来週の月曜日、2008年12月15日のBS2「蔵出し劇場ビッグショー」は郷ひろみである。

1979年2月放送分。この間の、桜田淳子ちゃんと同じ時期のもの。

テレビガイドめくってて発見して、「見なくちゃいけないのかな」と思ってしまった。

なんか、こんだけ30年前の音楽シーン(?)について語り、「2008年の郷ひろみ」という記事も書いてしまった以上は、「1979年の郷ひろみ」についても何かコメントしなきゃいけないのではないかと。

一体何に対してそんな義務感を感じるのか、我ながら意味不明やけど(笑)。

今53歳らしいから、1979年の郷ひろみは23歳ぐらい。

歌うラインナップは「林檎殺人事件」とか「ハリウッドスキャンダル」とか「よろしく哀愁」とか。

郷ひろみ本人はともかく、郷ひろみの歌っている楽曲はけっこう好きだったんだけど、「禁猟区」や「バイブレーション」がないのがさびしい。

ところで。

Wikipediaには、「この曲(GOLDFINGER’99)でライバル沢田研二のシングル売り上げ枚数を超えた」とかいう記述がある。

ええっ! 郷ひろみって、「ジュリーがライバル」(by石野真子)だったの!?

全然土俵が違うやん、って私は思うけど。

ジュリーは郷ひろみのことなんかライバルだと思ってへんやろ、とか(笑)。

だって、ジュリーは「スター」でひろみは「アイドル」だし、その辺は「棲み分け」っていうか、ジュリーを好きだと思う人と、ひろみを好きだと思う人は「かぶらない」と思うんだけどなぁ。

もしも郷ひろみがジュリーをライバル視していたんだとしたら、「この年になってもFNS歌謡祭なんかに呼ばれてメドレーを披露したり、倖田來未とデュエットしたりするのはオレだぜ! おまえなんかそんなに太ってみっともなくなったくせに!!」とか、思ってるのかな。

別にジュリーファンは倖田來未とデュエットしてほしいなんて、全然思わないけどな(笑)。

郷ひろみファンは嬉しいのかな、あーゆーの。


ジュリーとひろみの一番の差は、「色気」だと思う。

郷ひろみには「色気」がない。

だから53歳になっても「アイドル」でいるしかないんでしょ、と逆に思ったりする。

もちろん、「53歳でもアイドル」を実行する彼は「たいしたもん」だと思うけど、私の美意識ではたとえ太ってもジュリーの方が上だ。

だって郷ひろみに「サムライ」が歌える?

「晴れのちBLUE BOY」が歌える?

ミュージシャンとしての表現力が段違いだと思うけどなぁ。

郷ひろみもアメリカ行ってボイストレーニング受けて、歌唱力がアップしたという話なんだけど(実際、踊っててもしっかり声が出るんだろうけど)、でもやっぱり「一本調子」な歌い方という気がする。

ある意味「アイドル歌謡」の王道と言いますか。

ジュリーはもとがグループサウンズだし、「ス・ト・リ・ッ・パー」あたりからはバンドサウンドになる。全盛期のジュリーは「音楽性」よりも衣装とか「見せ方」がクローズアップされていたけど、ジュリー本人はきっと一貫して「音楽性」を志向する「ミュージシャン」だったのだろうと思う。

対する郷ひろみは一貫して「アイドル歌手」で、やっぱりこれは「土俵が違う」んだと思うけどな。

どっちを好きだと思うかはこっちの「好き嫌い」の問題だし。

ちゃんと年を取って、「我が窮状」や「海に向けて」を歌うジュリーは素敵だったよ。(『SONGS沢田研二・第一夜』『SONGS沢田研二・第二夜』参照)

派手なアップチューンをずっと歌えるのも素敵だけど、「今だから歌える」歌を大人の成熟と色気でもってしっかり歌ってくれるジュリーは本当にかっこよかった。

FNS歌謡祭の時とか、歌じゃないトーク部分での郷ひろみを見て、正直「なんでこの人こんなにへらへらしてんだろ」って感じた。「こーゆー受け答えをすると“若く見られる”って思ってるのかなぁ」って。

ホントに若かった23歳の郷ひろみは、きっと非の打ち所のない「全身これアイドル」で、素敵だったのかもしれないけどな、というわけで、やっぱり見なくちゃいけませんかね、『蔵出しビッグショー』(笑)。