今朝、小室さんの栄枯盛衰の記事を書いて、ちょっと考えた。

人間って多かれ少なかれ、「ピーク後」を引き受けて生きていかなきゃなんないんだろうなぁ、と。

「老いる」ということは、誰にとっても、「ピーク後」を引き受けることだもの。

別に若い頃に成功して「過去の栄光」を持たない人だって、身体的なピークというのは、10代とか20代前半とかに終わってしまっている。

アラフォー世代の女性にとって、10代や20代のシワもタルミもないぴちぴち肌なんて、「過去の栄光」そのものだもの(笑)。

「まだ大丈夫」「まだ若い」と本人はがんばって思っていても、ふと鏡を見ると「あちゃー」という現実が写っていたりして(爆)。

特に「女性」というのはもう、世の中的に「若いほどいい」みたいになっちゃってるし、30過ぎた女はみんな、「どうやってピーク後の人生と折り合いをつけるか」日々格闘しているといっても過言ではないんじゃないかしら。

「美醜」以外にも、だんだんと体は不調を訴えることが多くなり、無理が利かなくなってくる。

子どもは生意気になって、「お母さん、そーゆーのはもう古いねん!」とバカにされるようにもなり、「親の介護」なんかもひたひたと忍び寄ってきて、ついつい「自由で楽しかった昔」を懐かしんでしまう……。

普通、たいていの生物は、子孫を残したらさっさと死んでしまう。

生むだけで、育てないで死んじゃう生き物だっていっぱいいる(きっとその方が多い)。

それを思えば、人間の「老後」はとてつもなく長い。

「年を取る」ということが、「なんでもかんでも悪くなる一方」とは限らないはずだけれど、生物学的なピークが終わってしまっていることはたぶん、確かなことだろう。

社会的な栄光は、一度喪っても、もしかしたらまた手に入れることができるかもしれない。

でも「若さ」という栄光は、二度と手に入れることはできない。

「若きゃいいってもんじゃねぇよ」と40を目前にした私は思うけれども、そんなのはピークを過ぎた人間の「自分を納得させるための方便」でしかないかもしれない。

でもそーゆーふうに「自分なりの方便」を見つけて、やたらに過去を振り向かず、やたらにうつむかず、前を向いて生きていくのが人生ってものなんだろうな。