
でもその場合、悪いことをしても怒られない代わり、良いことをしても褒められないかもしれない。
神様に人間的な感情がないとすれば、神様が人間を「愛する」こともないかもしれないのだ。
哲学
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