『あなたの苦手な彼女について』の後半、「家」の話が出てきます。

戦後、新しい民法によって、いわゆる「家長による支配を前提とする家」というものはなくなって、結婚すると親とは別の新しい「戸籍=家」を作ることになりました。

なったんだけれども、やっぱり相変わらず「嫁に入る」とか「家を継ぐ」とかいう意識は残っていますよね。それはやっぱり「新しい戸籍」を作っても、「新しい名字」を作るわけではなく、「親と同じ姓」を名乗るということが強く作用しているのでしょう。

男性の姓を「新しい家の姓」にするのがほとんどですから、どうしたって女性は「嫁に入る」という感じになりますし、女性の姓を「新しい家の姓」にした場合は、「あ、婿養子なんだ」と周りも思ってしまう。

実際にはもう、「親の戸籍に入る」わけじゃないんですから、「養子」じゃないんですけど。

そーゆー昔の、明治政府が作った古い民法に縛られなくてももういい(ホントに明治の呪縛ってすごい)、というふうに橋本さんがおっしゃっていて、それはもちろんそうなんだけど、結婚によって「戸籍」は「新しく」なっても、「墓」ってもんがあるんですよねぇ。

「家を継ぐ」って、「墓を継ぐ」になってません?

私たちの親の世代って、その親が「旧民法」世代なこともあって、一人息子と一人娘が結婚するような場合、「うちの墓はどうなる!」って必ず言うと思う。

「どちらの姓を選ぶか」というのが、「どちらの墓を選ぶか」になってて。

うちの実家、私は「嫁に行って」て、弟はまだ独身なんですよね。

どーも、結婚する気がそもそもなくて。

で、うちの父ちゃんは「○○家も俺の代で終わりや」ってすごい嘆いてる。

父ちゃんには弟がいるんだけど、その人は「三姉妹の長女」と結婚してお嫁さんの姓を名乗り、お嫁さんの実家の方に行ってしまっている。

だから、「○○家」を名乗っているのは父ちゃんだけで、「○○家の墓」に入るのも弟まで。

ってゆーか、弟がこのまま結婚せずに私より長生きした場合、弟の葬儀を取り仕切って亡骸を墓に供養するのは一体誰なんだろうとか、ついうっかりそんなことまで考えてしまいますけど。

私自身は、「死んだら遺灰は五月山の桜の下に撒いてね」って思うぐらい、「墓」にはこだわらないんだけど、でも「親の墓」はやっぱりほっとけないなって思うし、「祖先」っていうのもほったらかすと祟られるような気がして……。

日本もヨーロッパみたいに、「○○家の墓」じゃなくて、「個人名の墓」だったらいいのにね。

個人名で、「○○、ここに眠る」とか書いてあって、「1965-2035 生きた、愛した、書いた」とか墓碑銘が刻んであってさ。

それでも「これはうちのひいひいひいじいさんの墓だから毎年お彼岸にはお参りするように」とか言われちゃうのかな。

ちなみにうちの母方のじいちゃんばあちゃんは「事実婚」で籍を入れていなかった。じいちゃんは「中村家」に生まれたが、子のない親戚の家に養子に入って「吉本」になって、でもその後そこに「実子」が生まれて「家を継ぐ」必要がなくなって、それでじいちゃんはどちらの「家の墓」にも入らずに、お寺で永代供養されている。

この間心筋梗塞で倒れたばあちゃんは、きっとじいちゃんと同じお寺ではなく、息子(母の兄)が建てた別の墓に入るんだと思われる。

息子の姓はじいちゃんの「吉本」ではなくてばあちゃんの姓で、息子の嫁(私にとってはおばさん)が若くして亡くなってしまったせいで、すでにその姓の「墓」が建てられてあったりはするから。

じいちゃんとばあちゃんはとても仲の良い夫婦だったので(まぁ、若い頃のじいちゃんは遊び人で色々とあったらしいが)、「別々の墓に入るのか」と私はちょっとさびしくも思うんだけど、私がとやかく言えることでもない。

お墓が別々だったからって、あの世ではきっと一緒にいるだろうと思うし。

結婚しない人が増えると、「無縁仏」は増えていくんだろうなぁ。

早いとこ「お墓のあり方」も変わっていってくれるといいんだけど。

「あなたが今不幸なのは、先祖の霊をないがしろにしているからです」とか言って脅す商売があるぐらいだし、なかなかそーゆー観念をすぱっと断ち切るのも難しいね。

実際問題、ひいひいひいじいさんとひいひいひいばあさんが出逢って子どもを生んでくれたおかげで私も存在している、ということはあるし。

結婚して二人で「新しい戸籍=家を作る」という新民法の理念がどこか宙ぶらりんなままなのは、絶対「墓」の問題があると思うなぁ。