まだ『あなたの苦手な彼女について』がらみ(笑)。

「家」と「労働」が切り離されて、「働く=家の外へ出ていく」ということからいろんな問題が発生している、という話で。

「家」が「働く場」でなくなると、「何の場」になるのか。

普通は、「安らぐ場」とか「食べて寝る場」とかってことになるんだろうけど、主婦にとっては必ずしも「家=安らぐ場」じゃなくって、「旦那が帰ってくると私はちっとも安らげない」かもしれない。

それでぶすっとしていると、「なんでおまえはいつもそんな不機嫌な顔をしてるんだ」「俺は疲れて帰ってきてるっていうのに」と旦那さんが怒ってケンカになったりして。

今どきそんな「古い」夫婦ゲンカはないかしらん。

でも「家」というか「家庭」が「安らぐ場」とか「癒しの場」であってほしいっていうのは、きっと誰もが思うことだよね。

外で働いて疲れてるんだから、「家」では「ほっとしたい」っていう。

だからこそ逆に、みんな結婚しなくなるのかな。

だって、家に誰かいると、気ぃ遣うよ。

相手だって、「外で疲れて帰ってきてる」かもしれない。「赤ん坊の世話で疲れている」かもしれない。

そこで「自分の疲れ」ばかり主張したらケンカになるし、かといって「相手の疲れ」を優先して我慢するとストレスたまるし。

そこに「人」がいれば、家族であっても多少の「気遣い」というのは必要になる。

それを理解しないか、あるいは理解するがゆえに「あ~、しんど」と思ってしまったら、「一人がいい」になるかもしれない。

もう、子どもが夏休みとか冬休みになるたんびに、「あ~、一人になりたい」って思うもんなぁ(笑)。

昨日も昼の1時から5時まで小学生男子が7人もうちに集まってて。

一人になりたかった(爆)。


「家」というのは要するに「生活の場」「生活の基盤」だと思うんだけど、「労働」が「外」にしかなくなってしまった今の「家」は、「愛情」だけで成り立つもののようにも思われてるんじゃないのかな。

だから「恋愛結婚」が当たり前になると、「結婚」は成立しにくくなるのかもしれない。

「愛情」だけが「家」とか「夫婦」の成立条件だったら、絶対しんどいもん。

そこに「心理」や「人間関係」しかないっていうのは、きっととても疲れる。

「家内制手工業」の時代にはもう戻らないだろうけど、「家」には何か、「働く」に近い要素が必要なんだろうなぁ。

(最近の若い(?)家族が「クリスマス」や「互いの誕生日」をとんでもなく「イベント化」するっていうのは、「一緒に働く」の代替行為なのかもしれないな)